國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

エモーション

以前「無駄に静かな映画」について書いたりしたが、例えば大谷監督の映画はいわゆる
「淡々と」映画ではあってもけして「無駄に静か」にはなったりはしない。それはなにも
サウンドトラックの問題でない。「静か」とはなにもそのことを言ったわけでない。
感情がきっと死んでいるのだろう。「無駄に静か」タイプの映画では。
そういう映画を撮る人は大体人間になんか関心がないのだろう。物語なんか、まったく
関心がないのだろう。思わせぶりな空間、画面、表情、その他を並べ立てたいだけなのだろう。
ストーリーといって、そういう映画を撮る人の中にはきっとあらすじしかないのだろう。
いや、あらすじ以前の断片ばかり、体温のないそれしか。そしてそれはきっと収束されず、
密接にお互いが連絡することなく、ましてそこには人間の感情、エモーション、つまりは
感動なんてものはなく、結果映画はただただ冷え冷えとし、「無駄に静か」になるに違いない。
言いたいことなんかべつにないんだ。そういう人には。なら黙っとけ。それが礼儀。
衣食は充分に足りているだろうから、礼節を今が知る時。