國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

Sweetnighter

Sweetnighter


はあ。せつねーなぁ、なんかなぁ。
なんかねぇ。
朝から晩まで。
いまは紅茶飲んでる。朝飯におにぎり食った後で。
映画も観れないんだけど、他にも景色、別に風光明媚なそれってんじゃなくて、なんていうかさぁ、
単に車窓(それが電車でもクルマでもなんでも)から見えるなんでもない景色、そういうのに
たまに感じ入るのが好きだったりもしたのに、最近はそれもまただめ。
それがなんでかがもうひとつわからない。うまく説明できないんだけど。
以前ならそういう景色や、過ぎ行く人たちを見て、あれこれ思いを馳せ、イメージを膨らませる
っていったらいいのか、そういうあらゆる目に映るもの、すべてにつながりを感じて
世界の豊かさを想起して興奮する、なんてことがあったんだけど、最近はそれがだめ。
その世界の豊かさ、ってのが自分が求めるものとは違う、おれの求めているものはもっと下俗で、
見栄を張った、なんだかそんなもので、それを得られぬまま生きて来ているのに、
そんなその場の頭の沸騰でしかない、フィクションめいた「世界の豊かさ」なんかじゃ、
おれの心の疼き、切なさには対応してくれない、映画を観るのも、景色を見るのも、どっちもこっちも、
そんなこんなも、結局は一時の気の迷い、クスリやってるのと変わらない、映画館で友情やら
セックスやら恋愛模様やらを映画の上で観ていても、実際には自分はただひとりぽっちで
映画を観ているパッとしたところのない、つまらない、語るに足るエピソードも青春もない、
いい仕事に就いたことも、就くこともない、ともだちも恋人もその他のつながりも、
そうとにかく人間関係、コミュニケーションが僅少の、気楽に電話を掛ける相手も、掛かってくることもない、
用もないのに会う、会おう、会いたいって云ってくれる人間のいたことのない、
それがいま、この歳だからということじゃあなくて、肝心の思春期青年期、十代二十代、
そういう時代にこそにはまったくなく、いまは若干マシだけれども、でももう大人で、感受性も鈍り、
無茶も出来ず、無茶した思い出もなく、そんな機会すらなく、つきあいはこの歳だとそうはお気楽には行かず、
いままでがあれば、これでも納得はできるのかも知れないが、思いはひたすらに二十代までのなにもなさに到り、
それが現在の生活を規定していることにこれまたやりきれなさを感じ、だから映画も景色も、
その場限りの気の迷い、ひとりきりの妄想めいた盛り上がりだなんて、ただひたすらにむなしいだけ、
ひとりがいやなんだ、あらゆる場合に、ともかくも。しかもいまは昔ほどにはひとりとは言い切れないけれど、
でもまだぜんぜん足りず、更に二十代までのひとりぼっちぶり、そこを埋め合わせることのできないことが、
もぉもぉもぉほんとにほんとにやりきれない、せつない。
(いまがもっとパッとすれば、安定したものなら、それでだいぶん違うんだろうけど、
でもそのいまがこれじゃあなぁ。経済も私生活もひどいわけじゃないが、不安定に過ぎる。)
ヴァーチャルじゃなくて、現実が欲しい。
たぶんきっとそれ。