國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

文化

いい映画、音楽、文学、その他その他、だからどうしたってなもんだ。
いい音楽だろうが、映画だろうが、状況がよかろうが、わるかろうが、
なんのことはない、一部ギョーカイの話でしかないし、受取る側にしたっておんなじで
映画で幾ら「救い」を観ようが、音楽でいくら「救い」のメッセージを聴き取ろうが、
生活は変わらない。チンケでちまちましてるのは相変わらず。一時の夢、一場の夢。
もちろん世界も変わらない。そもそも人類発祥以来、人間なんてあまり誉められたもんじゃない。
好きなもんだから出来不出来は気にはなるけど、でも結局はどんなに優れたもんであっても「趣味」でしかない。
あるいはドラッグ。現実は変えられないから、しばしの間トリップ。
いや、文化は文化でそれでいいけど、でもなんだろう、人類史そのものが引っ繰り返んないものだろうかと
気になってるのか。その不可能性へとつい思いを致してしまうのか。
それにまた自分のケチな性分も直せるわけじゃないし、生活もしょぼいのは当然で、
人によっては取り返しのつかない事だっていくらでも起きていて、
ああそうか、映画なんかでは救いの可能性が示唆され続けてるからついその気になるが、その気になり続けてしまい、
世界を動かすのがまるで自分の側のような気になってしまっていて、
けどなんのことはない、世界の方は遥かにでかく複雑で、自分なんてその構成要素の全くに卑小な一部でしかない、
ここでも問題になってるのはあれか、「自意識」だ、結局。
自分が自分である以上、自分を最上位に気にしないわけには行かず、
その自分の欲に見合ったものを欲して、現実にある以上に「自意識」が欲を満たす夢を見始める。