國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

成瀬巳喜男

なんだろうなぁ、若者じゃなくて、大人が主体になってる映画が観たいなぁ、
そういうのんがいいなあ、なんて思い、しかし、その直後、自分がもう若者じゃないのに気づく。
つまりはそういうことか。
年食うとか、家族とか、結婚とか離婚とか、夫婦を長年やることであるとか、
仕事とか収入とか、そういったことに実感を持って描いたような作品が観たくある。
若いもんのモラトリアム話じゃないやつが。
観てしみじみしたい。「ああ。」って。
それにしても成瀬巳喜男はああも厭世的なテーマばかり扱っている一方、その中身はスター勢ぞろい。
しかもコンスタントに撮っている。その辺が不思議だ。
そんなに生きてんの厭だったのなら、仕事、それも共同作業がなぜ出来てしまうのか。
それに高峰秀子をはじめキレイな女優さんがいっぱい出てるのに浮いた噂もない。
ホモ?とかも思ったこともある。
映画観てると女に対する幻想がないようにも見受けられるし。
つうか女同士の厭な側面ばかりが強調、いや、淡々とリアリズムか。
しかしそれにしても、「女の座」でもそれぞれの役者の演技がすべて素晴らしい。
観てると、まったくそういう人に見える。誰もが。
演出の結果、よい映画としての成果だろう。
例えば宝田明が如才ない、しかしその分いい加減な男の役なんだが、ベストキャスティング。
また三橋達也がだらしない、適当な男なんだが、観てて全く自然にそういう人物だと
納得してしまっていて、演技の結果なんだということにしばらく気がつかなかったくらい。
星由里子は若いお嬢さんの役で、その演技がまったく自然で、スラリとこちらに入ってくる。
杉村春子だってまるきりああいう母親、しかし後妻、にしか見えない。
なんだか全員そうだ。
いやいや演技だけじゃない、脚本も、中古智によるオープンセットもなにもかも、
総てが言及に値する。言い尽くせない。あまりに豊潤。
(だから本当はもっと事細かに演技でもなんでも跡を追いたいくらいだが、
あいにくとおれにはその才がない。)