トリュフォーってさ、観てて、こう、ぐわーっと感動しないんだよな。そこがもどかしい点。
なんとなく、「いいな」とは感じるんだけどさ。
『アメリカの夜』だって、結構おもしろいんだけど、でも心を持ってかれるような感じがない。
なんか淡々とおもしろいなあ、っていう風。
おれとしてはさ、最近観たトコでいうと、ロメールの『緑の光線』とかリヴェットの『修道女』、
そこらへんだって、観るだに、なんか持ってかれる、なにかがあるのに、
でもそういうのがトリュフォーだと感じないのはなぜなのか、それがどうにも気になって。
なんか話というか、テーマがちんまりしてるせいかなあ。この世界に基本的に満足してるかのような。
永遠を指し示すことへの欲求に欠けるってゆうか。
そのせいなのか、なんなのか、ともかくおれとしてはすげえ感動したいんだよ。1回。
持ってかれたい。『恋のエチュード』はでも、おれ、好きだったんだよなあ。
どんな風によかったのかは忘れちゃったけど。
あれは「ミッドナイト・アート・シアター」で『恋のエチュード(完全版)』てことで放映して、
それ観てだいぶん気に入って、少なくとも2回は観たんだ。
憶えているのは『突然炎のごとく』と話がいっしょで、でもコスチューム・プレイだってのと、
最後らへんで、実はわたし、オナニーしてました、って女性の登場人物の告白めいたもんがあったこと、
そんぐらい。今度近いうちまた観てみよう。
一連のドワネル物観て気になったのは、常に地道に仕事、それも『夜霧の恋人たち』だと
探偵なんてのをやってたけど、でもけしてネクタイ締めて大企業のきれいなオフィスで
デスクワークなんてのじゃないことだよな。おれとしてはだからもっと共感とかしても
よさそうなもんなんだけどなあ。そういえば『恋愛日記』の主人公も管理的な役割じゃ
なかったかと思ったけど、なんか工場かなんかじゃなかったっけ?勤め先。
トリュフォーって、もしかして、そういう風に工場とかの仕事を取材して、きちんと描写するのが
好きなのかも知らんな。『アントワーヌとドワネル』だって、レコードをプレスする過程を
丁寧に映してて、それが結構印象的だし、『逃げ去る恋』だって、アントワーヌの勤める
印刷工場の描写がいいし。つうか、おれが単に人が仕事してるの見るのとか、機械が
動いてるのを見るのが好きなせいも大きいか知れん。
そうだ、仕事といえばロメールの『緑の光線』の主人公は事務系のOLだし、『冬物語』だと
美容師、他はまだ観てないからあれだけど、ロメール映画の主人公もまた、ぜんぜん
エリートとかじゃないなあ。って、2本きりだけで判断したりしてるけど。
でもロメールの場合はたぶん左翼的な意識がそこに働いているんじゃないかしら。
あとそういった階級の女性が好み、ってのもあるかも知れん。溝口健二の場合は社会階層の
低い女性に対しての好みってのがハッキリあったらしいが、それはまた別なような、
そうでもないような。ここらへん、フランスの階級に関しての知識も欲しいところだし、
あとヌーヴェル・ヴァーグ映画の主人公たちの職業って題で一席設けたいところだが、
そんな力はおれにはない。第一面倒だ。
そうだ。フランスのスタジオ・システムによる映画って、ぜんぜんイメージが湧かない。
っつうか、単に知らない。日本やアメリカのそれだったならなんとなくわかるんだけど。
よく考えたらフランスのそれってぜんぜん知らないじゃん。
あとヌーヴェル・ヴァーグ以降のフランス映画っていってもパッしたところのないような気がする。
なんとなくね。だって知らないし。フランス映画はヌーヴェル・ヴァーグでオシマイ。
映画史から敗退。そんな印象。
(おっと。アラン・ドロンを筆頭とする70年代の日本におけるフランス映画、とその憧れ
ってのもあったか。ヌーヴェル・ヴァーグ以降でヌーヴェル・ヴァーグじゃない
フランス映画群てなはなし。)