國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

思案中のものがいくつかあるが、一通りのこと書く気力に欠けている。第一疲れてるし。
肉体疲労である。肉体カウンセラーってことばも思いついたが展開できない。
「誰も知らない」の感想もある。「スパイダーマン2」の感想もある。
2つともちょっと書いたけど半端なまま。
音楽はどう聞かれてきたか、聞かれているか。映画はどう観られて来たか、観られているか。
とかいう事も書いてみたいが、面倒だ。要は「正しい聞き方、正しい観方」なんてもんはない、
実際みんな色んなパターンで聞いてるじゃん、観てるじゃん、その「色々」を考えてみたい、
ってことだが、もうちょっと色付けたい。色つきの女でいてくれよ、である。
これについては前にもちょこっと書いたが、まったく同じ話である。
年寄りの繰言だから同じ話を蒸し返しつづけるのである。
で、更に音楽というと、ビルボードとシングル盤の話をしたいのである。
ジャズがシングル盤、トップ40以前に隆盛を極め、芸術的にも一度完成したこと。
よって戦後はまったくのアートとして始まるしかなかったこと。
しかしジャズがアートをやってる間に、ポピュラー音楽というものが殷賑を極めるようになったこと。
そして特にビートルズ以降に顕著になるように、ポップスが平気でアートをやってしまう
ようになったこと。それはジャズ以外の黒人音楽においても同様で、ポップスでありながら
平気で革新的というのがありになったこと。それも始めは単なるヒット曲として現れ、
やがては革新性を表立って自己主張するようにもなったこと。
それでいて、相変わらずポップスでもあったこと。
話変わって最近車に乗るようになって、ずっとCD聞いてるが、
考えてみればカセットの出現まで車で音楽を聴くといったらラジオしかなかったのだ。
いかにカーラジオというものが画期的であったか、又その影響。
アメリカじゃいつからFMが普及したのかしら、ということ。
更にまたカセットテープとはなんだったのか、ということ。
音楽の聞き方の変遷、実際、ってやつをとりあえずは並べてみたい。そして理屈をこねるのだ。
映画だってそう。映画は映画館じゃなきゃ、って主張するような人でさえ、実は様々な環境、
様々な機器を通じて、あるいは話を聞いたきりで、実際には観てもいないのに観たような
気になったり、実際観た映画でも脳内変換されてたり、人に話していくうちに、
人の話を聞いていくうちに同じ映画であっても意味合いがどんどん変っていったり、
途中から観たり、途中で観るの止めたり、何度も観たり、最初の方ばかり繰り返しみて、
いつまで経っても先に進めなかったり、又音楽に戻れば、ラジオで聞いてるばかりで
レコードもCDも買ったことも、カセットとかでも、ともかくも自分で所有して、最初から
最後まで聞いたこともないのに自分にとって重要な、或いは嫌いな曲なのに、
意識に上りがちな曲があったり、オリジナルよりも自分がバンドとかやってて、そこで
練習をはじめ、ともかくも自分がカヴァー、コピーして演奏している方が実は回数聞いてたり、
ええと。音楽聞く、映画観る、っていっても実際にはいろいろあるよネ、ってのが言いたかった。
※ アメリカのラジオ放送でちょっと検索して、"LP誕生からCD普及率100%まで"って年表があった。参照のこと。
(LPの出現とビバップ、なんて題でもハッタリは可能だ。)
(そうだ。アメリカにはカントリーってのがあったんだった。⇒"Radio, it's the media"〔日本語だよ〕)
※ ここでディスコについても考えてみたい。
自作自演、自意識の発露こそ最上!、問題意識命!って考え方へのカウンターとしてのディスコ。