國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

映画鑑賞

本日観たのは成瀬巳喜男「娘・妻・母」大島渚「日本の夜と霧」橋口亮輔「ハッシュ!」でした。
そうだそういえばゆうべは岡本喜八「江分利満氏の優雅な生活」も観たんだった。
「娘・妻・母」はいきなり貸付信託だかなんだかの勧誘から話が始まり、もっぱらカネの話に終始する
相変らず観てて厭な気持ちになる映画なのだった。全然心があったまらない。
それどころか観るだに気持ちがザラザラして来る。心はひんやりとするばかり。
成瀬映画ってストーリー自体もやりきれない場合が多いんだが、
それ以上に要所要所にある実に微妙な人と人のやりとり、そのザラツキ具合、うわべなつきあい、
そういったものがひどく現実味を帯びていて、ゾッとしない。
同じ日に観たので例えば比べてしまうと「ハッシュ!」なんかはまったくもって明るい、
人間を信じている、暖かみのある映画なのだった。観た後、ホッとする。
もちろん映画としての優劣の話とは違う。ただ観ていて感じる監督の世界に対する見方についてといったところ。

  • ちょっと「娘・妻・母」で調べたところ「正月映画として大ヒットし」たという。
    正月早々に家族でこれ観て気不味くなってその後一体どうしたんだろう。
    会話しづらいよなあ。「原節子、きれいだったわねぇ」とか言って誤魔化すしかないだろうじゃないか。
    そうでもしないといやな沈黙が訪れてしまうゾ。

さてまた「ハッシュ!」だが、片岡礼子といえばもちろん「北京原人 Who are you?」
について触れねばならないのはお約束。
あれ以上はちょっとあり得ない無意味なヌード。
誰しもが指摘するようにあれほど脱ぐのに必然性のない映画は他にない。
あそこまでいけば既にもう芸術を遥かに超えて形而上学的世界であって
常人の更に意識の向こうを指し示す余りに理解不能ではあった。
とりあえず片岡礼子的にあの映画は果たしてキャリア上抹殺の対象なのであろうか?やはり。
閑話休題。秋野暢子がとてもよかった。すごく色っぽかった。
靴下脱いで自ら揉んでいる足のアップと後ろ向きに上着を脱いでブラジャーだけになった背中がとてもよかった。
それ以外にも誰かのアパートの中でも、そば屋でも、ともかく室内のシーンが
それぞれ丁寧に描写されていて、家具調度というだけでなく、そこでの登場人物の
振舞い・表情がみなよかった。
「日本の夜と霧」は昔観た時は褪色していて、印象としては殆どセピア色だったので、
今回観てちゃんとカラー映像だったのがおかしな話だが意外だった。
なんとなくモノクロのような気がしていたのだ。
しかし、これ、全編ワンシーンワンカットでしかも
セリフの言い間違い、淀みが多いので観ていると緊張する。そこらへんも又、味でよい。
あとあれだ、60年の安保闘争だの全学連だのいってもロクに知らないが、
こういうの観ると倉橋由美子の「パルタイ」を思い出します。
(蛇足:「パルタイ」=「パーティー」=「党」。要するに日本共産党のこと。)
あとは吉本隆明の「擬制の終焉」とかさ。
そいで本日見た「娘・妻・母」「日本の夜と霧」、その前に観た「妻は告白する」
「女の座」「世界大戦争」なんかはみな昭和35、6年の作品で丁度日本の転換期、
世間は明らかに変化し、(「娘・妻・母」には先端的な道具として掃除機が登場するし、
洗濯機はまだない、手洗い、作品中の家族がそれぞれ、戦前・戦中・戦後の価値観を
映し出す人物になっているのがとても巧みだし、興味深い。)
しかし依然戦争の記憶も鮮やか(だって戦後15年、現在から15年前を考えてみればわかるが、
つい昨日のことに過ぎないし、41歳になろうというおれがそれでも既に25歳だった、
それくらいの昔でしかないのだ。第一今年で平成"16"年、
昭和の終わりは大して遠くじゃないじゃないか。)、
まだそんな頃。
「娘・妻・母」で印象的だったのは草笛光子と小泉博の夫婦がDINKS(死語だが。)だったこと。
彼らは共に教師と幼稚園教諭であり、子供はいない。
仕事の帰りにはいつも二人待ち合わせて帰る。
休日にはコンサートや映画(3本立て55円と云っていた)に連れ立って行く。
部屋にはステレオ(?)があり、レコードを聞く習慣がある。
そしてそんな二人を姑は快く思わない。
また旦那の方はどちらかといえば自分の母親に強くは言えず、
その母親も息子にべったりな気味がある。
なんだか安直だが、とても現代的じゃあないかと思ったのだ。