國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

すいかPt.2

第二回、見た。
バースデー・ケーキの件(くだり)に弱くてなー。泣いちゃう。
おめでとう、ってさ。
いくつになっても人は誕生日ケーキを貰っていいんだから。
今日は予定より少し遅く起きて(8時)、ゆうべ、つい夜更かししちゃったから、
なんだかさみしくて、それで起きるとごはん食べたり一通り済ませて、そそくさとお出掛け。
といって、例によりスーパー銭湯、朝風呂へ。
実は昨日から行こうと決めていた。ゆうべはめんどくさくて風呂、入んなかったし。
で、お風呂は気持ちはよかったけれど、でもそれ以上に疲れていて、寝不足気味で、
気持ち、風邪っぴきで、あんまりだるいんで、一時間もしないで出ることにした。
風呂上がって、休憩所でぼんやり、牛乳飲んで、さて今日はどうしようなんて思案。
すっごい疲れてるし、風邪っぽくもあるし、家に帰るか、でもどのみち遠出は無理と踏み、
とりあえず適当に車を流して、そう遠くないあたりまでゆき、ジョナサンへ。
そこでお昼。
おれと同時ぐらいに入ってきた若人たち、成人式の帰りだ。男女合わせて9人かそこら。
彼らはおれには眩しく、羨ましかった。
おれはもちろん成人式なんて出ることはなく、二十歳の時、おれはまったくのひとりぼっち。
受験生だった。2浪目。ひどかった。苛々して、怯えていた。毎日。
それに1月はおれの誕生日でもあってなんだか余計つらかった。
二十歳。おれには最低だった。
あの時、誰かに「誕生日おめでとう。」って言って欲しかったなぁ。
そしてそのあと、せっかく大学に合格しても、誰も「おめでとう。」なんて言ってはくれなかった。
というか、おれを知る人がそもそもいなかったし。
母親はおれが合格を報告すると、なんだかネガティヴに「合格るなんて思わなかった。」
みたいなことを言い、おれは尚更につらかったのだった。
あの時に誰かが「ひとりでよく頑張ったね。」って労をねぎらってくれたなら。
そう言ってもらったら、スッとらくになれたろうなぁ。憑物が落ちたみたいに。
おれはあの頃、とにかく肯定的なことばを欲していたんだ。
おれを知る人は両親ぐらいで、妹はもちろんいたけれども、それほどに交通があったとはいえなかったし、
親は2人とも、受験とかそういうことがわからなくて、おれがひとりで苦しんでいることを理解できなくて
ねぎらったり、ひとりでいることが苦しいという訴えを聞き入れることが「甘やかしている」
ことだとばかりに思っていて、とにかくに否定的な態度・言動で、
他によるべないおれとしては、すっごくつらかった。
ともだちでもいれば、ぜんぜん違ったんだけれども、おれのその当時のなによりの問題は
「ともだちがいない」という、正にそのことだったので、尚更、どうしようもなかった。
ともだちなんていなくたっていい、受験なんてひとりでするんだし、みたいな調子で、
親は言うばかりで、おれがストレスの持って行き場のないことをまったく理解は
してくれなかったのだった。なんてことない、ただ昨日見たTVの話をする相手がいるか、
いないか、一見すると大したことのないことでも、それは当人にとっては、絶対的な違いだった。
話し相手がいないのは。まあ、理解を親に求めるのが間違いじゃあるが、でもおれには
話を一応でもする相手は親しか、当時いなかったんだもん。他はゼロ。
かろうじて妹がいたが、妹とはたまに家に帰って(当時、一人暮らしをしていた。
なんだか流れで。カネもないのに。それがまた多大なストレスの原因じゃあったのだけど、
でも渦中にいるおれには解決のつけようもなかった。)、ぼそぼそと当たり障りのないことを
話す程度、自分の抱えていることや突っ込んだことを話すような間柄じゃあなかった。
だって恥ずかしいじゃん。とりあえず。でも、そうは言っても、唯一、妹と話す時間は
おれにとっては、すごく大事な時間でもあったのだけれど。でもそれじゃ足りない。
「ともだち」が欲しかった。いや、必要だった。とにかく。肉親ではない第三者が。
そうじゃないと抜け出せない。
成人式、そういえばみんなスーツなんだよな。あたりまえだけど。
でも二十歳のおれはスーツなんて持ってなかったし、そもそもスーツを誂える、って発想自体がなかった。
知らなかった。スーツってもんをふつうは進学などの際に仕立てるということを。
そして大学の入学式の日、私服はおれひとりだった。
誰も教えてくんなかったなあ。スーツを着なきゃいけないだなんて。
まあ教えようにも、誰もおれのこと、知らないんだから無理もない。
それにまあ、いざスーツを作ろうにも、先立つものがなかったしな。
それに当時は今みたいな安売りスーツ、ってのもまだなかったんじゃないか。
いや、あったとしても、おれには2万円程度のスーツでも作ることはできなかった。
カネ、ないんだもん。作り方もわかんないし。服なんて、まして仕立てるような服なんて
買ったこともないから、そうじゃなくても毎日怯え暮らしているのに、洋服屋に行って、
店員と応対しながら、おどおどびくびくしながら、スーツを作る、もちろん既製服でだ、
そんなこと、きっとやろうとしても、店の前に行く度に、ビビッって引き返すのを
繰り返していたに違いない。
そしてノイローゼは大学入学後もつづくのでした。
詳しくはめんどいのと恥ずかしいので、省くが、結果、就職も出来ず、と。
で、卒業後、更にまだしばらくはつづくのだから、やんなっちゃう。
ここらへん、おれの人生行路を話すとちょっと長くなるので割愛。
とりあえず、今に至る、と。
現在、それでどうなんでしょうねー。だいぶんマシじゃああるけれど。
おれも成長したしな。二十歳の頃からくらべたら。
マシってだけマシか。