國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

フリッパーズ・ギター

オザケンついでにフリッパーズ・ギターも聞いてみる。
「恋とマシンガン」てこんな小洒落た曲だったんだ!生まれて初めて聞いた。
よくまあこんなもんがドラマの主題歌とかになってたよなあ。
おれは「ヘッド博士の世界塔」のジャケをレンタル屋時代、かろうじて見た覚えがあるくらい。
彼らのことは当時殆ど知らなかった。
彼らのデヴューが89年というと、おれにとっては大江千里とか渡辺美里とかBOOWYとか、なんかそんな感じ。
いや、もちろん好きで聞いてたとかじゃない。そういったCDを貸してたのだ。
ほんといやだった。そういうの。第一おれは70年代止まりのオールドスクール
ロック・ファンだったのだ。ともだちがいないのもあって、そこらへんに固執していて、
新しいものなんか知らなかったし、邦楽なんてまったくのスルー。
そしてまだJ-POPってことばのない頃。J-POPの前身時代。
当時音楽番組は「ミュージック・ステーション」以外ぜんぜんなかった。(たぶん)
音楽番組は壊滅状態だったのだ。「ザ・ベストテン」が終わったくらいからしばらくは。
それがいつ解消されたのかは年表でも辿ればわかるのだろうが、面倒くさいのでトバす。
TVからベストテン番組が消え、そして昭和の終わり〜平成の始まりと共にレンタル・ビデオ&CDが
爆発的に拡まった。天皇崩御の日、おれがいた店でもビデオの棚はほぼカラになった。
みんななんでもかんでも借りてった。たぶんそれまでレンタルの習慣のあまりない人でも。
そしてしばらくしてシングルCDの全盛期に突入。
きっとそのうち「HEY!HEY!HEY!」とか始まったのだろう。
ベストテン番組の消滅〜シングルCDの隆盛(ちょうどこの頃から、ヒット曲なのに口ずさめない
人多数云々て話が出始めたんだと思う)〜ベストテン番組の復活⇒J-POPの誕生。
(という図式を考えてみました。これでどうしたいんだかはそのうち考える。
なんんかおもしろい理屈をこしらえたいもんだ。)
オザケンを聞くようになってあらためて彼の年齢など考えてみると、おれと5つしか違わない。
なんかもっと年下のヤングい世代の人とばかり、よくも知らずイメージを抱いていた。
けどもう10年以上前の話なんだもんな。おれがやっと近頃、その当時、おれの与り知らない
ところでなにが起きてたかに関心を持つようになったわけで、こういう具合。
ネットにある彼のROジャパンでのインタヴューなんか読んでも、「ヴォネガット
「アーヴィング」「ラテンアメリカ文学」等、ぜんぜん文化的関心が80年代のそれで、
おれでも知ってるよ、それ、って感じなんだもん。イギリスの当時流行りの音楽とかは
ともかく、そこらへんのアイテム名ならばおれにだって馴染みがある。というわけで、
そうかあ、オザケンて、もう昔の古い人なんだ。あらためて認識。

青春歌年鑑 1989

青春歌年鑑 1989