國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

Miss Amanda Jones

http://www.youtube.com/watch?v=S8jE0RFDYMY

今日はTVで「SPEC」7話8話やってたんで初めて見た。前からずっと気になってたけど見たのは初めて。しかも7話からか。はじめっからちゃんと見たい。戸田恵梨香とつきあいたい。

起きたのは7:40。その前に目は覚めたりしてるけど、また寝るようにしていよいよ起き上がったのがその時間。疲れてる。

朝は仕度済むと洗濯物干してすぐに家を出て地元のシネコンへ。この前1000円券というのをもらったのでそれを使用しに。観たのは「アナザー」

映画終わってこの前セブンイレブンで貰った100円割引券でガソリンスタンドへ行ったが、その割引券、最初にバーコードを読ませないとダメで、そこまでちゃんと説明書きを読んでなかったんで結局ふつうに給油したきりだった。いつもは行かないガソリンスタンド。

そのまま自宅方面へ引き返し途中にあるモスバーガーへ。ここでもまたこの前ゲットしたチケット、モスバーガーとかが1個タダんなるってやつ、それを使用。野菜バーガーをチケットで獲得、それと後、オニポテセット350円で。<br>したらコーラなんか頼んだら、最近滅多に飲まない、けどゆうべ少しだけ冒頭の方を観た「ヤング≒アダルト」でコーラがぶ飲みしてんのを見て刺激され、でもってペプシネックスってやつでそれが、クスリ臭くてまずかった><

雨降ってた。もうその頃は。

で、一旦、家へ帰る。それで上記の「SPEC」とか見てたんだ。

「SPEC」7話だけ見てまた外出。今度は地元のでかいショッピングモール。なんだか無性にKFCのレッドホットチキンが喰いかったのだ。CM見てなんか最近そんな気んなってた。昼食ってまた食ってで、ふだんはそんな食う方じゃない。でも今日は。<br>チキン食うと和真でメガネをクリーニング。そして靴でも買おうとABCマートで気に入ったVANSのネイヴィーのデッキシューズ、8千幾ら、したら、おれのサイズのが置いてなかった(:_;) 予定、ズレる>< <br>それで家、帰ったんだっけなー?帰宅して「SPEC」8話見たりフロ(ってよりかシャワー)入ったりして夕食。さっきKFC食ったばかりなのに、今日はなんかおれにしちゃよく食う。けど食べてる途中でおなかがパンパンになってきたのだった。

だるい。頭が冴えない。まーそういうときはなんか決めて動けばいいんだけど、「とりかかれない」ってやつだ。ああ。ムダに時間が過ぎていく感覚に苛(さいな)まれ続ける悪夢を生きていく。

日記も書こうと思った、書きたかった、でもいくつか書く場所はあるわけで、どこにしようかと思い、今日はなんだかここで。ここは静かな場所だ。誰も見てない、に等しい。

録画で米倉涼子がブロードウェイで舞台やるやつや、ボクらの時代:有森裕子×増田明美×野口みずきなんか見て、スポーツにはあまりにも関心がなさすぎて、現在ロンドンオリンピックで盛り上がっているというのについていけず、さみしい限りだが、こうして鼎談なんかしてるの見るとそれなりに興味も惹かれ、感動もするのだから、なんとかしたいが、身近にキッカケでもないとこれが中々。ひとり部屋にいてもオリンピックにはチャンネルを合わせない。<br>しかし有森裕子とか名前くらいか知らないが、話聞いてると、なんかいろいろと大したもんだったりするのねー、へー、とか感心してる。

今日は疲れていたのでおうちモードにしたが、そうはしても中途半端に出かけちゃうし、家の中でやるべき用事にはやはり手がつけられない。

洗濯物は結局午前中から干しっぱなしで、その後雨だったりもしたが午後2時か3時か、そんくらいから晴れるのに任せ、夕方5時半過ぎに取り入れた。まー、乾いてた。大したもんはどのみちないし、タオルとかTシャツとか。

あと、洗車した。ずっとしばらくクルマが汚い、特に窓ガラス、が気になり続けていて、行こう行こうと思いつつも、ガソリンスタンドのオートメーションのあれでやるだけだが、終わった後に雑巾で濡れを拭き取るのがメンドイ、その一点が気になってしまい延び延びに。けど、午後再び出かけようとした折、幸いそのときには雨はあがってたし、どうしても洗車したくてたまんなくなり、ガソリンスタンドへ。ほ。よかった ε-(´∀`*)

簡単なことがこうしてできない。毎日所沢へ、そこへ住んでいたときへ帰ることばかり考えている。過去に戻りたくて、戻ってやり直したくてしょうがない。いつでも毎日。後ろ向きは性格。

あとは近所で「めしばな刑事タチバナ」の新刊を求めようとしたら、旧刊は全部揃っているのに最新刊だけ置いてなく買えなかった。

ブックオフにも行った。特になにも買わなかった。

ほんとは疲れてるからなにも気にせずただだらだらしていたいが、仕事のことは常に頭から離れず、自分の用事も満足にこなせず、出かけたくてしょうがなく、先月までは甥っ子たち3人が滞在してたから、どこか日々に満足感というか手応えがあったが、彼ら帰ってからはまたひとりの日々で、もひとつつまらん。遊びたい、けどひとりじゃいやだ。あと、いまの職場はあまりに休みがなく夏休みさえないので、なおさらもどかしい。旅行もしたいし、なにより人に会いたい。

で、夜、晩酌にキリン濃い味糖質ゼロを飲んじまったんで歩いてコンビニへ行き、今日のモスバーガーペプシネックスの口直しで、マジモンのコカ・コーラを買い飲みした。

雪の華


민효린 (Min hyo rin) - 눈의꽃 (Snow flower) (070601, Live)

落ち着かないなー。なにしていいかわからない><

 

こういうときって映画見たりとかも集中する気力に欠けててだめだし、困る。

というか、こういう場合、人恋しいというのがいちばんの正解だよな。

けどまあそいつばかりはどーしょーもない。

自分ひとりでできることじゃないからねー。

 

いつもそれでぐるぐるまわりだなー。

 

物は壊れる,人は死ぬ 三つ数えて,眼をつぶれ

(以下は10年前に書いたそれ)

 

そんなわけで怪物ランドで30代には御馴染みの有栖川公園に程近いArisugawa Studioで行われた「ナンシー関スタンプ葬」へ赴いた今日。
葬儀委員長は森繁でもなく、BGMは横浜銀蝿ではなかった。ムーンライダース

正午からの予定に合わせて会場についたのは15分ほど前だったと思う。
朝から曇りで若干の風があり、やがて雲は切れ、空は青さに変わった。正午。

たぶん普段は撮影等に使われているであろう会場までは狭い通路を行き、やがて。
天井高く、体育館程度には広い。ムーンライダースが聞こえる。
鈴木慶一自らの選曲らしいが、その時に流れていたのはなんていう曲なんだろう?
シンプルに彼女の写真と自画像が大きく演壇の上部に飾られていた。
花を一本受け取り花を置き軽く写真に挨拶。

今日は記念にムーンライダースの「青空百景」を買ったよ。
82年の作品。
おれはその頃浪人中でド真っ暗な気持ちで日々を送っていたけれど、
彼女はもう大学生だった。
もう仕事は始めていたのかな?
もう「ナンシー関」っていとうせいこうに命名はされていたのかな?

・・・そして、このアルバムをきっと聞いていたんだろう。 

 


ムーンライダーズ - 物は壊れる,人は死ぬ 三つ数えて,眼をつぶれ

The Clashいい話( ;∀;)

The Clashの”White Man in Hammersmith Palais”のコメント欄に「The Clashいい話」が載っているので以下に引用など。(いま現在、コメント欄「19」の下の方にある)


White Man (In Hammersmith Palais) - The Clash

 I'm lucky enough to have seen the Clash...I wanna share a great memory. Me and a mate had travelled to Manchester and managed to blag in for the soundcheck. As it went only Topper and Paul were rechecking drum and bass sound. Bouncers tried to chuck me and my mate out and Topper jumped over his kit and siad "Leave em alone, they're fuckin with me". I was 15. Same night we ended up backstage, cos now we're Topper's mates, Strummer hands me a Coke can with rum in. Memories forever! ” by TheMARKELA1

 で、以下に拙訳を。まともに翻訳などする力はないのでテキトーです(^_^;) 

申し訳ないm(_ _)m

クラッシュか。おれにはちょっと忘れられない思い出がある。おれとダチで当時マンチェスターまで行ってライヴの音合せしてる彼らんとこへ忍び込んだことがある。そこじゃあトッパーとポールがサウンドチェックしてた。ドラムとベースだ。

けどまあ当然、警備員にはめっかって、おれらはつまみ出されそうんなった。したらトッパーがドラムの方からパッとおれらんとこ来て。「そいつらおれの連れだ。離してやってくれ」

おれは当時15歳だった。その日の夜、バックステージにおれたちはいた。だってもうトッパーのダチだもんな。ジョー・ストラマーは缶入りコーラにラム酒入れたのをおれにくれた。サイコーの思い出だよ。忘れられっかい!

これ↑の最後の方にあるJ・ストラマーがおごってくれるのがおれが昨日飲んだキューバリブレってやつじゃないかと思うの。 

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(モニターに映ってるのはThe Smithだけど、あんまり気にしないで(^=^; )

見る夢がちがう

虚構新聞でもランキンタクシーのでもいいんだけど「ことば」のことってすっごい話題になる、なりやすい、気持ちに引っかかりやすいし、気にもなりやすい。

でもほんとうは「ことば」で話題になるようなことなんて、優先順位から言えばすっごく低い、どーでもいいようなことにしか過ぎなくて、物事や社会に関してはもっと地味で話題にならない、でも現実に動いている、そういうことをどうするかの方がはるかに重要だけど、話題にならないのでないも同然だし、まーそもそも話題にしても「話題になる」ってだけで世の中の大概の言説は床屋政談でしかないという、物事が決まるにはもっと現実のくだらない習慣や「メンドクサイ」みたいな部分で動いていて、そういう部分をよりよくするのは至難のワザだし、出来たとしてもほんのちょっぴり。

 

世界を変えることは出来ない。

自分も変えられない。

そのうち死ぬ。

それだけ。

http://www.youtube.com/watch?v=ETIKSwggQ4g

キム・ギドク

テーマとかは気になんない方なので、あと自分自身、男だからってのもあるかも、それはともかく、キム・ギドクに関してはストーリーがご都合主義で手抜きで、そのへん映画よく観てる人は気になんないのかなー?って前からの疑問があるんだよなー。

この前「サマリア」観たら、もうほとんど憶えてないんだけど、すごい話の流れが随所でテキトーで、ひでーなーって思ったんだけど、みんな気になんないのかなー?

絵作りもとってつけた感があって、安っぽいし。

そーゆーのが魅力な人もいるけど、そういうのが魅力な映画もあるけど、でもキム・ギドクのはべつに魅力ないし。ううむ。

 

キム・ギドクの映画って「かもめ食堂」と似てるよ。テキトーで手抜きでご都合主義で、でもなんか「それっぽい」の。「それっぽい」だけ。からっぽ。

 

ただ、あれだよね、キム・ギドクの映画ってあらすじだけ聞くとなんかおもしろそうなんだよね。でもそのアイディアを活かしきってない、活かす才能がない。ストーリーがいい加減。演出が甘い。結果、思想の甘さがなおさら目立っちゃう。

思想が陳腐でも映画の力があると監督本人の思惑を超えたモノが立ち上がってくるけど、そーゆーのがもちろんない><

 

あと、やっぱもうひとつフシギなのは女性でキム・ギドクが好きだって人がいること。

えー?あれでいーのー?って思っちゃうんだけど、なんでだろー?

あーゆー陳腐な女性の扱い、気になんないのかなー?

イラッとくるけど、でもなんか好き☆みたいんならわかるけど、どうもそんなカンジもしないし。

ふつうにウケてるっぽいし。

単純にフシギ。

Got My Mind Made Up

http://www.youtube.com/watch?v=-8JcbELtKvs

インタヴューズからお引越しシリーズ。

ひとしなみにショックは受けてしばらくはぼんやりもしていましたが、気のつくともうふつうにぜんぜん日常に戻っていて、自身、被災してないし、日々仕事に追われていると、そっちばかりに結局はなってしまい。
仕事で疲れてめんどくさくなり、休日は仕事から解放されたいという思いで、ただ好きにだらだらしていたくて。
日常には勝てなくて。

それに職場は地震のあった当日もその後も大した対応をするじゃなく、元々ヴィジョンのない経営じゃあったけど、あれだけの地震があった際にも管理者からの指示もなく(そういう際には指示の必要な仕事内容ではあるので)、そういう代わり映えのなさにはまたあらためてウンザリして。

でもそう、今回でいちばん感じたのは「代わり映えのなさ」、なにかがあらためて起こったんじゃなく、元々くだらない作りだったものが顕になっただけ、そういうやりきれなさで。
そういうしたくもない「再確認」ということで。

この世界はそもそもこんなとこでしかない、そういうあれで。

そうそして変わらない、変えられないってことでいえば自分自身がなによりそうで。

おれは結局、単に小心でだらしがないきり、地震の後、やはり思ったのは会いたい人には会わなきゃいけない、ためらってる間に機会を逸しちゃうじゃないかってことで、これはそう感じた人は他にも大勢いるだろうことで、おれも素直にそうは思えて、でもやっぱり休日の少ない仕事を辞することもせず、会いたい相手に会うべく努力するでなく、思い切ってメールや電話をすることもできず、グズグズするばかりで、これは以前と変わらない、既にもう半年経ってしまっている。

おれはいままで人づきあいが少なかった、あるいはほぼゼロの時も長かったせいで身内や親しい人間を失った経験がなく、そういうことについてはほぼ想像するか、なんとなくで感じるかしかなく、身近な人間を失うって、でもどういうことなんだろう。
だから会うべき人間には出来る限り会っておかなくちゃいけないのに、それを強く思ったのに、でも二の足を踏みっぱなしで、なんにもおれは変わってない。
性格はしかし、変わろうはずもないけれど。

30歳過ぎて生まれて初めてつきあった相手とは半年にいっぺんぐらいいまでも連絡を取るようなこともあって、といって電話で5分ほど話す程度、消息を確認するというか。
この前実際に会ったのはもう7、8年前で、憶えているのはおれがまだペーパードライバーを脱したばかり、おぼつかない運転で彼女の住んでいる方までなんとか辿り着き、ゲーセンでも行ったんだったかある程度はおしゃべりもし、帰りはマクドナルドへ寄った。
おれがそのマックからなんとか家まで帰りついたぐらいにちょうど彼女から電話、おれの怪しい運転でちゃんと帰れたか、確かめるそれで。
それ以来彼女とは半年に一度の電話程度で、会うこともないうちに時間は経ち、ある日彼女から電話、彼女の母親が乳房の痛みを強く訴えるとの由、大事がないといいんだけどみたいなことを言って電話は終わり、その後メールでだったか彼女の母親は悪性腫瘍との報を受け、それから何ヶ月か経ち、彼女の母親が亡くなったとのこと、おれは電話も出来ず、つまらないお悔やみのメールをしたきりで、その後また時間は経ち、今度は彼女自身が調子がわるいとのこと、そうこうするうち手術をするとのメール、でもおれはいよいよ入院との知らせを受けても結局、電話ができなかった。簡単なメールを1、2度送ったきりで。
その後、彼女の手術が子宮全摘とかそういうことであるのを知り、更に以前の母親のこと、また子宮摘出による体調の変化なども重なり、彼女は鬱状態になり、けど簡易なメールはたまにしたけれど鬱でもあり彼女からの返事も中々なく、そう、おれは彼女が大きな手術というときに電話ひとつできゃしなかったし、会いにいくこともなにもできなかった。しなかった。
正直云えばそもそもが不倫で、連絡を取るのに彼女が元気ならばともかく、そうじゃないと全く臆してしまったというだけで。
ただの小心だ。

彼女とは別れてもう十数年、でも未だに僅かだけれど連絡もとっていて。
つきあってる時は別れたくて仕方なかったのに、いまでもこんなふうにロクに連絡もするじゃなくとも、どこか心配するようなあれではあって。
友情とは違うだろう、でも恋愛的なそれとも違う、ともかく心配することも、心配してくれることもある一種大事な相手であるには違いないので、彼女がたいへんなときにおれはちゃんと電話ぐらいすべきだったとは後悔もしていて。
たいへんなときに大事な相手に連絡取るぐらいはすべきだろう。
メールじゃなくて、電話で。会うならそれに越したことはない。
おれはそういうことができない。
逃げてばかりだ。
メンドクサイ、結局そういことなんだろう。おれは。
じゃ、だめじゃん。
メンドウ引き受けなきゃさ。おれ。

それと。
親しい人間を失ったことはまだないけれど、でも1個だけ、たまに思い出すことがある。

もう10年とかそれ以上前。
妹の旦那がアメリカ人なので、彼の実家(アメリカでも「実家」っていうのか。云わないよな)へ行った。
彼には姉貴が何人かいて、でもまあ姉ちゃんてのは弟にとっちゃ鬱陶しいようで、ただその中でもすぐ上の姉とは気軽な間柄のようだった。年もまあ割に近いわけだし。一番下同士でもあるし。
一週間ぐらい妹夫婦の家に滞在して、その間親戚の集まりみたいなので向こうの家族とも会ったりした。
アメリカの料理はマズイっていうのがもっぱらの評判だけど、でもちゃんとした家庭料理は美味いってのもすごく実感した。
あとおばあさんがいて話した(?)んだけど、幾らおれが英語がロクに出来ないとはいえ、南部訛りの彼女の言ってることはワン・ワード足りとも聞き取れなかった。おれはジャパニーズ・スマイルでイエスイエスってな具合で。まったく。情けねー><

で、上記した義弟のすぐ上のお姉さん、彼女とはある程度は話せたし、話しやすかった(訛りってことじゃなくて、なんか気持ちの面で)んだ。
でも当時彼女は既に別居中のダンナが離婚を承諾してくれないみたいなことでひどくつらい思いをしていて、笑顔になったときでもすごく悲しそうな表情をしてたのが印象的だった。
でもそんな中の笑顔でも彼女のやさしい感じはすごくつたわってきてた。
ほんでもってもう帰るって日、別れ際、彼女はおれをハグしてくれた。
日本人でそんな習慣のないおれには生まれて初めてのハグで、すごく感動した。
ああハグってこんなあったかいんだって、ほんと思った。
いまでもその感じは忘れない。

それで日本に帰ってきてどれぐらいだろう?2週間?ひと月?、彼女が念願叶い離婚が成立したって報が我が家に入り、おれは両親と「よかったねー」なんて喜んでた。
それで更に何週か過ぎ、またアメリカからの報が入り、でもそれは彼女が死んだ、離婚した元ダンナに殺されたってことだった。

いまでも意味はよくわからない。
でもきっとありきたりな話だ。
やさしい女性がロクでもない男に暴力をふるわれ、殺され。
そんなありきたりは要らない。欲しくない。

妹のダンナを除けばおおよそ自分の州から出ることも滅多にない向こうの人たちの中で彼女はまだ若かったし、日本に遊びに来て欲しかったし、おれは東京案内とかしたかった。
さらにいつか、いい相手にめぐり逢い、しあわせになって欲しかった。
月並みにそんなことも考える。

会える人には会い、自分にできることはあわてることもないけれど、すべきことはすべきだと思いはする。
でも日々の怠惰がつづき、ただ失ってしまうこともたびたびで。
よくわかんない。
なにがどうとかじゃなくて。
うん。
あまり脈絡もない。
日々は過ぎるということ。
自分は生きていて、他人は生きていて、でも死ぬこともあるし。
自分にどうか出来ること、出来ないこと。
どうにもならないこと。
毎日の生活。
不満。不安。

結論もなんもない。
あちこちした感慨があるきりで。
なに書いてんだろね。
まあとりとめはない。
いつもそっか。