國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記Pt.2

食料の自給率がどうのとか言ってるの聞くと、じゃーおまえ自分で作れ、畑耕せ、牛飼え、って云いたくなる。国内といっても九州や北海道から東京まで食料がやってきてるんだぜ?その距離が更に遠くなったからって一体なんなのか?どっかで誰かがこさえたもんを食ってる、それは変わらない。
自給でどうのってさ、市場ってものが存在する限り、ある日突然食料がなくなる、来なくなるなんてことはありえない。流通が途絶はしない。経済ある限り。客に物売らないなんてしない。
国内、国外、って分け自体ナンセンス(60年代用語)。鎖国してたって、ココとよそ、よそとココ、って問題は常にありつづける。階級もあれば、地域差も地域差別もある。職業の振り分けもある。それがいまは世界的に拡大してるだけのはなしだ。
っつか、自給率が高かった時代、高度経済成長以前(?)、日本は貧しかった。肉なんてそうそう食えなかった。戦後しばらく、戦前ともなれば飢えて死ぬ人間だってあたりまえにいた。福祉も発達した医療もなかった。みんなコロコロ死んでた。今は途轍もなく豊かで、これでもまだ足りないって言う。
これだけ豊かなのにまだ足りない、まだ足りない、ってみんなが言う、感じるってことはなにか?について考えなきゃいけない。つまりは「オカネじゃしあわせにはなれない」ってことだ。カネはもう既に充分にあるんだから。昭和33年と比べたら。室町時代と比べたら。
じゃーどうしたらいいか? 答え:ナシ
人類が幸福になる方法はないよね。ゼロ。革命しかない。あるとしたら。おれのしかし「革命」ってのは「天の命が革(あらた)まる」ことであって、つまりは奇蹟のことで、当然奇蹟は起きない。
世界中の人類一切がある日突然、みんなさー仲良くやろうぜ、ってなることが革命で、もちろんそんなことない。あるわけない。