國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

家族

我が家のほのぼの家族のこと、書きたいなあって、だいぶん前から思っているんだけれども
どうもそういうの躊躇いが出ちゃって中々だめだ。口で喋ってる分にはいいんだけどさ、
いざ書くとかそういうのんになるとなあ。でもほんとは書きたい。大したことがある
わけじゃないし、せいぜいおれにとっての意味しきゃないけれども、でも書くことが好きな
おれはやはり家族のことはいつか書きたい。別にドラマはないけれど。あんま面白みも
ないけれど。特に昨日みたく『大阪ストーリー』とか『あんにょんキムチ』みたいの
観てると、ずっと自分の父親のことやら妹やら母親やらのことを考えていたっけ。
家(うち)は取るに足らない日本人のほのぼの一家にしきゃ過ぎないけれど、でも家族の
ことって、どうしたって考える。年食えばまたそれなりに考える。
昨日『あんにょんキムチ』観てたら、監督のお父さんが余計なことあんまり言わない、
真面目そうな人で、よい印象で、それに比べると家のお父ちゃんはなあ、ずっと
喋ってるんだよなあ、ひっきりなし、それもうんざりするような話題が多くてなあ、
コンプレックスの塊で、TV見てても成功した芸能人とか見る度に罵るようなことばかり
言うので、ほんとやんなっちゃうんだけど、でも一方、父親はおれには甘くて、
いい年したおれにも気を遣ってくれ、そんな父親におれは甘えている部分もやはりあり、
うんざりもする一方、好きなところもあるし、愛してるかと言われれば、これは愛してもいて、
そんな父親は実の両親をほぼ知らず、義理の母親に育てられ、けれど戦中戦後にも食うに
困ることもないような家でお坊ちゃま育ちな部分もまたあり、結果わがままな性格にも
なり、それでいて社会的には負け組、一介の肉体労働者でしかなかった分、劣等感に
拍車が掛かり、先述の如く。でも70歳過ぎた今、毎日ごはんづくりをし、洗濯もする。
ごはんはでも、おれはいいんだけど、母親が残すと(なにせ自分が基準なので量が多い。
種類が多い)、ぶつくさうるさく文句も言い、それが毎日、ほとほとうんざり、でも
長野県人だからキノコ採りは出来るし、デブなのに運動神経もよく、いまでも週に1回、
近所のテニスサークルでテニスをやってたりするし、運転の苦手なおれからすれば、
首都高速を難なく走ることの出来る、裏道にも詳しい父親はどこか自慢で、料理も上手いしさ、
昔はおれの為にカブトムシ用の、その頃サッシ屋で働いていたので、そのサッシで、
でかい、幼虫も育てられる箱を作ってくれ、親戚の花屋から腐葉土を貰い、カブトムシを
育てる手伝い、実質、父親がやってくれたようなもの、見事タマゴから成虫にまでなるのを
見届けることも出来たし、なんかな、複雑な思いがあれこれあるよ。まあありきたりな話だ。
それに陰惨な家庭、悲惨な家庭、ってのは世の中にいくらもあり、そういうのを考えると
まったくに家なんかはほのぼの、としか言い様もなく、自分が結構恵まれてもいることが、
どこか申し訳ないかのような気持ちもしたりする。よくわからない。自分の人生しか
生きられないし、もちろん不幸になんかなりたくはないし、欲はいくらでもあり、
もっともっとと毎日思いもしてはいるし。
お父ちゃんかぁ。
おれの母親がおれの妹を孕んでいる最中、どうやら彼氏、女を作り、しかも家に引っ張り
込んだりとかしてたらしく、それは割りに最近知った話、道理で妹の赤ん坊時代の写真などは
殆ど見当たらない、おれのは2眼レフで撮ったやつがいっぱいあるのに、それはともかく、
いまでもうちの父親、「女は太ってる方がいい」だの「おっぱいが大きい方がいい」だの、
お母ちゃんの前で平気で言うときがあり、まったく無神経、デリカシーってもんがない、
ちなみにおれの母親は太ってるでなく痩せてるでなく、胸はふつう、けど、それじゃ
彼にはきっと物足りないんだろう、それでそんなことを言う、しかし、自分のかみさんの
前でそういうこと、言っちゃうんだもんなあ、なんかなあ。デリカシーねえよあなぁ、
ほんとに。それでいて、ともだちのいない、できない(そこらへんの性格、おれが
受け継いだわけだとは数年前にようやく気づいたが)うちの父親にとっては唯一最大の
話し相手、ともだち、わがままを聞いてくれる相手、実の母を知らない人間にとっては
母親でもあるだろう、おれの母親のことは愛してるには違いなくもある。あんな性格の
偏った男と40年以上連れ添って来た、うちのお母ちゃんもいい加減えらいと思うが。
その御蔭でいまがあるわけでもあるしなぁ。両親揃っていることはおれには幸福の
一助ではあるし。ともかくも夫婦とか結婚とか、時間が経ってみないとなんとも言えない。
どうなるものやらわからない。といって、長の年月が経ったといって結論の出るもんでもなし。
おれの母親と結婚したのが、父親にとって、人生上最大のラッキーだったんじゃないかとたまに
思うこともあり。そうじゃなかったら、ホームレスとかになってもおかしくないもんなあ。
性格からして。サイバラが昔、池袋にほど近い、あまり柄のよいとは言えない東長崎あたりの
定食屋に集うオヤジの描写なぞしていたことがあったが、「世界はおれが動かしている」
みたいな類のことをいうタイプ、なんかそういう人に近いもんなあ。うちのお父ちゃん。
昔の池袋北口あたりが似合う感じだったよ。おれが小学生くらいの頃までは特に。
なんか雰囲気が。おれ、そこらへんの飲み屋に連れてかれたような記憶もあるしさ。
その頃はよく、夫婦ゲンカ、100%父親が悪い、しちゃあ、おかあちゃんが自転車漕いで家、
出てっちゃったりとかしてたからなあ。昭和だなあ。しみじみ。いまとなっては。
ノスタルジーを感じるね。こうしていつか余裕が出来るだなんて、昔は思わなかったけど。
父親も昔に比べれば随分と丸くなったし、母親は強くもなった。それになんか今は
2人仲良しみたいに見えることもあるぐらい。お母ちゃん、よくゲラゲラ笑ってるし。
なんか家の中、もっと暗かったよ。むかし。それでおれの子供の頃からの夢は両親が
仲良くなること、だったから、おれの夢は叶ってしまった。なんか不思議。
とりとめなく書いてはいて、あちこちしてて、もちろんぜんぜん書き足りなくて、具体的な
エピソードの数々も披瀝したく、それに当然母親のこと、妹のことだって、おれは書きたくて、
『あんにょんキムチ』、監督の妹が出て来るじゃんか、おれ、やっぱ「妹」って出てきたり
すると、なんか「ああ、妹なんだあ」って件の映画に限らず、TV見ててもなんでもちょっと
特別な思いがして、電車の中で、小さな兄妹みたいなのを見かけると、これまた
甘酸っぱい思いにもなり、おれの妹はぜんぜん甘えてきたりするようなタイプじゃないし、
我が家で一番のしっかり者、おれがしょっちゅうメソメソしてるのとは対照的、そして兄妹、
どこか遠慮がちな付き合い方で、おれが妹のことを思うほどには、彼女はおれのことは
思ってるわけでもないだろうし、憎んでるみたいに言われたこともあったし、
コースアウトしてしまい、ごく真っ当な就職だのなんだのが出来なかったおれのことは
きっと恥ずかしいに違いなく、でも2人きりになるとやさしかったりもして、そして仲が
わるいわけでもなく、けど、妹といっしょにどこかに出掛けたりする人がいるけど、
そういうの羨ましいなあ。まあそんな感じ。で、おれの妹はたとえアメリカに住んでいようと、
ドリカムとかそういうJ-POPが好きで洋楽(って呼び方もアメリカ在住でヘンだが)
なんか聴くもんじゃないし、映画とか大して観るわけでもない、ふつうのタイプで、
唯一おれが昔教えた大島弓子とかくらもちふさことかが、おれとの共通項。
おれが「LaLa」とか「花とゆめ」とか読んでる頃、あの子は「なかよし」で
「キャンディ・キャンディ」とか読んでたんだと思う。