國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

花粉症と歯医者行った話を書いたら負けだと常日頃から自らを戒めているのだが、
誘惑には勝てない。花粉症、果たして今年からなのか、それとも前から実はそうだったのか、
判然とはしないながら、先日の赤坂行きの際もくしゃみ&鼻水に見舞われていたのだった。
そして昨日から花粉症に軽いカゼを伴う症状を呈して、若干ノドの痛みも覚え、
マツキヨでストナを求める。服用。効いてるのかどうかは知らん。
こういうものはなにより気のものだ。飲んどきゃ気が済む。治ったような気もしてくる。
春は雨と、そして風の季節だが、風ばかりはきらいだ。音が不穏。顔にあたってくるそれが不快。
自然に対するに人間の採れる措置といったら、実は大したことはない。
文明は必然だが、資本主義が幾ら発達したところで、地球は容赦しない。勝てるもんじゃない。
世界を支配したいとの欲望は、大いなる魔法を実は望んでいるに過ぎず、
自然を超越したいのだが、結局は魔法は手に入らない。
自然を完全にコントロールする以前に、地球は人間にとって過酷の度合いを増してしまい、
後は人類滅びるだけ。間に合わない。地球には限りがある。
エコロジーだなんておためごかしはもちろん通用しない。
自然は人間に合わせてあるわけではない。
大体地球に同情する用なぞべつにない。地球はそんなヤワじゃないし、
核爆発なんざ自身の誕生の際のそれに比べたならば屁でもない。
それに地球は人格でもないし、仮に人格を認めたとして、地上の生物、それもたった一種に
なにが起ころうが、どうでもよいようなもんでしかない。大体、生物も鉱物もない。
地上が荒れ果てようが、オゾン層に穴がいっぱい開こうが、そんなことに動じるのは
所詮人間にしか過ぎない。地球は気にしない。
そして再び言う。地球は人格ではない。(けどおれも擬人化して語っているように
なってしまったが、行方知らずに書いているので仕方がない。生活があるので、
気のむいた場合にしか添削は出来ない。それ以上にこれは単なるおしゃべり、行方知らずの
ことば遊び、気の向くままにことばを並べて、気の済むまで、寝る時間が来るまで。
英語で言ったら"Blah, Blah, Blah"。
カネ貰ってるわけじゃないしな。正に一文の得にもならない。無償の行為と言い換えれば、
格が上がるのでそう称することにしようか、などとつまらぬ算段。)
宇宙の一部でしかないもの(人間)が宇宙について考える場合、それはどうしたって、
人間の器量に合わせた見方、納得の行方を捜しているだけでしかない。一部である以上、
それは全体によって動かされているものであって、自ら動いているというのはまったくの錯覚だ。
そう思いたいだけ。自分の身体でさえ、勝手に動いていて、その動きによって勝手に決定が
そのつどくだされ、人はそれに従っているだけ。従わざるを得ない。
ことばによって世界を把握するつもりが、ことばにすればピンで留めておけそうなもんだが、
しかし、物事というのは常に動いてるし、すべてがリンクしている。動いてるものを
動いてるままに把握なんて出来ない。固定化は出来ない。動いてないものなどない。
物事は一瞬たりとも休むことはない。しかもすべてが繋がっている。そして人間は
その一部でしかない。どうにもならない。
一平社員が会社の心配や意義を考えたとて、なんの影響力も持たず、いずれ経営者に
なったとしても、会社の成り行きは思い通りにゆくものではないし、同じ業界の中の
一経営者に出来ることは限られており、更に国内産業、更に世界の同種企業の動向、
ひいては人類全体の動向など把握すら出来るわけはないし、自身の健康や家族の心配さえ、
思ったようになるものじゃない。人間なんてそのうち死ぬだけのちっぽけなもんだ。
明日も知れない、今日も知れない。昨日のことは既に手が届かない。
ごちゃごちゃごちゃごちゃいろいろあって、そのうち死ぬだけ。
人類にしたって、おんなじ。
ごちゃごちゃ・ごちゃごちゃ〜いずれ滅びる。それでオシマイ。
最近DVDになったのでようやく見始めた『新撰組!』のことを書くつもりが自動書記法を
採用しているせいで、違うこと書いてるうちに、もう寝る時間。(と、ゆうべ書いた。)
すべての思想はおまじないでしかない。
幾らことばに整合性があろうとも、論理的破綻が見つからないとしても、
ことばはそれ自身で完結しているにしか過ぎず、風邪ひとつ追い払えやしない。
マナひとつ降らせやしない。雨が降ればただ濡れるだけ。
風には吹かれ、雪には埋もれ、日には焼けるだけ。クッキー・フェイスもやがてヤマンバ
思想である以上、それは世界を掌握し、やがては世界を変えようとの含みを持つに違いないが
その思想とて、世界のほんの一部でしかなく、まわりに多少の波紋を投げかける
ものであっても、ことばで世界を覆うこともできず、動かせもしない。
整合性があるといっても、それは人間が納得しているだけであって、混沌とした世界
(これまた人間の都合でそう思うしかない)の中のやがて消え行く浮遊物ってだけ。
人間の納得というのも、人間の都合で、人間にしか通じない。
人間同士でも通じない。通じる以前にある人と別のある人とは交流もない。
街ですれ違うがせいぜい。