國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ)

 

彼女は頭が悪いから

彼女は頭が悪いから

 

 

7月18日(水)、この日は午前中で仕事が終わり、新宿へ。リーディンググラスを作りに。要は老眼鏡である。ふだんはすでに遠近両用だが、これだと近くを見るには間に合わない。遠近、いずれも中途半端。なので、今回いよいよ、手元専用のものを。ガワはPaul Smith。受取りは二週間後。

そのあと、久しぶりに隅田川へ。(埼玉の若干奥の我が家からは遠いんだけど、なんか気分を味わうには都会の、隅田川、なんだよね。うちからクルマですぐに行けるようなとこじゃ、この感じは味わえない。だからたまに行く)

暑い中、隅田川テラスのどっかに座り、コンビニで買った氷結アルコール分9%(シチリアレモン)をピーナツをアテに飲んで、暑い中、酔っぱらってた。

暑いのは苦にならない方で、人生上暑さがつらかったことはない。孤独、ひとりぼっちってことだけが毎度苦しかっただけだ。

オフであれば暑さはあったかさを感じて気持ちよいくらい。

そして少し酔いが醒めてから渋谷へ移動。ユーロスペースで「カメラを止めるな!」を見た。

疲れもあって前半少し寝ちゃったりしたんだけど、たのしく鑑賞。でもできればもっと体調いい時に十全にたのしみたかったなあ。

映画が終わると新宿へ移動して紀伊國屋書店で「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ)を買う。ツイッターで都心のみのフライング発売を知り、さっさと買いたかったから。待てない。前から気になってた。Amazonで既に予約済みだったけど、姫野カオルコならば同じモン、複数買うのも苦にならない。(このあと、kindleで電子書籍版も買ったし、予約してた本も後ほど届いた。計三冊購入したことになる)

ベストセラーになるといいなあ。

そしてこの日から少しづつ読み進めて行く。(主に電子版で。老眼にはその方が読みやすい)

小説に限らず、最近はほんと読書からは離れてしまい、その一端には老眼の影響も大きい。目が泳いでしまい、落ち着いて読んでいられない。2ページ読み進めるだけでもつらい。それもあり、今回リーディンググラスを買ったわけだが。本を読みたくて。

7月21日(土)のあたりで27%ほど読んだが(電子書籍だと数字で分かる)、登場人物は多く、そして描写は辛辣。批評性が細かく織り込んである文章。 まだどう展開すんのかわからない。 少なくともあらすじでは検討のつかない別のものと感じる。

『この世は無理解の地獄である』

(「彼女は頭が悪いから」にそう書いてあるわけではない。いま突然思いついたフレーズで、ここまで読んでの感想というか連想で出て来た)

今回、実名が多いな。
学校名を始めとして。
芸能人の名前もバンバン出て来る。
タレント名などは時間が経つと不明になるんじゃないか、古臭くなるのじゃないかと小説書く際には避ける傾向はあるかとは思うが、もちろんここまでパンパン出すには考えあってのことのはずで、とはいえ、今はまだ、その意図を探らない。
ちなみにアメリカの小説とかだと実名率、高い気が(ロクに知りもしないが)してる。

第一章、読了。
"ふつう"についての問い。
これまでもずっと。姫野作品では。

第二章にちょっと入った。
"「つきあう」をしている"(姫野カオルコ作品に馴染みのある者には聞いたことのあるフレーズ)

先程までジョイフルで「彼女の頭が悪いから」(姫野カオルコ)を読んでいて、帰宅してフロ入って、いま、ハイボール飲み終わった。 アテはビーフジャーキーで、そのあと切れてるカマンベールチーズ1個食った。

叫ぶチーズ(金髪)

飲む前にスッキリしたくて1回歯を磨いた。また後で寝る前に磨く。

おれも「不思議ちゃん行為」のナゾメールもらいたい。しかし、おれは東大じゃないからだめだ。

"竹内つばさ"の心のなさっぷり描写がつづく。

ずうっと意地悪でうねりがあって、批評性を持った文章が続く。 通底するブラックユーモア。 東大生がもっぱら出て来て、その他男子女子が出て来るので、その批評性を孕んだ文体と相俟って、なんとなく昔の青春モノ時代の大江健三郎を想起する。

いま(7月22日日曜日午後)は46%まで読んだ。そして意識してなかったが、いまは根津のカフェ(シグネコーヒー。歩いててどっか入りたくて入ったらアタリ。コーヒーもスウィーツも美味い。雰囲気も落ち着く)で、奇しくも東大が近い。

ああ、なんか転換点、来た。
ああ。
"仄あたたかい"

"ハートにバンドエイドを貼った。"

65%まで。
昨今、読書からすっかり遠ざかってることを思えば結構な速度。

"エノキ"が「ちはやふる」の"ヒョロくん"になっちまってる。おれん中では。見た目。

ミツコのいない「人呼んでミツコ」かもなあ。
ミツコっぽさはたしかに感じる。

ミツコはきっと文章の中に織り込まれてる。
ミツコは孤独で人とのつながりを感じなかったけれど、ここではもっとソシアルな存在になってる。
(上手いこと言おうとして、言えてない)

 

ひと呼んでミツコ (集英社文庫)

ひと呼んでミツコ (集英社文庫)

 

 

彼ら東大生の"健やかさ"が最近話題んなったスラム見学ツアーの彼ら、思い出す。

 第三章まで読み終わった。 70%。
 あああ。
うう。
おおお。
そうかあ。
ああ。
うう。
おお。

そっか。
姫野さんは筆力はあるから、って当たり前みたいなこと言ってっけど、こうか、こうか。
これはおれでもちょっとなんとも言えん気持ちになる。
なんていうか、すごく、ありそうなそれで。ふだんのちょっと先にある、でも知らないわけじゃない、その感じ。

泣いてるよ、おれ。
なにこれ。
感動の涙じゃない。
つらい、って一言で言っちゃう。うまく言えない。

姫野さんにはとにかく売れて欲しいからって気持ちがすごく強いけど、作品の出来じゃなくて、その点では断然推せる、当たり前だ、ただ、人によってはフラッシュバックとか、心配してしまう。
どうしたらいいかな。
いま、この気持ちは。

なんか読み進められない。
ざわざわしてる。
胸が。

でも先へ行きたい。
このままじゃ、あれだ。

そう、姫野さんは、"いま"の話だから、今ある事を、芸能人の名前でも何でも億せず取り込んでったんだと思う。"いま"に少しでも肉薄するために。現在形で、ingで小説をあらしめるために。時間が経ってすぐ腐り、忘れられるようなモノでも、敢えて。

ここにある事件だけじゃなくて、それはあくまでも取っ掛かりであって、正に"いま"起きてる事を告発してるんだと思う。

読むのは人によってはほんとにつらいかも知んない。
特になんてことのないおれで、こうなんだから、ほんとに人によっては。
電車の中とか、カフェとか、とにかく人のいるところじゃなくて、自分の部屋でよかった。正にここを読んだのが。
そうじゃなきゃ、こんな気持ちになるには外じゃ、人中(ひとなか)じゃ、どう処理していいのか。

小説の、文章と描写と構成の力、それは論文や論評のそれとは違う、そういうものでは取り零(こぼ)してしまうものが文章の中へ織り込まれ、更に胸の奥へ迫る格別な魔法がある。小説だけの持つマジックが。それが正にここにある。

そして。少しだけ先を読めた。読み進んだ。

・・・読み終わった。深夜1時近く。

うん。 なんだろ。 この胸のツカエは。 まるでなにも起きなかったみたいに。 けど、たしかに起きて、でも過ぎて、ツカエの取れない日がまたつづく。

感動はない。
もちろんイイ話じゃないからだ。
やりきれなくて泣いてしまう。

なんでおれが泣くのかわかんないけど、でも泣いてる。

姫野さんはさ、ずっと他の人が書かないことを、タブーにしてるってんじゃない、気がついてない、そういうことをこれまでも、いつも書いて来てて。
それはいつも早すぎて世間の波がずっと後からやってくる。

これは人によってはほんとにフラッシュバックがあると思うので、その点を考慮すると安易に勧めづらいのだけど、小説としては素晴らしいので推したいし、売れて欲しいって心底思う。

特に後半は人のいないところで読んだ方がいいかなって、余計なお世話だけど思う。
ほんとにつらくなる、人によっては。

ああ、でも売れて欲しいんだ。 
どうしよう。
ネガティブな事はだから書きたくはないんだけど。
おれには大して影響力がない、インフルエンサーとは程遠いんで、まだいいか。よくわかんない。

作品はイイ。
でもだからこそ、その描写の力で、ほんとにつらくなる。
こんな夜中に読み終わって、胸がなんか痛くてもやもやして重くて、どうしていいのか。

ふだんの、特になにも起きない日常と地続きなんだよ。
こういうことは。
ここに出て来る人たちの日々も。
すごく近い。
無慈悲、無理解はでも、いまここにある。
だから怖いんだ。やりきれない。
誰もが知ってる話でもある。エピソードって意味じゃなくて。

あらすじにあることはもちろん起きるんだけど、なんつかでも、それがメインじゃなくて、それは実はけして非日常ではない、日々の先、日々の脇に、感じいい人悪い人、そういう中にある、だからこそのやりきれなさで。突出はしてても、別の世界の話じゃない。

一夜明けて。

 

昨夜は「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ)を読み切っちゃいたくて夜更かしした。
読んじゃってよかった。
それはべつとして小説そのものについては思い出すと胸がざわざわする。
なんだか知らないけど涙ぐんでしまう。
苦しくやりきれない。
胸が痛い。
気持ちの持ってき場がない。

急に突き放されて、ひとりぽっちにされて、それはほんとうに恐ろしい。

美咲がクイックルワイパーで床を拭いたり、ちょっとした料理の下拵えをするような、ほんとなんてことない日常描写の積み重ねが、下地を作り、やがて来ること、その後への苦しみ、やりきれなさを、拭い去り難く心に刻むことに繋がっている。

おれもそもそも本を読むことも滅多になくなり、人のことも言えんが、映画と違い、発行間もなく小説はパンパンと感想の上がって来るものではなく、でも人の感想を是非聞きたい。

感想を人と共有したいが、発売間もないこともあり、中々、感想が上がって来ない。 あと、どれぐらい売れてるんだろう? いっぱい売れてて欲しい。

7月29日(日)いまはもっぱら「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ)とケンドリック・ラマー推しです。

考えてみれば、おれ、姫野カオルコ読み出してもう30年ぐらい経ってるよ。 ビックリだ。 「ガラスの仮面の告白」の文庫を手に取ったのは正確にいつだったんだろう?なぜおれはそれを読もうと思ったのか。憶えてない。 でもそれ読んで以降はずっとだ。
25年ぐらい前は今みたいに情報もそうそうないから、本屋行くたび、姫野カオルコの新刊が出てないかチェックして、お、出てた、ラッキー!みたいな感じで買ってた。

(東京医大で女性受験者を減点していたという事件の発覚後)こんな波に乗って紹介すんのもあれだけど、でも正に"いま"の話題(東京医大のことだけじゃなく)に深くコミットしてるとも言える「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ)を是非みんなに読んで欲しいと切実に思うよ。

合わせて見たい: 「侍女の物語」(いまならHuluで見れる) (もちろんマーガレット・アトウッドによる原作読むのもアリだけど、おれはそっちは読んでないので、とりあえず)

もう一人の主人公(?)の東大生である竹内つばさはしかし、昔であればそのまま読者も共感出来る青春モノの主人公といっていい性格、挙動のカケラを見せる。
それはかつての青春モノの主人公の男の子たちを別の側面から描いたとも言えるし、かつての無自覚が今になり顕(あらわ)にされたとも言える。

それと並行してるとも言えるが、神立(かんだつ)美咲に対しても同情を寄せた描き方はされてはおらず、突き放した描写がされている。

ありえたかも知れないラブストーリーとして「彼女は頭が悪いから」を書き直すことも可能だよね。
しかしそうはならなかった、そしてなぜラブストーリーは不可能になり、救いのない、飲み込めないままいつまでもスッキリしない物語になってしまったのか。

その不可能性をじっくりと丁寧に考察を重ね、その考察自体を更に文体そのものに織り込んで描いたのが「彼女は頭が悪いから」であるとも言える。

はじめに出て来る『白馬に乗った王子様』というフレーズで美咲の読む雑誌で紹介される独・ベルギー合作の映画というのがなにか気になる。アルものなのか、架空のそれか。

”女子マネ”のことやらなにやら、細かいことにいちいち触れて書きたい。ほんとは。

坂口安吾(と明示はされないが)が好きで東洋大へ進学した山岸遥と、彼女の容姿の描写、そして、つばさの裡にある本人が気がついていない彼女への思慕、しかし、それはまったくカタチを為すことがないままに時間だけが過ぎ、彼女との交通が途絶え、やがて事件は起きる。そのことについてもほんとは考えて文章を為したいがいまはそこまでの余力がない。

竹内つばさは昔であれば共感の出来る主人公の可能性もあったはずで、それは彼には多少の劣等感があり、ルックスも冴えず、そのことにより、往時であれば小説やATGの映画にでも出て来そうな、勉強は出来るけど、鬱屈した男の子ではあるからで、しかし、そういう男の子には別の面、リアルな実像があり、それがこの小説では描かれてるとも云える。かつての青春モノの男の主人公とその仲間たちが「彼女は頭が悪いから」では裁かれているとも云える。

何が起きるかはもうはじめから読者にはわかっている。だから事件そのもの、更にセカンドレイプは後半の終わりの方である意味あっけなく描かれている。

そこに到るまでこそがこの小説のキモであって、そこまでの些細な描写の積み重ねの中にこそ、事件の本質があるからだ。

事件は日常の中で、いま、ここ、でこそ起き、そしてすぐに日常に戻ってしまう。事件そのものは一瞬だ。しかし人の心は、心のなさが幾度も描かれる竹内つばさのように長い時間を掛けて準備されていくし、事件後もその心のなさに変わりはない。また神立(かんだつ)美咲にしてもつばさと”出会って”しまうまでには長い時間があり、彼と過ごした短い時間があり、その延長線上で、日常の中で事件は起きる。そして美咲にとって、事件そのものは一瞬であっても、彼女が生きている限りは続いてしまう。

また、野次馬として事件を見る者たちはしばらくは熱に浮かされていても、次の興味があれば、すぐに忘れていく。日常の中で。

人は誰しも事件ではなく、日常を生きている。生きていく。

 

で。

翻訳が早くに出るといいな。
海外で充分に評価され、売れる可能性は非常に高いと思うから。

韓国語で出て、イ・ランに書評を書いてもらいたい。彼女の言葉が聞きたい。

 


[MV] 이랑 イ・ラン - 임진강 イムジン河

 

おれはインフルエンサーではなく、しがないイプシロン・ツイッタラーなんで、出来れば力のある人に「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ)を十二分に称揚してもらい、ベストセラーになる事を強く願うよ。

あとそれで。

雨宮まみによる書評が読みたかったよね。なぜ、いないかな、いま。いま。