國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

押井守

日本一地味な国立大学、ところざわからほど近い小金井とかそこらへんにある、学芸大出身の
押井守の『イノセンス スタンダード版 [DVD]』を観る。
いやあ、なんか凄かった。『うる星やつら』がこうですよ。こんな、なっちゃうんだねえ。
技術の進歩ってスゴイなあ。
あんまり画面が凄いんで観てて怖いくらいだった。
テーマ?
おれ、そういうの苦手なんだよなあ。観ててよくわかんない。考えればわかるかも知れないけど
考えんのもメンドくさいし。でも観てるとどうしたってそういうの気にしないわけにはいかない。
でないと観終わってもスッキリしない。第一明らかに「テーマを見てくれ!」って作りだもんなあ。
けど、おれ、こういうのむずかしくて一回観ただけじゃ理解できない。
かといって解説されちゃうとつまんないし。
まあ、たぶん、押井守がテーマにしてるものがおれの中にないんだよな。きっと。
そうすっとわからなくなる。当然。ピンと来ないから。
ことばじゃなくて、テーマがおれの中にあれば、なんだかよくわかんなくても、
からだが理解してくれる筈だもの。わかんないってことはきっとわかんない、ってことだ。
とまれ、現実とはなにか?自分とはなにか?って問いはおれにはない。
そんでたぶんそんな話だと思うんだけど、でも「たぶん」だ。ぜんぜんわかってない。
それにおれ、「死と生」ってテーマだといっつもわかんないんだよなあ。
最近は人間なんてそのうち死んじゃうしなあとかよく考えるけど、
それでもやっぱ、よく言われる「死こそ生なり」みたいなフレーズが未だに理解できない。
♪ Death is Life (EL&P)
どういうこと?さっぱりだ。たぶん解説されてもよくわかんない。
おれにとって現実とか自分なんて、そんな大したもんじゃないし、なんだか浮草、ケシ粒、
流動的で、テキトーで、自分たって、他人との関係の中にたまたまいるだけで、
死んだらオシマイ、大したもんじゃなかろう、現実だろうが、自分だろうが、どうだろうが、
どーでもいい、って感じ。「自分」てそんな大したもんか?
だって毎日毎日、クソつまんない理由でコロコロ人間なんざ世界中で死んでて、そのうち自分も
その仲間入りってだけのもんでしかないじゃないか。更にいえば、オケラだってミミズだって、
アメンボだって、みんなみんな生きているんだ、ともだちじゃねえけど、そういった無数の
生物の中の一種にしきゃ過ぎないじゃん。人間たって。ねえ。たかだか人間。でも生きてる以上は
「お金もほしいさ 名もほしい/自分のしあわせ 守りたい/ぼくだって人間だ ぼくだって若いんだ」
(おれは若くないけど)ってな具合、うだうだしてる間に映画なんかと違い、現実はぜんぜん中途半端に、
キリのわるいところで、テキトーに、悔いしかないのに、エロ本片付ける間もなく死にゆくだけ。
ドラマじゃないから、決着なんかついてから、ってワケにもいかない。もやもやして中途半端で、
気分はスッキリもせず、大体何歳で死ぬのやら、人生に目的だの目標だなんてものがあるとしたら、
誰しもある年齢以上は生きているはずだが、実際はそんなことはない、すべての年齢で人は死ぬ。
それも、ときにつまらぬ手違いで。戦争や災厄で。その他もろもろ。とにかくいつか死ぬだけ。
人生だの、自分だの、大したもんに思ってたって、死んだら誰も憶えちゃいない、
おまえなんかただの塵芥(ちりあくた)、神様が誰を気にするってのかぃ。
神様は宇宙の用事で手一杯、おまえさんなんかに構ってるヒマはねえゼ。
せいぜい「人類」という種でしか気にしない、一人ひとりになんか用はない。
人間、死ねば土に還るだけ。大したこたない。ただ生きてる以上は自分にとって自分は一大事、
気にしないわけにはいかない。けど、他人にとっちゃ自分なんざ単なるフィクショナルな存在、
想像上の存在、ドラマの登場人物、TVやグラビアのアイドルに毛の生えた程度のもの。
そう、だからおれたち愛し合わなきゃいけない、たぶんそんなテーマだ。『イノセンス』。
(そうかなあ?)(でもまあ、この手の話は「やっぱり最後に愛は勝つ」ってのが常套だから、
きっとそうだよ、ソースだよ。押井守ゴダール好きだしさ。
やっぱ『アルファビル [DVD]』でしょ。そう日記には書いておこう。あとは知らん。)