國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

1977

先日の「速報!歌の大辞テン!」は1977年のベスト20だった。
殆どの曲を憶えていた。ま、当時のヒット曲ってのはなんかそんなもんだ。中学生だしな。おれも。
当時はもう既にロックしか認めん!て感じじゃあったし、アイドルには全くに関心がなく、
歌謡曲なんか大嫌いだったが、それでもこうして結構憶えている。
おれにとってこの年がなんか特別な感じがするのはきっと中学3年という
最高学年の余裕と受験を控えていたことと、それに結構充実してたんだな。その頃は。
高校に入った途端にちっともおもしろくもなんともなくなったのと対照的だったのも
より印象を強くしているのかも知れない。
といっておれの中学3年がそんなにも素晴らしかったとかってわけじゃないけど。
でもまあわるくはなかった。受験勉強も楽しかったし。ともだちとまでは気安くは言えるところまでは
行かなかったんだけど、それでもまあ親しくする相手もあったし。
ようやくだ、その時になって、まわりに馴染めたんだな。きっと。余裕が出来た時期。
クラスの雰囲気もわるくなかった。少なくともあからさまにいやな感じとかはなくて、
おれはホッとしてたし、なんかみんなでサッカーとかしてても楽しかった。
おれに居場所があったんだな。あの時は。結構ちゃんと。
その頃一番の悩みは性欲だな。やっぱし。
持て余して持て余して、どーしよーもなかった。ちんこ勃って、ちんこ勃って。
いまはもう40歳過ぎていろいろと余裕もあるが、しかしその分ちんこは滅多に勃たない、
中学3年だもん、精神的な余裕なんかこれっぱかしもないょ。
ま、その後もずっと長い事余裕なんかなかったけどさ、ともかく。
それでいまは余裕があるんだかないんだか、人生の儚さがついと先に立ってしまいがちで、
ちんこの勃つのはなんか後回し気味。セックスなんてなぁ、むなしいよなぁ、とかなんとか。
いや、性欲はあるし、制御も出来るもんでもないけど、でもさぁ、なんかセックスに心を振回されるのが
もうなんか面倒くさいというか、時間が勿体無いっつうか。人間なんて性欲以外のことなんて、
ほとんど大したことなんかないんだけどさ、なんかそのことがそもそもかったるいっつうか、なんていうか。
そうか生きてることがなんだかよくわかんなくて、やりきれなくて、セックスもそのうちだから、
同じくむなしい、と。まあそういうことでもあるか。要はすべてがむなしい、と。
なんだか益体もない結論だ。幾ら論じてもオチは常に凡庸に止まる、か。
閑話休題。1977年の歌謡曲。
阿久悠が大活躍、絶好調。
歌謡曲というのは常に作詞家がスターになる仕組みで、作曲家は常に裏方だ。最近は違うけどな。
プロデューサーとかそういうの。
でも一方J-POPになった今でもみんな何を聞いてるかといったら結局歌詞だ。
歌謡曲、そしてJ-POPでも、カギはやはり歌詞だ。
いま「自分らしく」ソングがこんなにも全盛なのは、正にその証拠。
プロじゃない、素人上がりの連中が歌詞を書くようになったから、尚更に歌詞に力点があるのが明白になってしまった。
プロだったならニーズを作り出しもするだろうが、トーシローの仕事だ、自分のニーズに忠実に、
つまりは客観性のない自分賛歌があっぱらぱー、結果うるさくって仕方がない。鬱陶しいばかり。
けどまあそれがウケるんだな。実際。ニーズど真ん中なんだから仕方なし。
自分なんてほっといたって自分なのになあ。いまさら「自分らしく」だなんて必要ねえじゃん。そもそも。
自同律の快感。
で、なんだっけ。当時のヒット曲だ。いかん。
キャンディーズでも西城秀樹でも誰でもいいんだけど、歌謡番組に出るとバックバンドがブラスが中心で、
プップクプーって終始吹いている。いっぱい吹いてる。それにドラムがパタパタ
なんとも軽い音で、それでいて、ドンドンドコドコ、軽快じゃない叩き方。当時はまだまだ
ロック、ポップスなんかに合わせた演奏ってのができてなくって、なんとも洗練されていないのが趣き。
それに比べたらいまどきの歌番組の演奏なんて、まったくにスキのない、間抜けな感じのしないものになっていて、
えらく進化したもんだ。サウンドはともかく立派になりました。歌謡曲。いや、J-POP。
※ 1977年のベスト20、ちゃんと起こしたいところだが、あとで。気が向いたらやりたい。