國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

チョン・ジヒョン

チョン・ジヒョンが観たいので「4人の食卓」観たいけど、映画そのものも少し気になるが、DVD出るまでつい待ってしまう。
そうでなくても、さあ観に行くぞ、観に行きたい、とは思っていても、
時期を過ぎるとDVD出るまでいいや、と熱が冷めてしまうのは毎度の話。
腰が重い。カネがない。
おれはいつでも昔話ばかりだが、学生の頃は滅多にロードショーになんか行かなかった。
まだ名画座があり、そこに落ちて来るまで待っているのが常套。
3本立てで、しかも安く(600〜700円?)観るのがあたりまえで、そうじゃないとなんか損した気がしたものだった。
今はもう一日を映画館で潰す気にはならない。
映画を幾ら観ても、小説をいくら読んでも、自分の人生はチンケに終わっていくだけだ。
何の足しにもならない。脳みそを幾千回、幾万回と揺さぶったからって、いずれ脳みそだって土に帰るばかり。
そう思うと虚しいが、そんなこと考えなけりゃいいんだよな。
例えば映画評論家みたいな人とかって、こんなに毎回毎回映画観ては感想を得て、時には感動して、
そればかりをひたすらに繰り返していて、一体それがなんなのか、とかって疑問を抱いたりすることはないんだろうか?
映画観て30年前に感動した、今さっき観た映画に感動した、つまりは「映画を観て感動をする、感動しない」という点では
撰ぶ所のない行為をただ繰り返しているに過ぎない、ってことにゾッとしない感じを抱いたりはしないんだろうか?
そうだおれはきっと「映画を観ても結局は現実はなにも変わらない」ってのがやりきれないんだ。
30年前に革命を夢見た、そして今も同じ夢を見ている、そうなにも変わってない。
夢見る行為は楽しいけれど、結局は自分のチンケな人生に帰ってゆくだけ、つまらぬことを気にする毎日が、
気持ち悪くてバカバカしい現実が、ただただあるだけ、事件の当事者が自分でなかったのを
幸いと思うしかない日々があるだけ、つまりは自分のことをちんまりと気にするばかりが人生そのもの。
映画も小説も音楽も、その場限りの慰め。なんの保障にもならない。革命は起きない。起きる筈がない。
昨日も映画を観た。また明日も映画を観る。映画館に行くかも知れない。ビデオで観るかも知れない。
そして30年前にも映画を観た。