國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

TAKESHIS' Pt.2

週刊文春」の映画欄、評者5人(?)ほどの一言コーナー、おすぎが「ノーコメント。」だった。元々おすぎは北野映画が嫌いだし、それ以前にビートたけしも嫌いでもあるんだろうがそれが今回みたいな感じじゃあ尚更に「ゆるせない!」って感じなんだろうなあ。べつに関係ないからたのしいなあ。こういうことは。しかし。一般人の余禄。
バイク事故はしかし、結果であって、それ以前にもちろん、もう「なにか」を失ってしまっていた。
たけしさんのことはオールナイトのことを書かなきゃならないが、いまは気がノラないのでできればそのうちになんとかしたい。といってどうせまたおんなじ話なんだが。おれは。とりあえずあれだ、一度だけハガキを出したことがあって、それは「イメージ・キャスティング・コーナー」というやつで場面にあった有名人を当て嵌めるといったような趣旨で、おれは「ホモ淀川」というラジオネームで出したのだが、その名前はさすがに読んではもらえず、たけしさんからの「これはだめだ、読めないよなあ」と目論見通りのことばを聴けておれは満足、傍で高田文夫がウケて笑っていて、それまた目論見通り、大体高田さんはゲラもいいとこなので大概なんでもウケる、そんでネタとしては「3分クッキング 今日は麦飯の美味い調理法、講師は池田勇人先生です。」というやつだけ辛うじて憶えてる、若い子たちのために解説をすると昔々、日本には池田勇人という人が首相をやってる時代があって、その人のキャッチフレーズとして有名なのに「所得倍増」というのがあって、そう、先だって「キューポラのある街」の感想のときに正にその「所得倍増」ということばが劇中繰り返されて云々ということも書いた、その池田隼人の言として有名なのにもうひとつ、「貧乏人は麦を喰え!」というのがこれまたあって、そんなわけで件のネタになった、そんで他にも2、3、同じハガキに書いてあり、読まれもしたと思うが、とりあえず(高田文夫だけではなく)たけしさんにもウケていたので、まったくまったくうれしい限りじゃあったのだ。ハガキを読まれる瞬間は震えてた、ひとり、部屋でそんで後にも先にもオールナイトにハガキを出したのはその1回きり、おれには継続性がなく、ハガキ職人にはなれなかった。でもたった1回出して、ちゃんと読まれたんだから、大したもんじゃありませんか。みなさん。来年度は所得倍増ですよ、そんなわけで、おれが。願望。
「その男、凶暴につき」や「3-4X 10月」を撮っていたのは仕事がとんでもなく忙しかった頃のことだ。いまはたぶんそれなりに映画用にスケジュール調整をして、余裕を持って望んでいるのじゃないかと推察する。タレントとしてメチャクチャ忙しい時期にTVの仕事をしながら、週に一度のオールナイトニッポンに出ながら(こちらは休みがちだったとはいえ)、映画を撮っていたんだゼ。ふつうありえないよなぁ。映画撮るのに、ふつう集中するだろうし、他の仕事こなしながらじゃ、まず持たないんじゃないのかなあ。すげえよなあ。とんでもない忙しさの最中、北野映画は撮られていたのだ。ちょっと考えてみればあたりまえのことだが、案外みんな気がついてないかも知れない。
オールナイトの初期の頃、当時勝新太郎黒澤明の「影武者」の撮影で揉めて降板て事件があったのをネタに、それならばカツシンを椅子に縛り付けて、ちょうど「時計仕掛けのオレンジ」みたくして、「影武者」をいい映画だと認めるまで何回でも無理矢理見せる、ってのがあって、あんときは笑ったなあ。(当時、そんな乱暴なことを云う人はまだいなかったのだ。ビートたけし以外に。)まだまだたけしさんが映画を撮るだなんてのがあり得なかった頃のことだ。黒澤明ともカツシンとも特に縁もなかった頃の話。そういえばカツシンの「警視K」が始まった頃、「セリフは聞き取れないし、なんだか好き放題してるなあ」みたいな感想をちょろっと云ってたこともあった。黒澤明でいえば「影武者」について、「あんなゴルフ場みたいなとこを馬が走ってもなあ。」みたいなことを言ってたなあ。
おれはオールナイト聴いてて、たけしさんが「いつかレイジング・ブルみたいな映画を撮りたい」と言っているような時は正直あんまり、ぜんぜん期待してはいなかったもんだった。なんだか泥臭い、センスのない映画にでもなりそうにしか思っていなかった。それもあって、たけしさんの映画を観たのは実はずっと遅れて、ビデオで「3-4X 10月」を観た、それが初めてだったんじゃなかったかと思う。
おれにとってはオールナイトがすべてだったし、TVにたけしさんが出るのはオールナイトのネタを拾いに行ってる、くらいにしか思ってなかったし、オールナイトニッポンだけが本当の「ビートたけし」だった。これは主観じゃない。ほんとうのことだ。オールナイト以外は付け足しにしか過ぎない。だからTVのビートたけししか知らない人が「たけしは」だの「たけしが」だの云ってるのを聞く度、ちゃんちゃらおかしいやい、おまえらなんにも知らんくせに、といっつも思っていたもんだった。それは正直、いまでも変らない。但し、映画監督「北野武」のことはまた知らない。べつのはなしだ。
これは幾度も書いているが、雑誌や新聞の投書欄、他にもなんかそういう風なふつうの人の声がメディアの上で聞こえる場面、そういったところでおれは何人もの人間が「たけしさんのオールナイトニッポンが、憂鬱で暗黒な毎日、死ぬことばかり考えていた毎日、いじめだのなんだの、そういう日々の中で唯一笑える時間、心許せる時間だった」というようなことを云っているのを見た。メディア上だけでも、そうして幾つかの声を聞く、ということは日本全国、どれだけの人間が救われたか、ってことだ。おれもその一人だ。深夜に布団の中で笑い、ウケ、更にカセットに録音したオールナイトを2度3度と聞き、その時間がどんなに救いになったか。これは同じ経験をした人としか分かち合えないのかも知れない。でもともかくそんなだったんだ。「ビートたけしオールナイトニッポン」という番組は。木曜深夜の2時間、ほんとたのしかったなあ、笑ったなあ。わくわくしてた。ひとりだけどひとりじゃなかった。でもでも、べつによくありがちな人生相談みたいのとか青春の悩みを聞きましょう、みたいのは一切なかったんだ、深夜放送の典型的なパターンは。まるきり一切。ひたすら2時間、くだらないこと、その殆どが下ネタ、ただ笑ってるきり、だった。でもでもでも、そうしていてもリスナーには絶対に伝わってしまう「なにか」があった。あの時間には。たしかに。