國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

My Life

My Life


あ。新宿TSUTAYAで5枚で1000円キャンペーン始まった。
また借り行くか。
最近はほんと夜寝ても2、3時間に一度は目が覚めるようになっちゃったなあ。
そういう習性になってしまった。
それと寝る前にお酒。そんなパターン。
いかん。もっとこうヘルシーなリズムにしたいわ。
けど夕食時に飲んだりするようになったせいで、
食後にスタバに出掛けることはなくなった。
クルマじゃないと行けないからさ。
でもそれ以前にお酒も控えめにして、飲酒の習慣も改めたいんだけど。
でももう身について来ちゃってるなあ。
困ったなあ。
まあ過ぎちゃいないし、過ぎることもないだろうけど。
長い長い時間を無駄に過ごして来てしまった、ムダに過ごさざるを得なかった、
そのことばかり毎日考えてしまう。
ともだち、なんてふつうの人にはふつうにいるのにねえ。なんかねぇ。
もっともっと早い時期に、せめて大学生時代にでも転機があったんならなあ、っていっつも思う。
人とつながれるキッカケが。
学生時代、バイト変わる度に、今度はともだちができるんじゃないか、
っていつも期待してた。けどやっぱだめだった。
いい人に出会えない、というより、おれは人との付き合い方がまず、
当時はわかってなかったんだよな。経験ないし。
いつもギクシャクしてた。といってエキセントリックとも云えず。
変わった人、ではなかったし、変わった人には変わった人で、
ちゃんと居場所があったりもするからな。
おれも今思い出せば、時にはおかしな振舞いもあったけど、
それは特例であって、概ね、たいしたことはなかったし。
なんていうか、人とつきあうことをどこか重く考えてたのかなあ。
感受性も趣味もその他も、きっちりと合う人と出会ってともだちにならなきゃいけない、
みたいに考えてた、っていうか。上手く云えない。
つきあいのためのつきあいとか、メリットがあるからこの人と関わるとか、
みんながそっち行くからそっち行くとか、そういうのがぜんぜんできなかったんだと思う。
いまはその点、ずっと柔軟にはなったけど、そこらへん、昔は頑なだったんだと思う。
それでそういう頑なオーラが出てて、それがまた人を遠ざけて、
おれには声を掛けづらくもなってたのかも知れない。
それなりにおもしろがられたり、好かれたり、ってのもないじゃなかったけど、
それがごくふつうに「つきあう」(いまはべつに男女関係の話じゃなくて)
って段になると、呼んでもらえない、みたいな。
あとおれ自身、例えばこれから写真展でも行くんだけどつきあわない?
みたいに誘われたりした時でも、断っちゃったりしてたしな。
その写真展に特に興味がないし、その声をかけてくれた相手とは職場では親しくは話してはいても、
職場を離れて2人きりになるにはそれほど親しくはないし、とかなんとか、そんな風に固く考えちゃって。
今だったならぜんぜん誘われたら、そのままいっしょに行っちゃうし、
「つきあう」ってのはなんかそんなもんで、そういう中からこそ
「ともだち」だのつきあいだのは出来て行くわけで、
それが今ならよおくわかるんだけど、ひとづきあいの経験の殆どないおれにはその、
いわば出会いのキッカケ自体から辞退(ダジャレ)しちゃってた。いつも。
自分とピッタリ合うともだち、みたいなのが始めからセッティングされてるもんだ、
って思ってたんだと思う。ともだち、なんていろいろと「つきあう」をしていく中から
生まれてくる、出会える、育って行くんだってのが理解出来てなかった。