國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

Aja

Aja


自分を定義する文句を今朝運転中思いついた。
「余計な智恵のついたふつうの人」
(つまり結果はふつう以下。)
ああ。もう少し人並みになりたい。常々の希望。
木曜日の朝はセブンイレブンで「週刊文春」と「週刊新潮」を立読みするのである。
「文春」は今週のグラビア美女を確認してからページをぱらぱらめくり
(この言い回し、遣ってみたかった。)、そして林真理子の「夜ふけのなわとび」を
ちらりと横目で見て過ぎてから目当ての小林信彦のページへと行き、
毎度がっかりするのが習慣である。またこの話かとも思うし、ズレてるなあとも思うという、
そのへんのがっかりだ。でもやっぱ気になって確認せずにはいられない。
とはいえ、ほんのちょっぴりは「ほ。」ともするので、昔馴染みは大事である。
ついでに今日発売のに関していえば、ちゃんと読まなかったけど米原万里による、
毎回回りもちで池田夏樹やら誰やらが2頁分、書評書いてるコーナー、今回は彼女の番、
そこにあったハンガリーとかなんだったっけ、東欧の国関係の本幾つかが気になった。
もちょっとちゃんと読みたい。で、できれば紹介されている本も読めればよいのだが、
読書が最近は殆ど出来ないので、単にメンドくさいといった理由、つまりは読むことは
ないのは自分にとって惜しい。興味のあることは色々と眼を通しておきたいのだ。本来は。
しかし面倒には勝てない。負けっぱなし。負けないで♪ by ZARD、である。
そうだ、米原万里といえば「サンデー毎日」(という名でしかも週刊である。
日曜日が毎日で尚且つ週刊。意味がわからない。)にも書いていて、
そちらはほぼ読んでないのだが、それはともかく、「サンデー毎日」には中野翠
連載をしていて、やっぱりつい眼を通してしまい、期待は始めからしてはいないんだけど、
こちらも毎度がっかり、中身も文章も内容も薄く、切り口は鈍く、時に、
ああそれはちょっとみたいなことも更にあり、それは始めからわかっているのに、
昔馴染みは、一応押えたくなるのが人情ってもんである。
中野翠、かつてはその凡庸さが読者にとって必然で、好ましく、そう、そんな感じ、
と読者にとってのよい代弁者ではあったのが、時代は変わり、彼女の読者であった、
あるいは読者にもなったであろう人たちが、ネットで文章綴り始め、
中野翠程度ならばごろごろしており、だって中野翠、映画ひとつとっても
その見識非常に薄く浅く、更に知識文章、彼女を凌駕するような人もそれなりに
いるともなれば、彼女の居場所は僅か、それにネットはリアルタイム、これでかい、
つまりは商売上の危機じゃないかと余計なお世話。第一、編集者なども代が代われば、
必然的に若く、その分ネットにも馴染みもあり、自身でブログなど運営して、
その反響なぞもある程度もあれば、今更に中野翠への執筆依頼に動き出す気配乏しいだろうし。
そんで「週刊新潮」、こちらは福田和也のやつのみ話題次第で目を通している次第。