國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

おニャン子クラブ A面コレクション Vol.3

おニャン子クラブ A面コレクション Vol.3


なごむねー渡辺満里奈ベスト。
おれもいったいどうしちゃったんだかな。もうなんでもいいよ。
あらゆることがなんでもいい。
死んだらオシマイ。それだけ。
すべては茶番。くだらん。
こんな世界はどのみち100%信じてないし、大体世界の方がおれを相手にしてはくれない。
そんなわけで録画したけど、消しちゃった「野ブタ。」の第一回、インターネットは便利だねー、
久々に見たらやっぱいいわ。なんだろーな、その後を知ってるせいか、山Pのキング振りも
これが意外と気にならない、というか、始めからちゃんと「彰」に見えるじゃないか。これは意想外。
てことはそうやたらとキャラの作り方が変わった、ってわけでもなかったのかなあ。
それともおれが馴れてるだけ?「彰」に。まあそれもあろうし、もっとなんてーか、
表面的なことばづかいやら、動作やらじゃなくて、「彰」の内面や修二や野ブタ。との関係の中から、
「彰」を感じるようになって、それがフィードバックして、こうして登場したばかりの彰を見ても
さして違和感も、キングっぽさも感ぜず見れる原因なのかも知れない。
(ってここまでつづけて書いてみたけど理が通っているかどうかは検討していない。
書いたら書きっぱなし。ま、少しは当たってもいるだろうし、ジグザグしつつもそれなりに
意味もつながっちゃいるだろう。いちいち反省してちゃ文章が止まってしまう。)

80年代

カエターノ・ヴェローゾ、これから聞こうって人には「フェラ・フェリーダ」、
向いてるような気がする。(と、べつに詳しくもなく、リスナー歴もほんの僅かだが、
だからなんか余計に初心者の気がわかる気もするし、いいや)
カエターノ・ヴェローゾ、デヴューは60年代で、活動も当然長いけど、
なんつーか、サウンドのメジャー感、みたいのが出て来るのはこのアルバムあたりからじゃないかしら。
これ以前は乱暴にいえば習作、模索期と、とりあえずいってしまうわ。
(話は当然思い切り端折っているのであしらからず。)
そんでまあ80年代らしさがここかしこにあるわけですよ。「フェラ・フェリーダ」。
聞いてると懐かしい気がして来る。当時知らなかったくせに。
ま、いいじゃんいいじゃん、気分のはなしだ。単に。
どうでもいいんだ。あらゆることは。槍投げ。
なんか気持ちが走ってるなー。おれ。いま。わめきちらしたい気分。
そんなわけでナム・ジュン・パイクも死んだって話しだし、ナムジュン・パイクといえば
対で思い出すのがヨーゼフ・ボイス。すげ80年代っぽい。ああなつかしい。
いまおれんなかじゃ80年代ブーム。これがまたすぐ飽きるんだよなあ。いつも。そんなことはともかく。
ヨーゼフ・ボイスナム・ジュン・パイクってんで、なんか一節書いてもみたいけど、
いかんせん、なんも知らん。なんも思いつかん。80年代回顧がしたいのに。いい題材なはずなのに。
単に名前聞くと、「ああ80年代だなあ」って気がして来る、ってだけでネタがない。
われながらつまらん。はなしをむだに拡げたいのに。もどかしい。

初心者向け

初心者向けってんで、「わかりやすい」とかベスト版だとかそういうのを勧めるの類が
おれはきらいなんだが、そんなわけでカエターノ・ヴェローゾだって、どちらかといえば
「わかりやすい」という括りにもなるだろう「フェラ・フェリーダ」を推すのはどこかおれも
心苦しいんだが、でもこれは「わかりやすい」から勧めたいというのじゃなくて、
なんかさ、これ、ついリピートしちゃうんだよ、一旦聞き始めると。
特に2曲目の♪よそでぎにゃ?ってのがとりあえずクセになって、そっからずいずい
入ってゆけるので、なんかそれで〜、みたいな。

Caetano

Caetano


(邦題:「フェラ・フェリーダ」)
おれだったらフランク・ザッパ、初心者になにを勧めるかって、やっぱ
「We're only in it for the money」だな。フランク・ザッパはでもどちらにしろ
ポップでわかりやすいので、よくさー複雑で猥雑でわかりにくい、みたいなこと、
ザッパに関して書いてあったりするけど、そんなこと、ぜんぜんないじゃん。どこがそうなんだか、
おれは逆に聞きたいぐらいだ。ふつうにとっつきやすいメロディーとふつうの演奏じゃんか。
フランク・ザッパなんて。
We're Only in It for the Money (Omr)

We're Only in It for the Money (Omr)