姫野カオルコ

昨今の自分の性欲のありようについて書こうと常ならず思っているんだけれども、
どうにもことばが捕まらない。キッカケがない。
要はもやもやに勃起が伴わない、また女性への幻想の喪失と連動するのか、見知らぬ相手との
いやらしいセックスのようなものよりも、安心を得られる、気持ちの通ずる相手との
逢瀬とセックス、愛、といってもいいかも知れない、を主に最近は望んでいるような気がするのは
きっと気持ちがくたびれているせいかもとか、一方日々くたびれた風じゃあっても
けして不安定で追い詰められた毎日じゃないので、それに応じて性欲も減退(?)気味なのかも、
大体不安が大きいとやたらとセックスを、それも殊更にいやらしいそれを求める傾向があるような気のする、
セックスほど心の慰めになるものはないしとか、なんかそんなこんな。
特に結論のある話じゃない、いつもだが、近頃のなんとなしのやるせない気持ちと性欲についての記述。
こんな叙述じゃぜんぜん思うところを記すに足りないんだが。
一見枯れた人みたいだし。でもいやらしいには違いないんだ。年中もやもや。
ただ以前にあったような焦燥(出来るだけ多くの相手と交渉しなくちゃいけないとか
ヘンタイ的なことをいっぱいしないと負け)みたいな気分は減じているには違いないし、
といって経験豊富な人なぞ前にすると萎縮もするし、気後れもするのはいっしょか、
けど同時に、まあいいか、なんかいいやべつに、みたいな気持ちもありもする。
とりとめないのは毎度。反省はしない。
いやらしさとあきらめと。なんかいろいろ。(ああ。ぜんぜん言い足りねえ。)
肝心要は勃起がいまいち、と。抑えも効かず、つい前フクらんじゃった覚えが最近ぜんぜんありません。
意識的にそうしないと勃起しない。勝手にちんちん勃って欲しいなあ。おれの意思を無視して。
パンツ見えたら即勃起。それぐらいになりたい。いや、戻りたい。
(例えば昨今の女性はジーンズなどの場合、ローライズなのでパンツは見え放題だが、もっとこう、
興奮したい。やらしい気持ちはないじゃないが、もうひとつ冷めてるんだよなあ。パンツ見えるたびに勃起したい。)
やらしい気持ちに勃起の伴わない、このもどかしさ。ああ。若くねえなあ。
(・・・などと気のつくと、つい感慨に耽ってしまう。)
と、以上前フリ(?)終わり。
で。
《 自分との和解、世界との和解、そして人生はつづく 》

ツ、イ、ラ、ク

ツ、イ、ラ、ク


を昨日今日で読了。
中学時代の「坂口」の行動が、実に思い当たるところ大いにあり、読んでて
「うひゃひゃひゃひゃ。ごめんなさいごめんなさい」と誰にでもなく謝ってしまっているのでした。
ああもう。いやあん。恥ずかしい。おれ、正にあんな風だったもん。うぁあ。
で。
姫野先生、ごめんなさい。ようやくようやく読んだのでした。『ツ、イ、ラ、ク』。
(購入自体は出るなり、だったので、その点はセーフ。)
ずっとずっと小説が読めなくなっていて、そもそも本という物自体が、もう長らく御無沙汰。
確かに折に触れ、なにかしら手許に手繰り寄せることはあったけれども、読むのは中々。
中でも特に小説、つまりはフィクションが尚更ダメ。マンガでさえ、ダメ。
フィクショナルな世界へ入るを以って、活字だとこれがダメ。
フィクションに関してはここ数年、映画かTVドラマなどの映像媒体のみ受付ける体質に。
活字だと集中出来ない、というか、気が逸れてしまう。
頭の中で敢えて世界を構築するのがすっかり面倒になってしまっていた。
だから受身で勝手に展開してくれる、時には寝ていてもオッケーな、映画その他ばかり。
けど今回の正月中には是非とも『ツ、イ、ラ、ク』を読破してやろうと思い立ち、今回ようやく。
ああ、これで約束を果たせた。ほっ。
その直接的なキッカケとしては先日の『夜のプロトコル』への参加中( ココとかココとか参照のこと)、
『ツ、イ、ラ、ク』がよかったと書いてあるのをみたことのあったid:akichuさんに
姫野さんとは姫野ファンのオフ会などで2,3度顔を合わせたことがあるし、間近で話をしたことだって
あるんだもん、ぷふい、と自慢する一方、でも『ツ、イ、ラ、ク』はまだ読んでないと、
こちらはこそこそと打明け、それはいけません、読みなさい、お読み ! と云われたのがなにより。
そんなわけで昨日吉祥寺に行ったのは『ツ、イ、ラ、ク』に手をつけてやろうとの思惑もあったのでした。
そうして先日は吉祥寺のタリーズとところざわのスタバで半分ほど読み進み、
今日は今日とて、うちから車で20分ほどの、おれにとっては毎度のモスバーガーで、
午前中にしばらくと、昼メシは自宅に戻り、うどんなど食い、食後再び同じモスへ行き、
夕方までにはめでたく読了。
モスではBGMが80's 、午前の部ではモンテアレグレ農園コーヒーに水、
午後の部はカフェラテに水で席へ。
果たして『ツ、イ、ラ、ク』、設定を知った時点では、いままでのとはちょっと違うのかな、
とか思っていたが、読み進むにつれ、『ドールハウス (角川文庫)』『喪失記 (角川文庫)』『不倫(レンタル) (角川文庫)』『受難 (文春文庫)』『整形美女 (新潮文庫)』、
そういった作品の当然の帰結、おれが次はこうなるだろうと考えていたことが、実に意外の念を持って、
つまりはうれしい裏切りを伴い、しかし、正にこうなるべくしてなってくれた、
そのことのうれしさは、ちょっといま、上手くことばが出て来ない。
(予想が当たってうれしい、って話ではないので念の為。)
アウフヘーベン、とりあえずそんな一言を以っていまは済ませる。
(つか、手がないのでこれで、今現在。ほぼ自分にしか通じないであろう言い方だけれども。)
そうここには「他人」「他者」が大勢いる。なにより。コミュニケーション。
頑なな、頑なにならざるを得なかった『ドールハウス』の「他者」との交渉のない主人公は
セックスと、そしてまた多くの人との交流を、その中でこそ生きている自分をここに来てついに得たんだ。
(それがまた14歳の物語である、ってのはまったくの必然でもある。)
(説明は省略するが。すまん。いまは上手く書けない。)
おれにすればこれは大きな物語だ。おれにとっては10何年か前に初めて、
そう、偶然に出会った『ガラスの仮面の告白 (角川文庫)』に始まる、それ。
(もちろん正確には『ひと呼んでミツコ (集英社文庫)』から、だが、この場合、
大事なのはおれにとって、なので、こうでないと収まらない。)
『ドールハウス』以来、主人公の職業、対人関係は徐々に外交的なそれに変化し、文体には遊びが加わり、
関わる異性との交流はやがて心身バラバラに進行し、そして『整形美女』では2人で1人だった、
といって、それは単純な2極化ではなく、甲斐子と阿部子は『ツ、イ、ラ、ク』に至って本懐一致を遂げた。
(つまりはこれが「アウフヘーベン」と、それをおれは云いたかったに違いない。)
・・・と、以上は野暮な物言いだが、ともかくも、いわば集大成。これは。姫野カオルコの。
おれ自身もしかし『ガラスの仮面の告白』に涙したあの頃からしたら、随分変わったよなあ。感慨。
現在はいわば泪橋の向こう側に渡ったともいえる。
もちろんこっち側に来てからだって、人生は続く。人生にはいつだって続きがある。
『ひと呼んでミツコ』のミツコにも。『ドールハウス』の理加子にも。
『喪失記』の理津子にも。『レンタル(不倫)』の理気子にも。『受難』のフランチェス子にも。
『整形美女』の甲斐子、阿部子にも。
『ツ、イ、ラ、ク』の隼子(じゅんこ)、教師だった河村や、彼女の同窓生達にも。
そして『ツ、イ、ラ、ク』を読む人たちそれぞれにも。