國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

ゴダール

「カルメンという名の女」を観る。
ポーリン・ケイルの評を読んでこの際だから観とくかと思い、観たが、なにせ例の評を読んだばかり、
観てていろいろと複雑な気持ちがするのだった。
「アンナ・カリーナ以外におれが本気で惚れた女はいない。」
なんかそんな風な声が聞こえて来るのだった。おれには。
《 ぽってりした下唇と、奔放にもつれた髪を持つ、このしなやかできれいな娘に、ゴダールは一種の奇怪な復讐をとげているのかもしれない。こういっているのかもしれない。---「わたしはきみに魅惑されない。きみはわたしを狂気に駆りたてない」 》
(「映画辛口案内」ポーリン・ケイルから『カルメン〜』の評)
革命のロマンも舌足らずの北欧娘とのロマンスも映画というロマンチックな運動への情熱も、
すべて終わってしまった。過ぎてしまった。醒めてしまった。
いまはただ過去をひたすらに振り返ることだけ。関心の持てるのは自分自身だけ。
目の前にいる若く美しい娘はせいぜい美しい花瓶程度の感慨しかおれには抱かせない。
本当に魅惑され、のめり込み、語らずにはいられず、引用せずにはいられない映画はかつて若い時に観た映画ばかり。
革命?なんかそれらしい夢もあったかも知れない。
しかしいまは所在なく、ここにいるだけ。
映画を撮るということならば誰よりも上手く、こうしてなんでも出来てしまうのに。
果たして夜明けを待つ以外、ここにいる意味は一体なんなのか。
おれがこれを観たのはもう20年近く前、当時はそもそも筋がよくわからず、あまり印象はないのだった。
今回久々に観て、一体どこがどうわかんなかったのかがわからなかった。
同じ頃の作品でも「パッション」「ゴダールのマリア」なんかはむしろ積極的に好きだったんだけど。
観るタイミングってのもあるからな。ともかくも今回に関してはなんだか穿った観方をしてしまいがちだったョ。
わりに最近の作品「愛の世紀」にどうにも納得出来ない、好きになれない感じを強く抱いて
その印象が大きいってのもあるかも知れない。
その延長で今度の「カルメン〜」を観てしまったってのもあるな。

  • おれの掲示板Pt.1の過去ログのココ〔No.1050〕に「愛の世紀」の感想。
    また同じく過去ログのコチラの〔No.1054〜62〕あたりには「ウイークエンド」の感想。