國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

2015年の夏 Pt.1

2015年の夏に父親が死んだ。
今から5年前か。
享年82。
おれはそのとき52歳。
そのときにFacebookに書いたものがあり、それを編集したのが以下。

 

 お父さん死んじゃった。
先週の木曜日。7月9日。
急だったけど、急でもなかった。
しばらく前からそんな予感はずっとしてて、その延長線上で、なんていうか、その日が来たかなみたいな。
当日はおれは仕事はわりかし早めに終わって午後休みたいになったんだけど、それでまっすぐうち帰る気がしなくて、どうしようかなあって思い、地元のスーパー銭湯へ行った。
行くのひさしぶりだった、ずっと行ってなかった。
その日は雨で、気温も低い日で、野天風呂ってやつでは少しく雨が顔にあたったりしてた。
でもなんかのんびりと入って、それに出てからが結構長くラウンジ(?)にいた。畳敷きだし、ラウンジってゆわないか。
なんかあんじゃん、そういう休憩所。メシ食ったするの。
そんでひさしぶりなんで、恒例の、お約束の、白牛乳ですよ、飲んでました。
そんでうち帰って、4時半ぐらい?それからは直で自分の部屋行って、それから5時半ぐらいには下降りて台所行って、お母ちゃんがなんか夏野菜の炒めもの的なもんをおれがこの前買ってった本、夏レシピみたいなやつ見て作ったって言うんでそれ食ってた。
でもなんかあるとあれだし、ビールとかは控えて飲まないようにしてた。
というのも前の日ぐらいからさ、お父さん、調子わるくて熱出してたりしたんだよね。悪寒がするとか。
我が家はみんな丈夫で、基本、熱が出るとかってのがまずない。
前の日の夜もお父さんは具合わるくて、夕飯んとき喉痛くて食えないとかそんな風で、なので風邪かなあ?みたいな感じだった。
でも普段から健康には気をつけてるってか、医者とクスリはコンスタントに欠かさないので、デブだけど、いろんな数値は安定してて、特にどこがわるいってのがなかったりもして。
なので、まあだいじょうぶだろうみたいのがどっかであった。
ほいで、だからおれがお父さんの姿見たのはそれが最後かなあ?
ええとそれで、まあ当日だ、メシ食い終わるとおれはそのまま2階に上がってインターネット見たりしてたわけだよ。
したら、どたどたと母親が2階上がってきて、お父さんがヘンだと、倒れてるから、みたいに言ってきて、すぐ下降りて、寝てる部屋行ったら、おとっつぁんが布団から出てすぐのところにうつぶせで倒れてた。
おれはこういう時どうすんだっけ?とか思いながらとりあえず、仰向けにしてみたら、すっかり死んだ風には見えたけど、よくわかんないけど、とりあえず胸圧して人工呼吸の真似事みたいのしてみた。
一応、職業柄習ったこともあったんだけど、まあ大してちゃんと憶えてるわけでもない、闇雲だよね。胸をグイグイ。
あと、おとっつぁんの両頬叩いてみたりね。「お父さん」「お父さん」て呼びかけながら。
でも初めに見た時点でもう手遅れ、とっくに事切れてんのは見て取れてた。
なのでムダと知りつつ、みたいじゃあった。
そいでそのままおかあさんには「119番!」って呼びかけて電話させて、したら思ったより早く救急車来たね。
いわゆる救急車と消防車みたいの。早かった。
おれは仕事柄救急車呼んだこともあるけど、あんな早く来た感じなかったなあ。
まあ家人からの直接の電話で、しかも意識も何もないって呼びかけじゃあったから、ちょっとそういう場合は特別なのかな?
救急車呼んだの、結局夕方の6時11分。これは後で警察の人に時間教えてもらってわかった。
でだ、おれは胸圧したり、あと、口に口つけて息を吹き込んでみたりもしたなあ。
そんなキスみたいなことなんてね、したことないよね。お父ちゃんには。でもそんときの印象的だったのは口がまったく臭くない、無臭ってことだった。無臭。
なんか匂わないのが、死んでる、みたいな感覚がどこかでおれにはあった。
顔全体は赤く、それにチアノーゼっぽく紫がかってもいたと思う。
そうして救急隊来るまでに、おかあさんには「着替え、用意して!」って云っといた。
2、3回の救急車呼んだ事ある経験からすると着替え持ってきてくださいって云われるんだよね。それで。
でも意味ないなあとも思ってたけど、一応ね。
ほいで。

救急隊、いっぱい来たなあ。
10人ぐらいとかそういうレベルでいた。
まずはAED。
それから胸圧したりの人工呼吸。
でももちろんなんの反応もない。
そいでもって、お母さんは救急車いっしょに乗って近くの救急外来まで。
うちの近くにさ、数年前に出来たでっかいきれいな病院があんだよね。
ドラマや映画のロケでもよく使われてる。
だから医療ものとか見てると「あ。あそこだ。あのピアノとか、あの絵とかそうだあ」とか思ったり、あるいはクレジットで確認したりしてる。

 うちはさあ、そんなわけで病院には恵まれてるんだよねえ。
大学病院が歩いても行ける距離、歩くと10分、15分でいけるとこがあるし、その系列で別に上記の救急医療対応の病院はあるし。
救急医療対応の方はさ、あれだ、最新設備の整ったすげー病院なんだよね。
あれだ、みなさん憶えといてください、年取ると、でかい病院が近くにある、それがすごい役に立つんですよ。なにかと便利。近いと。近いに越したことはない。いざというときラク。
見舞いとかもさあ、近いと気楽なんだよねえ。ひょこっと行ける。気ぃ遣わないで。
だからうちの母親が大腸破裂して入院した時も毎日見舞いに行ってたもん。おれも父親も。毎日行ける、行きやすい。まるきり地元だから。
いまのここに住んだのは偶然だけど結果的によかったな。
病院が近いってほんとありがたいわ。
しみじみ。
んで。
その救急外来におれは後から自分のクルマで行くことに。
行く前に救急隊の人に「焦らず来てくださいね」みたいなことゆわれたなあ。
あたりまえなんだけど、やっぱそう云われることの心理的効果は大きいと思う。ありがたい。
やっぱちょっと上の空んなるよね。そうはいっても。
あと、おれんちからだとその病院までクルマでせいぜいが10分で着くんだよねえ。ラク。簡単。
病院近いの、ほんとありがたい。
それにおれのいつもの通勤コースだし。うちからはその病院へ至る大きな道路出るとただまっすぐ行きゃいいし、運転的にもラクチン。
いいでしょ?
あとあれだよねえ、両親が年老いたら、クルマは必須だなあってほんと思う。
幾ら都内に住んでるとしてもね。
年寄りはドアtoドアじゃないとさ。クルマで。
運転できるようになっといて、ほんとよかったってつくづく思う。

病院着いて、その日は小雨、着いた時も少しだけは降ってたけど、傘は要らない程度。
駐車場クルマ置いて、病院へ。
もうそういう意味では通常の営業時間は過ぎてたので、コンシェルジェ行っても受付のお姉さんが案内してくれたりはなくて、警備のおっさんがいるだけだけどさ、おれも52歳なんだよねえ、ヘタすりゃこういう場合おれのが年上の可能性ってのもあるけど、警備とかの人は大概定年迎えてからだろうから、おれよりは上だったはず。(なんだよその情報w)
受付から救急外来まではおなし1階じゃあったけど、ちょっと距離があった。警備の人に聞いてマップにマーカーしてもらってまっすぐ向かった。
まあ向こうも教えなれてんだろうねえ。
ほいでその場所へ行くとお母ちゃんがいて。
なんか座って待ってた。
そのあとどうしったけなあ?たぶん間もなく、看護師さんかなんかが来てその場にある小部屋案内されて軽く説明受けたんだったか。救命処置してます、みたいな。
でももう意味ないのはおれもおかあさんもわかってたんで、ある意味安心(?)ていうか、揺れがなかったかもね。どっちだろう?生きてて欲しい、頼む、みたいんがもうなかったから。
結果はすでにわかってたから。
それでまたしばらく待つと今度は医者に呼ばれて状況説明。
いま救命処置してます。してるけど反応はないです、みたいの。
うちらはそれで、ハイハイとごく素直に納得して、また部屋へ戻る、みたいなね。
小部屋で、でも息つまるんだよねえ。
なので外出てソファーに座ってみたり、あとどこの時点だっけか?看護師さんに「あ。エアコン入ってなかったですね」ってことでエアコンつけてもらって、したら過ごしやすくはなった。
やっぱ上の空っちゃ上の空なんだよねえ。
いつもなら、自分でさっさとエアコンとかつけてるもん。おれとか。むだに忙しく。その点じゃ。
でもエアコンあんのにぜんぜん気づいてなかったわけだから。
でもまあ、殺風景な小部屋であることには変わりがないわけで。
それでいよいよこっち来てくださいって云われて病室(処置室?)行くと救命処置してて、そこで医者から、反応はゼロだし、こちらの画面もフラットなままだし、どうしましょう?みたいなことゆわれて、二人してせっかちなおれと母親ははいはいわかりましたと受け容れますと。
したら平成27年、2015年か、7/9(木)、19:05死亡確認、と。
まあ死ぬのは、ってか死んでんのはもうとっくにわかってたしねえ。
でもあれだよ、幾ら見た目に死んでるのが見て取れてても救命処置すんのが向こうさんの役目。
大体、うちに着いて本人見た時点で、ああもう終了だなってあっちもプロだし、いっぱいみてるわけだしわかったと思うんだよね。
でもそれでも万が一に掛けて救命処置はする。それが仕事だ、あたりまえだ。ありがたいぜ。
おれも最初はむしろ救急隊うちに来て、AEDとか救命処置始めたんでちょっとフシギな気がしてたんだよね。
だって死んでるし、みたいな。
でもするよな。あたりまえだ。
病院着いてからも、だから30分以上は確実に救命処置続けてたんだよなあ。きっと。
おれも母ちゃんもあきらめ早かったからね。けどでも。
最初の時点で、アウトって答え出してた。とっくに。
たぶんいまから思えばおかあさんが午後4時過ぎに部屋へ戻るお父さん見てから次に部屋へ行くまでに1時間半から2時間くらいは間があって、その間は台所でもっぱら夕飯づくりしてたから、なので、ほんとに死んだのは、起き上がろうとして倒れたのは発見する30分も1時間も前だったんだと思う。

 

「ありがとう」

父ちゃんはしかし、この半年?くらいは特に活力が落ちてた。
それのいちばんはなんといっても毎日やってたごはん作りをしなくなったこと。
それは大きい。すごく大きい。すごく大きい。
だから夕方お父さんが台所にいなくて、お母さんがごはん作ってることが多くて、っていうか、そればっかで、しばらく前にそのことに気づいてからずっと不安だったんだよね。
ほんと不安だった。
だからいつだったか台所にお父さんいて、ごはんの仕度してんの見た時はホッとした。
ああ、お母さんにもやらせよう、いずれはおれがいなくなったときのために”みづほ”(おれのお母さんの名前)にもやらせとこう、習慣づけようみたいなあれかなあって。
でも、それもそんときだけだった。
もう気力、活力が落ちてたんだ。
なのでおかあさんばっかが台所立ってた。
そんときはだからたまさか、お父さんがやってただけで、すぐに母ちゃんに戻っちゃったんだよね。ごはん作りが。だから。
あと、去年?一昨年からすでにそうだったか、毎年秋の恒例のうちの庭に生えてる栗の木から取ったクリで作る栗の渋皮煮もなくなっちゃってた。
あれ?って思ったんだよね。今年、渋皮煮ないじゃん、あれ?どうしたの?って。
それでおれはうちのことにもっぱら疎いんで気がついてなかったんだけど、そもそもがその栗の木自体、シルバーに頼んで切っちゃって、なくなってた。いつの間にやら。それが去年か一昨年かは鈍いおれにはわかってない。
死んだ後で誰彼におかあさんが「庭の手入れもこまめにしてたんだけど、しなくなっちゃったんだよねえ」みたいなことゆってたなあ。そいでわかった。
そう、活力がなくなってた。
おれはさ、午後の2時、3時ぐらいからさ、お父さんが「相棒」の再放送とかつけて台所でずっとごはん作りしてんのが好きだったんだよね。
なんかすごく安心するものがあった。
ほんとにおとうさんは料理が好きだったから、買物も詳しくて、どこの農協のあれが安いとか、市場でめずらしいもんあるから買ってきたとか、そんなふうで、あとメニューに困ってんのも見たことなかったなあ。
ほんと好きだったんだよね。まったく飽きないし、毎日毎日。
だからおかあさんの方はまた逆に買物もそんなしてなかったなあ。2人していっしょに買物行くことはあったけど、どこが安くてなにが幾らでってのを把握してんのはもっぱらおとうさんの方だった。
そんでごはん作ってるすぐそばの、台所(ってさっきから言ってるけど、まああれだ、ダイニングですよ)のソファーに横になってなんとなく寝てるのがおかあさんで、おれはその景色が好きだったなあ。
平和、って感じ。安心する。
おれは仕事柄、よそんちよく行くじゃん。
そうするとみんな母親がもっぱら料理してて、おとうさんのほうはTV見たりしてんだよね。
それがおれには逆にフシギでさ。
あれ?おとうさん、なんもしないの?って。
うちは逆だったもなあ。母親がなんもしない。ソファーに寝てる。
でもさ、あれだよ、うちの父親はそうしてごはん作りとかは率先してやんだけど、しゃべるとうんざりするようなことばっか云うんだよね。
なので、そのへんはむずかしい。
でもうちの親見て思ったのは、考え方や云ってることに多少歪みがあっても行動の部分がマシなら、まあそれはそれで、って。
少なくとも夫婦間においてはなんとかはなんのかなあって。
おかあさんに対してもモラハラなことはしょっちゅうゆってたよ。
まったく褒められたもんじゃないし、おれも妹もおとうさんのそういう点はだいきらいだった。
暗くて。
卑屈なんだよね。コンプレックスが強い。
TV見てて成功してる人間のことやたらわるく云うみたいなタイプ。
でもおとうさんはわかってなかったんだよ。
そうして毎日あたりまえにごはん作りすることがどんだけ立派なことか。
あと、おれでもおかあさんでも、しょうゆ差しのひとつもとって「はい」って渡すと必ず「ありがとう」って云うんだよね。
あの年(82)で自分のかみさんにあんな素直に「ありがとう」が言えるなんてすげーいいと思うよ。
なのに一方でおかあさんにモラハラなことも言うしさあ。
父ちゃんのごはん作りでおかしかったのはおかあさんがたまにTV見ながら、グルメ番組みたいの、「天ぷらが食べたいなあ」とかゆーんだよね。
それってさりげなくお父さんにリクエストしてんのw
それでちゃんと次の日、リクエストしたもんが出て来たりしてさあ。
そういうの、いいなあっていつも思ってた。

それでどこまでだっけ?
まだまだ長いよ、ってか書き続けたい。
死亡確認はあって、でもあれだ、みなさんご承知おきの通り、最近もネットで話題んなったけど、救急車呼ぶと警察案件になるじゃない。
なので取り調べられましたよ。おれもお母さんも。
事情聴取。
若いメガネ掛けたお兄さんだったなあ。
でもやさしい感じだった。
段取り、手続きなんでごめんなさいって感じがあって。
まあねぇ。
向こうだって事件性のありやなしやぐらいはわかるし、身内死んで悲しんでる時にそんな不粋なねえ。
まあしょーがない。お仕事、お仕事。
おれもだから最近のその話題と、あと職業柄、警察案件になることはわかってたから、まあいいです、手続きだし、つきあいましょう、と。
かあちゃんにもだから、まあこういうもんだからと説明はして。
それで特定の死因みたいのが血液検査とかもしたけど、医者の方でもわからないままだったので、ドクターからの説明でだったかな?司法解剖?します?どうします?みたいに云われて、でもおれも母親も来る時が来たって思いだったので、いまさらいいよぉという感じで、警察の方も事件性ないのはわかりきってる状況なので、遺体はじゃあこのままでってことになりました。
あとあれだ、現場検証。
おれが病院に残り、第一発見者の母親が自宅へ警察と共に。
パシャパシャ写真撮ったりしたとか云ってた。
それでその帰り、玄関のカギを閉めようともしないうちの母親に警察が戸締まりちゃんとしてくださいって云うとうちの母親は「これでだいじょうぶです♡」とか云ったらしくて、ばかだねえ、警察に戸締まりしなくてもいいですって通じるはずないじゃんねえ。もぉ、ほんとw
うちはさ、あんまカギかけないみたいな習慣でさ、長いこと。
でもそれを警察に主張してもねえw
でもまあ、もう父ちゃんもいないし、これからは余計な不安やトラブルを抱え込みたくはないんで、もうカギは掛けるゼ。
お母さんにもしっかり伝えた。

 

遺体の帰宅

 まああれだ、初七日とか新盆とか云われてもなんのことだか意味がわからないので、せいぜいググって「へー。」って思うぐらいだ。
信心、ないんだよねえ。
うちはさあ。
おれは儀式的なことは興味ないし、苦手だし、母親も校長先生の話聞くのつまんない、みたいな感覚で一般的な葬儀とかが苦手だし。
そして肝心の当の本人、うちの父親はそもそもが宗教とか葬式とかだいっきらいだったし、まあ「葬式とかすんな」みたいなことはよく云ってた、けどまあなんもせんわけにも行かず、プロにお任せのがラクなので、今回はあれですよ、いっちゃんシンプルな通夜も告別式もないやつに、家族葬?みたいのんにしたわけですよ。
いまは便利だよね、インターネット。
なので7/9(木)病院に運び込まれた後、待合室でとりとめなく、文字通りほんととりとめなく、ただ、おれはストレス感じたり、調子わるかったりするとしょーべんが止まんなくなる癖があって、その日もほんとすぐそこのトイレに10分ごと、5分毎ぐらいには行ってて、ほんと落ち着かなかったなあ。
しょーべん近いのつらい。めんどくさい。
でもって病院から遺体を自宅へ移送するには葬儀屋ですけど、病院の方で紹介できるとことでどうですか?いいですか?と問われたんで、まあ考えんのもめんどくさいんで、じゃあそれでいいです、けど、以降の葬儀についてはこちらで考えます(おれとしてはもうめんどうだし、頭もまわんないし翌朝あらためてなんとかしようみたいな考え)ってことで宿題持ち帰りみたくして、でもスマホで近くの法要殿ググったらそれついでに「イオンのお葬式」ってのが出て来て、おれ、イオンカード持ってんし、この手の大手のあれなら料金もお手頃、お値打ち、明確明瞭じゃあないかとこれにすっかなと検討はつけておいて。
でもって翌日の朝には結局、朝の7時前くらいだったかな?スマホでその「イオンのお葬式」ってのをポチッとタッチしてTEL。あとは電話に出た係の人とお話、聞かれるままに答えて。
したら9時以降にまた連絡します、「イオンのお葬式」の方でチョイスした葬儀屋紹介しますみたいなこと云われて、いや、9時半ぐらいにはもう葬儀屋が行きますみたいに云われたんだっけか、まあとりあえずそんな流れで。
「火葬式」コースってのにはして、したら19,8000円。
あとはオプションで日程が伸びたりした分遺体安置とかに別途料金掛かったりってのはあったけど、それは覚悟の上、でも安かったなあ思ったよりか、ってか、ほんと料金は明確じゃあった。助かる。
「イオンのお葬式」、オススメ!です!(ステマ)
病院からの自宅までの遺体移動は別の業者だったけど、ちなみにそいつは4,5000円。
それはまあ急なことだし、そんぐらいは掛かるんじゃね?みたいんであれでしたよ。

結局夕方6時過ぎに救急搬送、それから最後病院出て自宅戻ったら0時半ぐらいだったかなあ?
お母さんが葬儀社のクルマで遺体といっしょに帰宅、おれは自分のクルマで後を追うみたいな。後着いてったわけじゃなくて、おれは救急病棟から割と距離ある駐車場まで歩き、それからクルマだったからちょいと後じゃあったけど。


 病院で、夜7時5分での死亡確認の際、ドクターからご家族の方、どうぞお別れをみたいなことゆわれたけど、おれもおかあさんももうとうに死は受け容れていたんで、あとそういうときどうしていいかわかんねってか、気恥ずかしいみたいのがおれにはあって、おれは軽く腕を触るぐらい、かあちゃんは特に近づくでもなく立ってただけ、みたいな。
そんな抱きついて「お父さん( ;∀;)」みたいのはちょっとね。まあそうはなかなかするもんでもないよね。多勢に無勢、ドクター&ナースィズのが数が多いわけだし。
そもそもそういう時の振る舞いがわかんないし。
あと受け容れてたから、せっかちなおれたちは「はいはい」みたいなね。次、行きましょう、みたいなね。
うちはさあ、お父さん、デブで重いんだよ、正確には何キロとかは知んない、でもデブには相違なく。
ほいで自宅前で遺体積んだ葬儀社のクルマが待ってて、おれが後から着くとちょうど外へ出したとこで、ストレッチャーのそれで。
で、葬儀社のおにいちゃん、おれよか確実に若い彼氏とおれと、人手はその2人きり、おにいちゃんに私が上を持ちますから、足の方を持ってくださいってゆわれて言われるがままに足の方持って、まあタンカだよね、その上に載ったそれを、せいのっ!で、持ちゃげて、窓から部屋ん中へ移動。
おにいさん、ちょいとたいへんそうだった。気の毒。
重いからさあ。
あれで後から腰でも壊してなきゃいいけどってその時点で思ってた。
あんなデブ、2人きりでもちゃげて部屋へ移動ってのはたとえその間の距離が短いとは行っても暗い中、たいへんだった。
まあ危うくもなくささっとできたけどさ。
おれは仕事柄、なんつか人を持ち上げんのは馴れてんし、腰は丈夫だしさ。
でもおれみたいに男手がなかったら、葬儀社の方で2人来たりすんのかなあ?その分料金嵩むのかなあ?とかちょっといま思った。
あと団地とか遺体の移動って、すげえ大変だ。
うちなんか一軒家だし、1階の窓からすぐに部屋だからある意味ラクじゃあったと思う。
団地とか、大体エレベーターもなかったり、狭いし、階段あるし急だしねえ。
でもそういう場合は考慮して判断して即日に安置所移送とかなのかなあ?もしかして。
自宅へ遺体置くにはある程度条件クリアしないとだしさ。

うちはあとそうね、坊主も頼まないし、戒名もつけないし、みたいんで、その分がだいぶんお安かったと思う。
通夜、告別式ないから、食事とかのあれもないし。

 

ごはん作り

 お父さんはごはん作りだけじゃなく、一時は洗濯もしてた。
そのうち膝だったりかが痛くなったりで、歩くこと自体つらいみたいんなって洗濯物干しに2階まで上がるのができなくなるまではしてたな。
おかあさんよりも干し方もたたみ方も丁寧だった。
まあうちのおかあちゃんはなんにつけ雑、だったりはするんでね。
でも自分のかみさん元気で、介護とかそういうんでもないのに自ら洗濯するって昭和8年生まれの男子としちゃ大したもんだと思いますよ。それとごはん作り。
そういう風に家事やるとこが、おれは大好きだったなあ。リスペクトできるっていっつも思ってた。
でも当のお父ちゃんは立身出世みたいのんができなかったことばかりが悔いでコンプレックスで、そっちばっか気にして向いてて、そのぶんすごくいつも卑屈で、わかってなかったけど。自分のしてることがどんだけ立派なことかが。
お母さんの、ってか自分のかみさんのパンツ干したりたたんだり、なんの苦もなく、特に取り決めしたわけでもなく始めてたんだから。
そんな男、いないだろ?昭和8年生まれでさ。
えらいじゃん。
いいとこなのになあ。
わかってねえなあ。当の本人が。

 

リプライズ

 今日はすずしい。
昼間は雨、すごかったけど。
これで、でも妹たちが帰る日、日曜にはもう天候の心配ないな。それがありがたい。無事成田から飛び立てる。
ちょうど先週の今日のいまごろは病院の小部屋でまんじりともせず(このフレーズ、遣えた^o^)、ただただ待ってましたよ。時間が過ぎるのを。
結局夕方6時過ぎに病院に入り、帰宅したのが0時半とかだから、ほぼ6時間はいたなあ。
その間警察の事情聴取とか母親が一時帰宅しての現場検証とかはあったけど、大半は部屋でじっとしてただけ。
じっとっていうか、落ち着かずになんかね。
おれなんか特にしょーべんが止まらず、ほんとあれはつらかった。
ストレス、なんだろうなあ。
次の日にはそこまでのことはなかったからね。5分、10分に1回のおしっこだなんて。
でもって帰宅して寝るわけですが、朝までまったく寝れやしねえ。
おれもおかあちゃんも。
帰りが遅かったし、いつもとはちがうわけだし、明日からのことも心配だし、とてもじゃないが落ち着かない。
それにおれもいつもならツイッターでも見たりして時間つぶすとかだけど、ぜんぜん、見る気になんかなれやしねえ。
それは病院でのひたすらの待機の時でもそう。
気が向かない、んだよねえ。そんなときは。
なんも関心持てない。
あと、父親が死ぬとかだと関係者に連絡せにゃならんわけだけど、そういう場合、まずは職場へ連絡しなくちゃなんないのがなんとも味気ない。
急にこんな感じなんで明日からしばらく休みます、って。
そういうのなんか、ねえ。
気持ちとしては仕事とか忘れてたい、それはまあふだんでもそうだ。なのにえりにえってこんなときはなおさら。
どうせなら親しい人間に連絡してからにしたいよ。
でもそうも行かねぇ。もうすでに夕方だったし。
なので、おれは病院の駐車場へ着くや、すぐにクルマの中から職場へとは連絡したのでした。
遺体がうちに着くと、葬儀屋のおにいさんが布団に横たわったうちの父ちゃんの身体にドライアイスくっつけて冷やすようにしてた。
ああそう、そもそも病院出る前に処置室での死亡確認の後、また待って、それで霊安室へとは呼ばれて遺体とあらためて対面。その際には葬儀屋の方で腕の方を整えたりとか、あと着替えも済ましてくれてた感じ。
着替えはうちから出た後に母親に用意させた着替えをおれが後から自分のクルマに積んで持ってったのを使用。
甚平をさ、持ってったさ。いつも着てたやつ。デブだし、似合ってたそれ。
したら当然下着類も持っては行ったけど、結局それは必要なかった。あれだよ、オムツをつけるんだな。パンツじゃなくて。こういう場合。そういうもんみたい。
でもって霊安室でドクターが献花とかしてくれて、おれと母親もそうするように促されたんで一応はしたけど、おれもかあちゃんもそういうの、あんま興味ないってか、形式っぽいの苦手で、なんかちゃちゃっと云われたからやる、みたいな感じじゃあった。
なんかさあ、だめなんだよねえ。そういうの。ほんと。
演技っぽいことがうまく出来ない。

翌朝、ぜんぜん寝てなかったけど、4時半?5時くらいには横んなってんのがめんどうんなって勢いで起きた。
そいで朝の支度、顔洗いとか歯磨きとかしたんだと思う。
あれ?フロも、ってかシャワーもしたかも?
そんでパン食ったな。一枚だけ。食いきれなかったけど。
ちなみにその日の昼は冷凍の、チンして食う日清焼そば。これは美味いし安いし簡単なのでオススメ!です(ステマPt.2)。
おれはそんなわけで朝昼晩とそれなりには食ってたけど、お母ちゃんはこれはもうまったく食欲がなくて一口も食えやしないってな感じだったなあ。
でも沈んでるとか、悲しいとかじゃなくて、混乱してるっていうかね。落ち着かない、っつうか。なんせ初めての経験ですから。
そんで何時ぐらいだっけ?たしか9時半だ、そうだ、イオンのお葬式がチョイスしてくれた葬儀社の人が2名、男女のそれがやってきた。
それで葬儀内容の説明やら、あと遺体の状態を確認、ドライアイスの入れ直しとかだったかな。たしか。
あと、線香とかローソクとか、それらを置く台とかを一式、持ってきて誂えてくれた。
そんな発想、我々にはまったくなかったね。大体が。
へー、って感じ。
あとあれだ、おれ、その9時半に葬儀社の人たちが来るまでに洗濯しちゃおうとか思って洗濯してたわ。
そもそもが起きたの早かったからヒマじゃあったし。
天気もその日はそんなよくなくて、なので、洗濯機に自分のもん掛けると、終わるとその足でいつもの馴染みのコインランドリーへ。
そこはいつも行くことで。天気わるい場合に衣類の乾燥のために。
でもいつもなら音楽聴きながらついった見たりしてんだけど、さすがにその日は、洗濯物乾かすほんの30分ほどの間もまったく落ち着かなくて、気持ちの持ってき場がなくて、うろうろうろうろしてた。とてもじゃないが座ってても落ち着きゃしない。
あれ?たしか朝のうちはまだ暑かったんだっけか?
それもあって、コインランドリーの中が暑かったし、でも外出ればまた暑いし、行ったり来たりしてた。
で、葬儀社の人来て、話してなんとなく一段落。
だって葬儀とかぜんぜんわかってなかったし、そもそもが朝イチで「イオンのお葬式」へ掛けるまではまだ迷いがあったし。
なので、ようやく具体的になって、あとはプロにお任せでいけんべと思えて安心したんだな。きっと。
でも気が落ち着かないのはそのままいっしょで、それでもって妙にヒマだし、でもTV見る気になんかなれないし、ネット見る気にもなれないしで、余計、ヒマ。
でもさ、あれだ、たしか午前11時ぐらいだったかなあ?すぐ近所の、うちの親と同年代の夫婦がいて、その奥さんが玄関に現れてくれて。ピンポンと鳴るから、どなたかと云うんで出たら。
昨日、救急車とか来てたけど、お父さん、どうでした?みたくに聞かれたんで、おれはすぐアウトでした、死んじゃいました、みたく答えて。
あれだ、「亡くなった」って言い方に違和感あるんで、おれは「死んだ」って言いたいのでそんときも「死んじゃいました」みたいに云った気がする。
親しい人間にそんな「亡くなる」だなんて他人行儀なこと、云えるかい。
人は「死ぬ」んだよ、「亡くなる」わけじゃない。そんなのは会社とかで遣えばいい。
おれのお父さんはあくまでも「死んだ」のであって「亡くなった」わけじゃない。
(ってな拘り方はある種、父親譲りなんだよなあ。結局は。自分の感覚、考え方みたいなもんに固執しがちなとこはさ。おれのがインテリだけどね。でもね、そうはいってもね。でもさ、いっしょさ。どっかでね。父親とはね。似ちゃう)
それでだ。
閑話休題。
すぐムダに熱くなる。
いいことはない。
それで損ばかりだが、そんな人生ですよ。
しょーがなし。
仕方がない。
それでその奥さんが来てくれて、その人はお花の先生もやってるんで枕花(これまた我々の知らない情報w)と梅漬け(甘く漬けたそれ)を持ってきてくれて。
したらさあ、すごく助かったんだよね。我々親子は。母親とおれとは。
梅漬け、そう、お茶うけだなんて発想自体浮かびもしない、でもその梅漬けは後々もすごく役立ってくれてさあ。来客のあるたびに。
それに口火を切ってくれたんで、その奥さんが、すごくすごくありがたかった。助かった。
人って、ありがたい。
そうして誰か来てくれる、そのことがどんだけありがたいか、ほんとに今回は身に沁みてよくわかったよ。
その後も続々と近所の人たちが来てくれたんだけど、そのことでどれだけ助かったか。
ほんと気が紛れるんだよね。
動けるようになる。気持ちの持ってき場がとか考えなくて済むようになる。
葬式って忙しいことの効果って、あるんだなあ、と、いまは学習してる。
あとさ、近所の人たちは、だいたいがべつに呼んだわけでもなくて自然に来てくれたんだよね。それがよかった。ほんとよかった。
だって義理やつきあいじゃなくて、ほんと気持ちで来てくれてるんでさあ。
ありがたいよ。ほんとに。
うれしかった。
あと、意外とうちのお父ちゃんが人望があるのがわかったのも収穫だった。
まあ、外ヅラがいいってかね。うんw
老人系サークルで「ペタング」ってスポーツやってたり、麻雀してたりで、その仲間たちが来てくれてさ。
つい2、3日前まではその手に参加して元気じゃあったんで、みんなには意想外の出来事でもあって。
同年代の、それも比較的元気だった人間が突然死んじゃうっていうんじゃ、みんなショックだよね。そりゃ。我が事も考えざるを得ないだろうし。
うちのお父さんはさ、「ペタング」とかによくなんか作っちゃ持ってったりもしてたんだよなあ。料理が得意が、そういうとこで活かされてた。
あと、あれだよ、ほんの3年前(?)ぐらいまではテニスまでしてたからなあ。
テニスはもう20年?30年?とかそういう長きに渡ってこの町のサークルでずっとしてた。
なんせ運動神経のいいデブだからさ。ほんと。典型的な。
スポーツ大好き♡な。息子のおれはその点、からきしなのにねえ。そこは遺伝、なかったな( ;∀;)
ほんと急死だったから、だってあれだ、なでしこの試合とか見てたからね。朝。おれが起きてキッチン行くと。
あれって何曜日だったっけ?
ともかくそれぐらい、ふつうだったよ。ほんと直前までは。

(妹はアメリカ人と結婚して、今はアメリカ在住)

 何ヶ月か前、「あまちゃん」全編をBlu-rayに落とし、アメリカへ送ったが、元々は甥っ子の、特に次男のリクエスト、したら、先日来た際「あまちゃん見れた?」って妹に訊いたら我が家ではあまちゃんブームが来てあまロスとかで、したら甥っ子(3男)が「暦の上ではディセンバー♪」と歌い出した。
だいぶん遅れてあまちゃんブームが来てたらしい。
そんなわけで。

妹とゆうべ話してて、おれが先だって三原順のムック本を送ったんでそんな話をしたが、ただその本の到着と父親の訃報がほぼ同時だったんで本読むとかそういうんでもなく慌てて支度して日本来なきゃいけなかったわけで、それでもって、おれがこの春、神保町で開催されてた三原順展へ行った話などすると妹はさすがにそのためだけに来日するわけにも行かず、行けはしなかったが、妹の友達は見に行ったらしくそんな話してた。
おれよか三原順は妹のが熱心に読んでたんだよな。
おれはほぼ「はみだしっ子」止まりだったし。
なんで神保町のそれ、妹には行って欲しかったけど、まあしょうがない。
それで三原順作品は我が家に置いてあるんで、妹はたぶん今回「はみだしっ子」ぐらいは向こうへ持って帰るはず。
それで上記のムック本と合わせて読むことにはなるのでしょう。
あと、そんな話のついでに(さっきから「話が」みたいなフレーズが続いてる気がするが読み返さずずっと書き続けてる)、おれが送ったTV番組のBlu-ray、その大半はドラマだったけど、そん中で「青い炎」がウケたと云ってた。
なんでも特にオタクな友達がいるらしく、その子にそのBlu-ray渡したら「おにいさん、すごいね☆」って褒められたらしい。
いい傾向だ。
もっと褒めて欲しい。