國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

Watermelon in Easter Hay
夏の夕方っぽいですな。さむいけど。いまは。
「LOFT」見た。黒沢清って、垢抜けない、んだなー、ってわかった。ひとことで言うとすれば。
なんか野暮ったい。基本的に。
例えば中谷美紀の装いもお仕着せにしか見えない。馴染んでる気がしない。肌に。彼女に。
服がぽこっと浮いてる。
衣装だけじゃない、美術も浮いて見える。センスがある気がしない。
あとカットのつなぎも時折、しっくり来ないことがあって。
いくつか笑っちゃうようなシーンがあるんだけど、わざとだとは思えないし、根本的にユーモアのセンスに欠けてる?って気もする。黒沢清
それと黒沢清の映画見るたび毎度感じるのが、音楽に対するセンスのなさ。
今回も音楽そのものってより、その付け方がなんともださくて、なんでここにこういう音楽が入るかなー、って幾度も思った。
そんなに文句ばかりゆうなら見なきゃいいじゃん、て話だけど、おれ、邦画が好きで、見たくて、それもアート・フィルムっぽいのが見たい欲求が常にあって、そうすっと選択肢として入ってくる。黒沢清
でも、いざ見ると毎回文句つけたくなってしまうし、実際文句つけてるしなー。
まー、文句つけるのも映画見るたのしみっちゃ、たのしみ。
そんでもって。
黒沢映画といえば、セリフのひどさ。今回も全編ひどかった。
生硬で月並みで説明的で段取りしてるだけの、生きてないことばが最後まで並んでる。
脚本、筋の流れは監督でも、セリフに関しては誰か他の人に頼めばいいのになあ。それもできれば女性で。
セリフが「生きてて」欲しいし、あとやっぱ出て来る女性に血が通ってて欲しいから。
黒沢清は「女が描けない」タイプの人だけど、なんでか女性がそれでもそれなりの役割で出て来て、それでいて「女が描けない」ってのもバランスがわるい。幻想というか、思い込みみたいな女性像、ってのでもなくて、もっと頭で考えただけ、みたいな、単に女のカッコしてるだけ、話の都合上、女性の方が感じが出るからそうしてるだけ、みたいな風にしか見えない。生きてない。
あれこれ書いてて、なら具体的にセリフでもなんでも抽出して、ここがこう、とか指摘してけばいいんだけど、なんか面倒なんで、省略、思いつくまま、
そんで、会社の中にさる容疑者のことで警察が踏み込んで、みたいな場面があるんだけど、そこで、手前で女の子がケータイでその場のことを中谷美紀に電話で報告してる、みたいな画になってて、奥では警察の人間らしいのが少しいて、そのまわりに人がわらわらと野次馬的にいて、そんな感じの構図になってて、でもそれって、ほんと、頭で考えただけの、単にそういう状況を説明してるだけの、素人みたいな表現だよなー。なんかそんなんでいいのか。月並みを敢えてやってる、ってんでもないし、ただの野暮だよ。あれは。
他にも、妙に人工的なライトが気になるところがあったりして、それまたわざとやってるとしたら、特に方向性もわからないし、カッコよくも不気味でもないし、なんだろーなー、あれは。失敗?単に?
そういえば、そもそも、西島秀俊のいる部屋の意匠、それはわざと現実っぽくない、ヘンにオシャレ風に作ってあるっぽかったんだけど、でもなんだかキマってる気もしなかった。カッコよくもないし、不思議な雰囲気が出てるってんでもなかった。単に浮いてた。