疲労
あとあれだ。疲れてるんだよね。毎日。それも相当に。
だからそのストレス解消的な意味合いもある。こうして書いたりってのには。
疲労って、でもこの場合、肉体疲労の度合いが強いが。
家にいればいたで、TV見たりいろいろしたいし、休日にはなにもアテがなくとも出かけたくてしょうがないし、
いったいはたしてどうしたらいいのやら。心がうずきっぱなしなんだよな。四六時中。
といって、仕事とかは割りにまじめにこなす小心者。
ちんまりと生活している、していたい思いがあって、けどその生活はこれまでの人生、
それほどの大きなことのあったわけでもないけれど、一般的にいえば、常に下の方でありつづけ、
これからも展望はないし、だからそれなりに老後も含めた生活、特に経済面のアテがあれば
いつだってそうしたく、でもヘンにまじめに働きたい、ちゃんとやりたいとか思っているのが
しかし実際にはアダで、それがために世間に馴染めなかった要因でもあるのが納得できず、
けど、世の中なんてそんなもんで、仕事ってのは実は業務処理のことではなく、
なによりも社交であるのに気づいたのも三十を幾つも過ぎてからのことで、
業務を効率的に処理することを優先すべきとか思っているおれみたいなのは結局、
昇進もできないし、そもそも人づき合いさえなくいい年まで生きていかざるを得なくて、
気がつけば結構な年で、もう手遅れ。
でだ。結局どうしたいかっていうと、なにかきちんと定年まで安心して働けて、
それなりに老後のアテもできるような仕事に就いて、その上でTVだの映画だの
はてなだのたのしみたい。なんかそんな感じだ。きっとたぶんあすあさって。
仕事には、どんな仕事であっても興味はないけど、ハッキリと好きなことがあって
頭はいつだってそっちでいっぱいだから、働くことは厭わないもんな。おれ。
でも安定した仕事に就いて、その上でゆるりと遊ぶ、ってのだけでもそれなりに
いろいろな条件に恵まれてはじめてのことなんだけどさ。もちろん。
おれなんかそれでも、結構恵まれている方でもあるとも思うと、どこか後ろめたい気もいつもしてしまう。
そんな必要ないのにね。なんかさ、自分だけいい思いをする、ってことへの気兼ねがいつもある。
それには倫理ということもあるし、そしてまた自分がいつその不幸の方へと転じるかとの
恐怖もまたある。人間、いろんな思いがいつだって交錯している。思いはひとつってことはない。
あれもほんとこれもほんと。リリー・フランキーの言う如く。
http://d.hatena.ne.jp/andre1977/20040622#p1