断片。考えるキッカケ。
セックスってのはつまるところ関係なのであって、そうである以上、スッキリなんかするはずがない。
納まりがつくはずないじゃん。「関係」に。
疚しいのはあたりまえ。揺らぐものを前にしての不安。それが疚しさの一端。
「好き。」と告白するのにさえ躊躇うのだ。人間は。
両性生殖がいつから快楽と結びついたのか。
いや、シャケとかは気持ちいいのかなあとか思うじゃんか。
射精の快感とかはあるか知んないけど、挿入とかないもんなあ。
それにあれだ、メスの方は卵産むだけで気持ちいいのかしら。わからん。
つうかシャケの受精とかよく知らんし。どういう風か。なんとなく雰囲気で言ってる。
なぜ両性生殖にはややこしい段取りが必要なのか?
求愛ダンスみたいのんとか、ミツバチが花粉を運ぶとか、いっぱいあるじゃんか。
(この2つはちょっとはなしがべつか。でもともかくそのややこしさの由来。)
なんでいきなり「ヤル」じゃだめなのか。
受精に至る過程でのもったいぶることの意義を知りたい。
生殖が生のクライマックスなのはしかしやっぱそういうもんか。
多大なエネルギーが費やされるのもむべなるかな。
進化の過程で生殖時のエネルギーの発露の仕方にムダとも思えるほどの複雑化を遂げるのも当然のことか。
生殖自体が生物の主目的ならば。そこが生の頂点ならば。
コミュニティーというのは後付けで生じたもので、そこに原初的な生のクライマックス、
時には死をも含む生殖というものが持ち込まれれば、脆弱な後付けの「関係」で
成り立っているコミュニティーというものは怯える。またそこに属する者である
生殖を行う個々にとってはコミュニティーをいわば無視するの勢いで
エネルギーを発露させてしまう生殖行為に己が駆られてゆくことと、
コミュニティー内にようやく生きる己との軋轢に身悶えるも当然なのか。
ポルノグラフィーはいつから発生したのか?
誰もが顔見知りである小さなコミュニティーではポルノグラフィーは
いつ、どの時点から可能になったのか?
文明のどの地点からポルノは有り得たのか?
ではそもそもなにを持ってしてポルノと言って良いのか。ポルノの定義。
複製技術の発達との関連について。
ポルノグラフィカルなファンタジーの発現とその表現へと至る歴史的過程。