國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

吉田喜重

行って来たよ、東中野。
着いたのはまだ11時半くらいで、「洋包丁」は既になく、ラーメン屋になっていて、そこで昼食。
美味いとはいえない。そしてミスドへ。映画自体は14時半からで大分時間がある。
なにをしてたかったっていうと「ブルーノートの真実」を読んでいた。残り分、開映以前に
読み終わった。ジャズが好きな人も、特に関心のない人も、どちらも読むがよろしい。
おもしろいょ。それに感動する。で、ともかく、吉田喜重。なにせ全く早くに到着したので、
整理券番号は3番、そして開映時間近くなり、ミスド(会場のポレポレ東中野のごく近く)
を出て中に入る間際、擦れ違った。岡田茉莉子&吉田喜重夫妻と。アレ、今日来てるんだ、
予定には書いてなかったのに。そう、2人は来場していたのだった。階段降りて中に行くと、
やがて2人が来て、テーブルを前に座った。ちなみにポレポレ東中野、ロビーはメチャ小さい、
狭い。パンフレット買うとサインしてくれるらしい。つうか、目の前にモノホンの岡田茉莉子がっ。
モノホンだよ。どうしよぉ。なんかいいのか、こんなちっちゃなトコで、おれごときの目の前に
いたりして、とか思っちゃったり。それで旦那の吉田喜重は非常に小柄、というか痩せてて、
ジャコメッティの彫像並みの体型だった。
さて、そこに集まった人たち、年齢層は高く、ギョーカイ人ぽい人も多く(?)、そして総じて
ファッションがダサイのだった。まあ、若いもんも少ないしな。茶髪、ピアス、そういうタイプは
いないのだった。おれはもちろんその中にあって、ブランド物(ユニクロ)で固めてまるで
COOL TRANS」から抜け出たような出で立ちであったのは言うまでもない。男の方がそれで
多かったかなぁ。オシャレ、ってことにすればいいのに。吉田喜重。もっといっぱいコジャレた
若いおねーちゃんとか、おれとしてはいて欲しかった。眼福の為に。その程度しか楽しみは
ないんだからさ。日々の生活で。通りすがりにかわいい女の子見かけて、ああいいなあ、
おともだちになりたいなあ、と思うくらいがせいぜいの。
で、映画。「エロス+虐殺」、これ、以前ビデオで最初の20分くらい観て、それきりだったので、
ずっと気持ち悪かった。今回こうして全編ぶっ通しで観れてスッキリしたよ。どう考えても眠くなる
映画だけど、寝ずに済んだし、行った甲斐があった。これくらいの時代(60年代後半から70年代
初頭くらいか)って気のせいか、脱ぐ女優さんて、みんな無名で、スタイルや顔も割りに平凡な
気がする。従来よりスターをやってた女優さんたちは中々、脱ぐってことも今更し難くて、
時代的にもヌードになる、ってことには現在とはだいぶん違う、大きな大きなプレッシャーが
あったのじゃないかと憶測する。そうするといざ脱いでくれる女優さん、ていうと無名の人、
ってことになっちゃったんじゃないかなあ。しかもその人たちはその後も無名で、
今には残っていない。そんな気が前からしている。
吉田監督が映画が始まる前の挨拶で、
「この映画のラスト、大杉栄たちの死体が横たわっているのは、今ちょうど都庁の建っているあたり」
と、コメントの最後に付け加えていた。
と、とりあえず。
で、さて。
音楽は一柳慧で、この人の名前を見る度最初に思い浮かぶのはいつもオノ・ヨーコだ。
それはともかく、音楽はサイケなブルース・ロックだったり、モダンジャズ風だったり
(オルガン入り)、当然現代音楽風だったり、尺八の演奏もあったり(劇中、高橋悦史が吹いている。
たぶん吹替え。というか、開映前に岡田茉莉子はこの映画について、当時はピンマイクなんて
ものがなく、この手の野外ロケのあるような映画だとアフレコで、それがこの「エロス+虐殺」
では納得の行くように出来てよかった、といったようなことも言っていた。)、
いかにも69年の映画っぽく、おれとしては満足だった。
ところで、あのサイケなバンド演奏、誰がやってたのかなあ。気になるなあ。調べればわかるのかしら。
そしてこの手の映画に付き物な、無表情に、生硬なセリフを力んで、時には絶叫調で言う、ってのが
始まったのは一体どの映画が端緒だったのかしら。演劇っぽい、とも言える、あの調子。
わかった。「エロス+虐殺」のサントラやってたバンド。⇒コチラ
エイプリル・フールだってさ。