國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

タイガー&ドラゴン

先だって西田敏行がでたらめなシャンソンなど歌い芸達者なところを見せたりしていて
懐かしい気がしたのだったが、彼がその昔、武田鉄也と2人でお昼の番組で司会をして、
プレスリーのモノマネなどよくしていたのを若い人は知らないのだった。西田敏行といえば、
なんかしみったれた感じの話とそれに応じた芝居をする人ってだけの印象しかヤング諸兄には
なかったりするのだったか。しみじみ。
西田敏行といえばもちろん釣りバカだが、この前観た映画『female』、最後の塚本晋也
よる一篇「玉虫」、中で一番よかったようにも感じたが、そこにはなんかひさしぶりに
見るような気のする石田えりが出ており、乳首をちゃあんと出していたのだったが、
彼女のファックシーンを見るにつけ、つい「合体」という文字のスクリーンに出るのは
いつのことやらと思ってしまったのはきっとおれだけではあるまい。
※ そういえば先日の「宮藤ガングロ」、検索したら一件もなし。勝った!

竹久夢二

竹久夢二美術館には3回ほど、以前より行っている筈だが、今回初めてだよ、
彼がポップだって気づいたのは(すまん。遅くて。)いや、前も一瞬くらいは
思ったかも知れないが、きっと忘れた。おれの持ってるイメージったら、だって
「大正ロマン」て単語ひとつ、通俗も極めたり、なんの示唆もおれに対しては
してくれぬそれだけ、大概の人がそうでもあろう、ただぼんやりとしたものでしかなく
興味の対象外。それが今回ようやくおれの前に浮上してくれた。これはきっとありがたい。
彼が活躍した時期というのはたぶん印刷・製本技術が格段に発達し、一般の学力も上がり、
階級は未だ画然とはあっても、将来に「夢」、即ち階級の上昇といったものも射程に
入るべき世の中には変化して来て、「大衆」というものも誕生したには違いなく、
それに応じた表現が彼(か)の時代に誕生したポップカルチャーというものに於ける
スター、竹久夢二には相成ったと思しい。
とにかくまあ、『夢二デザイン』(ISBN:4894444178)を御覧あれ。
そこにある意匠はただポップ、垢抜けたそれであって、もしいずれか古めかしい
感じのしたとしたら、それはまったく印刷を始めとして技術の限界なのだとこの際思う。
いうまでもなく、その限定された技術はまた独特の表現と成り得ているのは言を俟たない。
あとあれだよなあ、レタリングにおける蓄積ってここ100年くらいできっとスゴイよな。
きっと夢二の頃はフランスやイギリスのそれを真似て日本風にアレンジしたりとか、
しかもフリーハンド、だからちょっとぎこちなくもあるような感じで、しかしその
センスの良さってのは滅法じゃあるのはあたりまえ。
で、コピーライターで作詞家とかなんとか、そういう人で、つまりは婦女子の憧れ、
男子の羨望と嫉妬の的。流行り男。こんなことはもうとっくに誰かが言っている。