恋しくて
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神戸の子と遠距離LOVEしてた話はたまにしてて、それはなんだかおれの中では書きやすいので書いていて、でもそれ以外だとどこか生々しかったり、自分のみっともなさやなんかを晒すのに躊躇があり、書けなかったりしていて。
その神戸の彼女のことはでも逆になんで書けるんだろう?
出会いもつきあいも別れも後ろめたくないから、かな?
人にはどこか話しやすい話で。
ふつうの恋愛話として。
他がどうとかってより、なんていうか1エピソードになっていて。
中身が軽かったとかってことじゃなくて。
でもともかく自分の中でも整理がついているみたいな感じがあるからかも知れない。
おれは10代20代では恋愛なんてことは全くしたことがなく縁がなくって、だからそういう時期に恋愛経験のある人がとても羨ましい。
10代、そしてまあ大学生ぐらいか、そんな年齢で恋愛とかしてみたかったってほんと切実に思う。
もしそうできていれば、いまはもっとヘンなコンプレックス抱えないで恋愛、それに結婚とかだってできてたかも知れないし。
その、いわば無責任につきあえる時期になにもできなかったことで、どうしても今でも誰か女性を求める場合に安定よりも、この年(48歳)だというのに不安定なものを求めてしまっているんだと思う。
思春期~青年期になかったものをいまこのいい加減時期を外れた時に求めている。
そんなの上手く行きっこない。
ただ不安定とか安定とかいって、おれの場合、恋愛に限らない、有り体にいってネット始めるまでは友達らしいものもいなかったし、あとそれに伴い大学は(バブル真っ只中に)卒業したにも関わらず就活とかがまったく出来ずそれ以来、仕事についてはいつも、いまに至るも不安定なまま、低収入なまま、というのがまた輪を掛けてあって。
女性とのつきあいでも、20代半ば以降、まあ学校出た後とかは、経済を抜きにはむずかしくなってくる。
おれが余程の女たらしならば無職で女に食わせてもらってみたいな路線だってあるだろうけど、もちろんそんなタイプじゃぜんぜんないし、その場合だって「無職云々」てのは大学生ならばそもそも発生しない事案なわけで。
社会人てやつになるとどうしたって経済事情は絡みつかざるを得ない。恋愛するにしても。
それはべつに羽振りがよくなきゃとか、大層なプレゼントをしなきゃとかって話じゃなくて。
女性の方だって生活、そして将来を考えざるを得ないわけで。
おれはそして数少ない女性のうちでおれがなんの仕事だろうと収入が低かろうと、そんなん気にしない、いっしょにやってけばいいよみたいな女性には惹かれないみたいなところがあって、せっかく向こうがそのつもりだというのに、おれがそういうのを敬遠してしまうみたいな傾向があり、まったくおれは愚かだとしか言いようがない。
そう、さっき書いたみたいにおれは安心できる相手や生活よりも恋愛に伴う激情みたいのを強く求めていて、それじゃー上手く行くはずもない。
自分の親を見ていれば、結婚した妹を見ていれば、身近にそういうケースがあるのに、ちゃんとパートナーと生活を築いていく、そこにこそある喜びだってあるわけだし、そうなればふわふわした気持ち自体が減じていくことだってきっとあるのだろうけど。
恋に恋してるってことなんだと思う。この年になっても未だ。
そんなのTVドラマや映画で満たしていればいいものを。
なのに現実に求めてしまうだなんて。
そんなことできるのは、していいのは余程の金持ちか、生活はどうあれ、なにがあっても生きてりゃいい、ぐらいの気持ちのでかいヤツにこそで、おれみたいな小心者には手に余るなんてもんじゃなかろうに。
ばかで愚かで仕方がない。
おれが生まれて初めて女性とつきあったのは30歳を過ぎてから。
でももうそうなると経済は重い課題、欠かせない課題にならざるを得ない。
けれどおれは30歳になり、それまではビデオ屋の店長だったりしたのが、ようやく割のいい仕事、週休2日で、給料もわるくなく、残業代はした分ぜんぶ出て、更に都心に職場はあり、帰りはいつでも新宿に寄れて、所沢に一人暮らし、仕事自体は気楽で職場での気遣いみたいのが一切ないところで、まあそんなでようやく気持ちが安定したところがあり、ようやく人並みというにはあれだけど、休日をエンジョイできるようにもなり、職場では気楽におしゃべり出来る相手もいたし、まあそんなで。
気軽じゃあったけど将来性のない仕事でもあったけど、でもおれにはようやく訪れた遊びの時間というか。
やっと余裕ができた、みたいだった。
でももうその時点で30歳過ぎてたわけだけど。
ただ世間知らずのおれは30歳過ぎてるってのがどういうことかよくわかってなかった。
ふつうなら学校卒業したら、あるいは20代半ばも過ぎたら、そして30歳がタイムリミットで、そこで将来から老後に掛けての人生設計、まともな仕事に就くとかマンション買うとかなんかそんな、をしなきゃだめなのに(自分がよくても世間が許してくれない)、それさえ知らず。
ただほんとに30歳で入った会社がいろんな意味でおれにはそれまでになく好都合だったんだ。
客観的情勢はおいといて。
で、閑話休題、恋愛だ、つきあうことになった2人目、その彼女とはすぐに上手く行かなくなり、別れることになったけど、そのときにすっごい思い知ることになったんだよね。
自分の年齢でいえば、もうそれなりの仕事に就いてなきゃならないことが。
それなりの収入がなければならないってことに。
それは失恋と混じり、というかもしかしたらそっち(経済)の比重が大きかったかも知れない、世間知らずのおれが直面した生々しい現実で。おれがウブすぎたってのはひとまず。
あとセックスのことでもすっごいキツかったなー。
彼女とのセックスがどうとかってことじゃなく、なんていうかセックスに関してのコンプレックスが彼女と知りあったことで噴出して。
その彼女はおれとは割と似たタイプで友達も少ないし、世渡りも上手くないし、性的なことにもコンプレックスを抱いていたんだけど、そこらへんは割と共感できたというか、共鳴した分、おれの中のコンプレックスが刺激されたんだと思う。
そして共鳴はしたとはいいながら彼女は女性で、女性の性欲やなんかにも間近で接することになって、それで自分の中の童貞的な部分が強くやられてしまったりで。
(追記:彼女はおれとつきあってる最中に素人ヌードの専門誌でハダカになったりした。彼女自身が性的にコンプレックスあって、その延長というかそういう感じで。おれは当時なんとなく彼女が怪しげなのは分かり、更に口を割らせることもできて知ることにもなったけど。ハダカんなったこと自体はそれほどにはショック受けなかった。なんていうかおれにもどこかそういう気持ちがわかるみたいなところがあって)(あとそうだ、彼女が当時友達になった女の子となんだかレズ的なことがあったみたいなことも聞いて、そっちはちょっとショックだったかも知れない。女性相手に浮気されたってことがじゃなくて、なんていうか、おかしな話だけど彼女に性的に追い抜かれたとでもいうか。自分は遅れてる、みたいな)
で、まあその彼女と別れ、精神的にもどうかしてしまい、電車に乗っててもいたたまれないことも当時度々あり、(適当なこというと)パニック症候群みたいな風にもなったりしてた。
まーほんとにいろんな意味で傷ついたんだなー。心が。
あとそれと一日に7回も8回もオナニーしてたりした。
オナニーしてるとその間ラクなんだよね。生暖かい中に浸っていられて。
気持ちが不安定だと性欲って高まる傾向があると思う。
いやらしいこと考えてると気がラクなんだよね。
現実逃避できる。生理的な感覚も伴った上でだから、確実に現実逃避できるというか。
白昼夢か。意識的に見るそれ。
あまりに落ち込んでしまうと今度は性欲がなくなったりもするけれど。それはそれでキツイ。虚無ってほんとあんな感じだ。性欲がなくなったとき。心がメタメタになって。
あれ?その彼女んときだっけ?性欲なくなったの?それでその後で怒涛のオナニー時期が来たんだっけか?憶えてねー><
それで彼女と別れてからしばらくしてHP始めた。
その彼女が動機になってる部分は大きいと思う。
更にネットのおかげでおれはその後いろいろと救われたし、いろいろと変わったりもした。
一人目の彼女のことは書いてないけど、上記。その彼女のことはまた別の意味でいろいろとあるし、おれには意味合いが大きいことでもあるので書いてないとは言ってもなんもないとかじゃなくて、いろいろある。
で、HP始めるキッカケ(?)のその彼女との失恋はそれなりに当時はでかいことじゃあったけど、今はもうなんかぜんぜん済んでるし、なんかそんなこともあったなー、みたいでもある。
ただ女性とつきあう際に生活・経済問題が大きい課題になってしまうという意味では今でもそうだし、端緒でもある。
ただあれだよな、職場で飲み会の席みたいなとこで出た話で思わされたのは、おれのいまの仕事は経済的には恵まれない待遇のわるい職種なんだけど、おれ自身が生活から逃げてるんだってことなんだよな。
みんな周りは恵まれてはいない中で結婚とかしてるし、相手がなんだろうと、相手の親がどう言おうと、相手の女性といっしょにいたいって強く思ってそれを実行すれば、たとえ砕け散るにせよ、やることやって、だからね。
でも実際のおれは始めから逃げ腰だし、そんなんじゃどうしようもないもん。
そうだそうだ。おれは恋に恋してるとの込みで生活がしたくないんだ。そんなの無理なのに。もう50歳になろうというのに。老後がつい明日の話だというのに。
青春コンプレックスを抱えたおれは結局は大人になりたくなくて、青春がしたいって思いから逃れられない。
ほんとはもっともっと書き足りないことが幾らでもエピソードでも感情や考えもあるので、書けたことはほんの一部で、話し足りなくてしょうがないけど。
それであれだ、「最大の失恋話」ってことですが、それはいまは書けません。
上記の話は当時はすげーショックだったけど、いまはもうとうに済んだ話だし、いま同じような相手に出会ったとしても、自分にも余裕があるしで、昔の自分の話みたいなところがあって。
書けないそれが「最大の失恋話」ってオチ。
追記:
でもまあ大きいとか小さいとかはないよな。時間が経てばそれだけ気がラクになるとかはあるにしても。
どっちがどっちってなもんじゃなくて、出会った相手はいずれどうあれみんな運命の人には違いなくて。
恋愛に限らないし。それは。(小栗左多里「カナヤコ」参照のこと)
思いは具体的にあって、具体的で生々しい分、書けないこと、書きようのないこともいくらもあって。
10年も経てばエピソードとして、それでも話せる場合もあるかなって。
キリはない。考え出したら。答えがあるわけじゃない。