國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

2015年の夏 Pt.3

クルマ屋

 昨日クルマ屋行って「先日父親が亡くなったんでクルマ、処分したいんですけど」と言ったらすぐに必要な書類はこれとこれと教えてくれ、今日の昼間母親が役所行って取ってきてくれたんだけど、あれなんだよね、処分するにしても、一応カタチとしては相続したってことにはして、それからってことになるってことで、なので「原戸籍」ってのが必要です、と、クルマ屋さん。
そのクルマ屋はおれが数年前にいまよりひとつ前のクルマ買う時から行くようになったトコで、すごく感じよくて、なんていうか、ふつうな感じなんだよね、ふつうに話せる、おれはそういうのんがしっくりくるし、なんか頼んでも端数は切り捨てみたいなのもあって、そういうざっくばらんというか、個人商店ならではの、融通の効き具合みたいのんもよくて、そしたら、父親もそれまでは他のクルマ屋だったんだけど、おれが使ってるそこにしてみるかって云うんで、そこでいまのクルマ買った。
まあクルマ屋のおにいさんも唐突でビックリしたとは思うけど、まあともかく。
そんでその「原戸籍」ってやつが、なんか古臭い、縦書の、昔風のいかにも「戸籍」って仕立てのやつで、うちの父親は出自がややこしい、戸籍と実際の父母がまったく別、カンケーないみたいなよくわかんないことになってるとは前から聞いてるけど、詳しく聞いたことは一度もない、いまとなりゃちゃんと聞いときゃよかったとは思うけど、なんだか実の母親はうちのお父ちゃん産んですぐ死んだらしく、しかも産まれた時点でほんとうの父親はなんだか東京の方へ男の子一人連れて家出してたとかで(うちの父親は末っ子で、その男の子は5人兄姉の上から2番目)、そんでその男の子を持て余したあげく、たまたま出会った行商で花屋やってた人に預けたとかなんとかで、意味がわからんのだが、なんかいろいろいっぱい事件があったらしい、そんでだ。
うちの父ちゃんはさ、その正に戸籍謄本を昔の高校入学には(旧制中学?)必要で取り寄せたら、なんだかまったく知らない名前が載ってるし、なんだよこれはってことでグレたらしいんだなあ。
その、「おれは自分のほんとうの父母を知らない」ってコンプレックスはもうほんと強くて、それこそは2、3ヶ月前にもそんなこと口にしてた気がするもん。
そういうのってすげー引きずることじゃあんだろうけど、おれなんか、こんなかわいいかみさんいて、穏やかな暮らしも手に入れて、そういう方でもっと満足しろよ、みたいな気持ちがいつもあったけど、そういう卑屈さみたいのはでも生涯治らなかったっていうか、性格だったなあ。
でも生まれはややこしいとはいえ、地主の家だったりで、まあまわりに比べたら裕福な暮らししてたし、でもせっかく始めたラーメン屋は止めちゃったし、その後はずっと肉体労働で、社会的成功とは遠く、他の兄姉たちがそれなりになってる、親戚でも検事正まで行ったような人もいるみたいのが更に劣等感を強めてたのか、なんか人を羨むばかりのところは、ほんとずっと、ねえ。そこはほんとさあ。食卓でそういう劣等感聞かされるとほんとうんざりもするわけだ。
実際にうちのことはこまめにやるし、仕事はずっとマジメにやってたし、かわいいかみさんいて、子供も2人、孫も出来て、住みやすい一軒家も建て、最期までひとりで動けてて、近所のサークルにも参加してたのしんでたしで、考えようによっちゃ、ずいぶんと幸せだとは思うんだけど、でもダメだったなあ。口にすることだけは。行動はそんなわるくない、ってか、早くに亡くなったすぐ上の兄貴の子供たち(つまりおれのいとこだ)が大学進学でこっち来ると引っ越しやらなにやら良く面倒見てたし、人の世話をするのは好きだったし、ごはん作りはするし、洗濯はするし、おれにはカブトムシ育てるでかい箱作ってくれたし、その他いっぱいいいトコあって、でもしゃべることがなんかなあで、台無し、って感じで。
おとうさん、おとうさんはおとうさんが思ってるよりもずっとしあわせだし、いいトコいっぱいあるよ、いっぱいあったよ。それがなんでわかんなかったかなあ。だから結局、娘、つまりおれの妹だ、とはどうしても上手く行かず、その延長で孫たちともうまくコミュニケーション取れないまま逝っちゃってさ。そこは惜しいや。ほんと。もぉ。

で、その「原戸籍」見ながらかあちゃんと今日話したんだけどさ、父親は生まれも育ちも長野県なんだけど、その戸籍には出生地が「東京都小石川区」ってなってんだよねえ。意味わかんねえw
なんで唐突に小石川。
江戸っ子かよ?!
そんなバカな。
どう考えても、ってか考えるとかじゃなくて事実、長野県人。
ちなみに「南信」「北信」なんて言い方がありましてな、そんな言い回し、長野県人以外でしてんの見たときない。
うちの父親の父親、つまりおれの祖父さんだ、その人がなんで長野くんだりから東京まで子供一人連れて出てったのか、そして結局その人が最期はどうなったんだか、戸籍上の父母になってる人はいったい誰でどういうつながりなのか、是非ともNHKの「ファミリーヒストリー」で明らかにして欲しい。
おれが有名人になれば、それも可能だなあ。なんかがんばろうかなあ。
まあ親戚の誰かはそこらへんの流れを知ってる人はいるとは思うんだけど。
あとおとっつぁんの育ての親ってのがいるわけですよ。それはおれも知ってる、おれが祖母として認識してる人で、その、高校だか行くまではうちのおとっつぁんがほんとうの母親だと思ってた人で、でもナゾなのが後添えとかじゃなくて、だって「父親」はとうに家出していないわけだし、いったいその「祖母」が誰の嫁だったのか?ナゾは深まるばかり。
考えてみればさっぱりわからない。
うちの母親も今日話してたら知らなかったw

あとあれだよねえ、うちの父親はそんな風に出自がややこしいし、更に高校出て東京出てきてあちこちの料理屋で小僧やって、それもあちこちの店へ入っちゃ辞め、みたいの繰り返してたり、スポーツも得意だったし、高校卒業するまでだって、子供時代からやんちゃでいっぱいいろんなことあったろうし、東京来てからも、リアルに新宿の「和田組のマーケット」をウロウロしてたわけだし、気が小さいのもあってか、すごくありがちに「おれは昔わるかった」みたいなこと口にするタイプで、いつぞやは墨を入れかねないこともあったとか云ってるし、エピソードはいっぱい持ってるはずなんだよね。でもほとんど聞いたことなかったなあ。具体的には。エピソードトークがあんまし得意じゃなかったのかなあ。それも特に家族相手だとさあ。
もっとこう、エピソードトークをおもしろおかしく話せるような人だったならよかったんだけどねえ。持ちネタいっぱいあったはずだし。
つまらんコンプレックスの披露か、底の浅い床屋政談なんかよりかはずっと。
もっと話、おれが聞きゃよかったんだけど、やっぱまあおとうさんと話すのは苦手だったよ。
母親相手だとコミュニケーション取るのはわけないっていうか、遠慮がないっていうか。
息子は母親につく、みたいなあれです。
父親とはやっぱ距離がいつもあった。
もっと近づきたかったけど。おとうさんの方もそうだろうっていつも思ってたけど。
そこはなかなかねえ。うう。

立教大学

今日昼ぐらいに池袋行って立教大学へ。
立教、ってか、立教ん中にある書店ね。
あれだ、入試要項とかもらい行った。
甥っ子(長男)が各大学の入試要項とか取り寄せてて、この前送ったりもしてたんだけど、こっち来てる時に「立教大学も頼んでるはずなんだけど、来てない?」って云われて、来てないなー、なら今度の休みにでも立教大学行って取ってくるよとLINEで連絡など取り、今日行った。
でもいざ行ってみれば立教大学は入試要項は全部ネットでダウンドーロって貼り紙貼ってあって、更に念押しで店員さんに聞いてみたら、やっぱそうで、なんですぐに甥っ子宛にLINEしたら向こうは夜の11時ぐらい、まだ起きてるような時間ですぐ返事来て、そうなんだわかったってことで決着。
ほんでそのまま新宿へ若尾文子特集の「青空娘」見に行ったらチケットがソールドアウト。なんですぐ引き返して『てんや』でかき揚げ天丼食って帰宅。
暑い日だった。
洗濯は朝からして、干して、シーツも上掛けも、母親に昼過ぎには取り込んどいてくれと頼んでおいといた。この時期、夕立、昨今でいうゲリラ豪雨か、それがありうるからねー、あと、洗濯物もせいぜい2時間ぐらいで充分に乾くしね。いま時分は。
まあ2週間ほど経ち、おれもふつうに仕事行き始めてるし、父親のクルマは今朝ほど引き取ってもらったし、年金方面の手続きも既に済まして、事務的なことも割と進んでる。
あと、今日、Amazonで頼んどいたメロン(2個入り)が届き、夕方、近所へ香典返しってんで届けてきた。
のし紙「志」ってのはネットでめっけて印刷してセロテープで貼っつけて。
母親がメロンがイイ!って主張でメロン、なったんだよねえ。
配った後でなんか美味そうだし、自分とこ分も頼みゃよかったねってことになり、スマホをグリグリ、頼んだ♡

 

ジャッキー

それと妹の旦那、おれからすりゃ義弟ってやつか、彼氏の姉貴たち、彼は唯一男子で上に姉が3人(存命がそうで、もう一人いた彼のすぐ上の姉は十数年前に不幸があり、亡くなっている、ジャッキーって名前で、彼女は他の姉たちよりも彼にいちばん近く、仲も良く、おれも十数年前に一度だけ向こう行った時会ってる、すごくすごくやさしい女性で、でも当時幸せとは言いがたく、そして更に不幸があり、死んでしまった。ジャッキーにはずっと生きてて幸せになって欲しかった、そして日本へ遊びに来て欲しかった)、でだ、その姉さんたちからお悔やみのメッセージが届いていて、ありがたい、なんとそのメッセージカードに添えてオカネ(日本円)が入ってた。たぶん、弟に云われて日本には「香典」て習慣があってと云われたか、あるいは葬儀に出ることも出来ないし、花を送るとかってわけにもいかないので、その代わりってことかも知れず、いずれにせよ、そういうことを気遣ってしてくれるってありがたい。気持ち、ってありがたい(;_;)
そんで母親と話して、メッセージカードとそれに添えて「みすず飴」(長野県の名物)を送ることにした。「みすず飴」は昔、向こうへおみやげに持っていったら評判がよかったらしいんだよね。

やっちゃ場の女

若尾文子映画祭で見た「やっちゃ場の女」これがすばらしい傑作だったんだけど、そん中でおかみさんが早々に死んじまって葬式ってことになんだけど、それはもっぱら家の中で行われる、いまみたくどこかよその会場でってのはもっとずっと後のことなんだろうなあ、そいでもって、その葬儀の最中、好き合うもん同士が恋の駆け引きしたり、子供は紙飛行機飛ばしてはしゃいでるし、みんなバタバタと忙しく、自分のことに忙しく、誰も悲しんでるもんもいなくて、したらその映画の感想でこの家は亡くなった者がいるのに誰も悲しんでない、異常だみたいなこと書いてる人がいて、でもさ、葬儀だからって悲しむかってえと、必ずしもそういうもんでもないよねえ。
それは死んだ人、死に方によるだろうとは思う。
葬儀=メソメソ家族が泣いてるだなんて、まったく通俗に過ぎることで、いっそリアルじゃない。
悲しくたって、そうメソメソする、涙流して見せるとは限んないじゃんねえ。
それに葬式の最中だって結構朗らかに笑ったりしてるもんさ。
そういうもんさね。
したらその映画を見てしばらくしてうちの父親が死んだわけですよ。
なんだか葬式見てたんでその映画で、なんとなく予行演習みたいだったなあ。べつに参考になったりはないんだけどさ。結果的に。
あと、うちも別におれもかあちゃんも泣いたりはしてないよ。泣かないね。わりとあっさり淡々と死を受け止めてた。
前から予感あったし、ある意味、悔いのない死じゃあったからさ。
ただね、あれだ、ショックは受けるよ。
お母さんは丸2日ぐらい、なんも食えなかった。
それで木曜日の夜に死んじゃって、土曜日の夜にようやくおれに地元で美味いとこあって、そのラーメン屋行こうっていって、ようやく食ってた。ちゃんと一杯完食してた。それまではほんの一口なにか口にして、もうそれきり、現実なんも食ってない、みたいだったんだけどね。
食わなきゃっつって、かあちゃんの好きなそのラーメン食ってた。
そっからは徐々に戻って来てたかなあ。いろいろと。持ち直し始めてたかも。
それで日曜の夕方には妹ファミリーが来て一気に我が家が夜も含めて賑やかになり、それから一週間、彼らは滞在してて、それがよかったなあ。
おれとしては妹の顔が毎日見れるのがうれしかったし、子供たちいるとなんか明るくて、いーよね。やっぱね。
おれとかあちゃんの2人きりが訪問客もひと通り済んだ後にそれだったなら、なんかもっとつらかった、っていうか、そんな重いもんじゃなかったとは思うけど、気が紛れる一週間があったのはほんとよかったと思う。
いつもと違う空気、お父さんが死んだそれじゃなくって、甥っ子たちがいてのそれがあってほんとよかった。
彼ら、ちょうど向こうの夏休み中で、だからみんな来れてさ。
ラッキーだった。来てくれて助かった。
子供たちはね、未来なんでね。父ちゃん死んでも未来はあるよ、まあそういうね。
うん。

クレジットカード

葬式関係がひと通り済み、葬儀屋への支払いの段取りってことで、おれ、「イオンのお葬式」だからイオンカードで払ったんだけど、したらうちの担当の葬儀社の人、カード決済する時に、こう紙を挟んでさ、カツーンと取手動かすみたいな道具使ってて、おれはあまりの懐かしさに、おれがちょうど池袋のビデオ屋、アダルト専門店、もう27年とかそういう昔に店でクレジットカードの時に使ってたの以来に見かけたそれなんで、思わず「それ、なつかしーですね♡」って云ったら、その女の人、思わず苦笑、「ですよねー」みたいな感じで周りにも何人かおれ以外にもいたけど、みんな笑っちゃって、和やかでいいムードだった。
そんなんも含めてなんかいい葬式だったなって思うよ。
形式張ったそれじゃなくて、気持ちがあって、それでふつーで。
ふつーがいちばん、てのがおれのモットーだしな。
その葬儀社の女の人もうちの雰囲気もあってか、そんな硬くもならず、ふつうな感じでいてくれて、なんかそんなんがよかったな。

なんだかそういえば父親の死に伴うしばらくの仕事へ行かない日々は、といって4日間プラスちょっと、ピンポイントで仕事行ったりだのなんだので、丸々の休みが続いたわけじゃなかったけど、でもでも、なんだかひさびさのオフって感じがしてた。
仕事、というか俗世間から離れてる感があって、そういう点ではどこかすっきりと落ち着いていた。自分のペースで時間が過ごせてる気がしてた。
人に云われてとか、人の目を気にしてとかじゃない生活っていうか。
そりゃ親戚なり来るし、人目ってのはあんだけど、なんていうか、自分でコントロールできる範囲というか、自分で選べる範囲というか、”やらされてる”感のないそれで過ごせてた。

葬儀社に依頼すると、すぐに線香セット、鉦(カネ)とかも含む、持って来てくれて、我が家には仏壇もないし、そんな習慣もなかったけれど、なので、ああそういうものかと後から気がついたようなもので、そうじゃないなら、自分たちでそういうの用意するって頭さえなかったようなもんだった。
でも線香上げたのは葬儀社の人が来た時と、あと親戚が来てちょっとなんかそんなことしたかなー?あとはそう、焼き場で死体焼く前に焼香ってやつやったときぐらいで、おれも、そして母親も、その後も線香上げたりとかはぜんぜんしてないんじゃないかなあ。
なんかそんなこと、こそばゆいっていうか、元からの習慣がないのもあって、なんていうか、心が籠もんないんだよね。そんなことしても。
なのでやってない。
自分たちの気持ちが篭ったことじゃないとやりたくなくてさ。
元からの習慣や信仰がある人ならば、例えば線香を上げるといっても充分に心が籠もりもするのだろうけれど、うちはそんなことしても、なんか無理くりカタチをしてるだけになっちゃうんで、やらない。
でも線香上げるようになってたりってのは誰か弔問に来てくれた時にはカタチがあると納まりがいいものなので、来た人だってそういうのなかったら、困っちゃうだろう、そういうのもあって必要じゃあるが、本来の身内のおれとかおかあさん、あと妹はどうかなあ、なんかそういうのじゃないのがむしろしたいっていうかね。
手荷物みたいんじゃなくて、香典返しにメロン送ったのもその一環で。
なんか気持ちが入ったことをしたいんだよね。そうじゃないと気持ちわるいから。なんか自分たちなりに”ちゃんと”したいんだ。
世間の決まりじゃなくてさ。
まあ、うちはつきあいが小さいからそんなこともしてられんだろうけど。
つきあいがある程度あればそうも行かないよな。
まあそんなわけで、この先、仏壇は用意しない予定。おれもそうだけど、お母さんも仏壇とか辛気臭くてヤなんだよね。
あと元からうちらにはカネもないし、その上更に、気持ちもない、ただの他人の、ビジネスでやってるきりの坊主に大層なカネ払う気もないし、大体父親がそういうの大きらいだったから余計あれだ、戒名とかはね、つけない方向で。
でもなんもないのも不自由だし、それなりにカタチが欲しいってんで、戒名のないネームプレートみたいのんは、かあちゃん、イオンに頼んでこさえたいって云ってた。戒名なし、ってのがOKかどうかは知らんが。
あと仏壇じゃなくて、どうせならオシャレっぽい方がいいなと思うので無印良品でなんかしら写真と線香でも置けるような棚でも買おうかなって思ってる。(オシャレ=無印良品というおれの限界w)
なんかしらは用意する予定。
かあちゃんはやっぱそれなりになんかカタチは欲しいみたいだし。
おれとしてはほんとはなんもない方がいいんだけど。おれの気持ちだけで云えば。
だってさ、お父さんのことはさ、この先もずっと考えてるもん。近頃だって仕事の合間にふいにさ、なんかね。まあそういうもんだが。
うちはちんまりと、そうはいってもあたたかい家庭じゃあったからさ。恵まれてる方だしさ。そういう点じゃ。
ともかく、今後も訪問者はいて、特に親戚筋、実際にお父さんと関わりのあった人たちには手を合わせる場所が必要だしね。そういう人たちのこともちゃんと考えなきゃいかんし。
弔いってのは自分と父親だけのことじゃないんだなってのは今回でようやく学んだよ。まあ世間的に”ちゃんと”は出来ちゃいないだろうけどさ。

 

エアコン

 エアコンがイカれた。
ゆうべ等間隔で「ポッ」って音がエアコン方面からするので耳を済まし、近くへ寄ってよく見てみたら露が垂れてた。
よくあることとも言えるがなんせこのエアコン、93年製だ。
20年以上駆動してる。
幾らなんでも長過ぎる><
元々はこの部屋は妹の部屋でエアコン導入したのも妹だ。
うちの親はエアコンとかそういうのに疎かったし。
でも妹が結婚して家を出たのがもう17年(?)ぐらい前。
おれが所沢の一人暮らしから実家へ戻ったのが12年ぐらい前。
なんで5年ぐらいはこの部屋は空いてたし、エアコンも使ってなかったはずだ。
でも購入してから20年以上経ってることは確か。
よくいままで保った。
なので本当はこの夏が終わりオフシーズンになったら買い換えるつもりだったけど、さすがに限界が昨日来た。
それで素直に諦めて今日ヤマダ電機行って新しいの買ってきた。
工事は来週の月曜だからまだ一週間はあるけど。
幸いうちは比較的風の通りもよく窓開けて扇風機つけとけばしのげなくもない。
ただ、PCがあるんでねえ。
PC使うには冷えた部屋じゃないと影響もあろうし、それ以上におれの頭がなおさらぼおとしちまう。
考えたり集中したりしないんでよかったならべつにエアコンなしでもなんとかなるんだけど、そうもいかない。
暑さには元々強かったし、昔は夜勤や遅番の時は昼間窓開けて寝てたし、寝れてたし、あれだったけど、さすがに年齢的には昔みたいにはいかんじゃろ。
アパート住まいの時もずっとエアコンなんかなくて、でも彼女が出来て必要もあろうと導入したんだよなあ。30歳過ぎてからだ。それは。
今日は最近の例に倣い5時起きで(老化)、朝はまだぼんやりととりとめなく過ごしてたけど、それでも歯磨きや髭剃りはさっさと済ませるのはこの10年ぐらいのクセ、昔は特に髭剃りがめんどうでめんどうで休みの日とかはずっと先延ばしにしてたもんだった。
いまは逆にヒゲ剃らないと気持ちわるくて落ち着かなくなる。
午前中はそれでようやく重い腰を上げ、甥っ子(長男)宛の大学案内をアメリカ宛に送る用意と、妹の旦那の姉たちから来たお悔やみ状&香典(アメリカ人だけど、たぶん彼女たちの弟からの示唆?)返しで「みすず飴」と、母親がパソコンで書いたお礼状&おれが佐々木マキの絵葉書に「Thank you for your compassion」と書いたそれを添えての小包をEMSで送る準備して郵便局持ってった。それでその帰りにそういやクルマ洗わなきゃってずっと考えてた、気にしてたこと思い出してガソリンスタンドへ。
そしてあっつい中、洗車。たまのことなのでいちばん高いヴァージョンで洗った。
これでスッキリ。

あとはおかあちゃんがカインズホームで竹箒とか買いたいというんでいっしょに行って、その前におとっつぁん死んで2日目の夕に2人で行ったラーメン屋行ってラーメン食った。
おかあさんがそこのラーメン好きなんだよね。
かつおだしで、醤油味のワンタンメン。
おれも好きだし、まあ結構、美味い。
その他はショッピングモール行って無印良品でこの机欲しいなあとか思ったり、主に遺影とか載せる用、ハンカチ買いたいなあ、けど無印だと500円か、普段の仕事行くときとかのやつだし、なので100円ショップでいいやと、その後100円ショップ行きハンカチ3枚買ったり、サマソニ用にとブルーシート買ったりした。
あとサマソニ用にズックも欲しいと考えているが、おれはいつもVANSで、でもここんとこ買うのがみんな足が痛い系で軽く履けるやつがないのが悩み、でもVANSがいいし、なんかないかなあとABCマート覗いたり。
そしてヤマダ電機行ってエアコン見て、それで一度帰って少し考えてまたヤマダ電機行って工事とかの手続き込みで購入。
夜は冷蔵庫にいっぱいあったイカをかあちゃんがフライとぬたみたいにして、イカ祭りな夕食。
あと今日は午後にちょいと氷使おうと冷凍庫の氷コーナー開けたら氷が溶けてて、これは!?と思い他の冷凍庫見ても溶けかけてる、まずいってんで電源抜き差し、その後急速冷凍のボタン押したりして回復へ。
他にAmazonで買ったメロン食ってみたけどまだちょっと早かった。まだ熟しきってなくてちょっと硬かった。
でもさっさとどんなもんか食ってみたかったんだもん

諸々費用

 初日、病院から自宅までの葬儀社による移送がおおよそ4万5000円。
納棺やらドライアイスやらその他葬儀費用が260700円。
(通夜、告別式なし。坊主とかもなし)
元は20万弱だけど、安置所代とか、ドライアイスの追加とか、特に納棺師の人頼んだりがあってプラスαな料金。
火葬場が焼き&会場代で13000円。なんか町のそれで安いらしかった。
元々の救急搬送&死体検案が合わせて7万円ちょい。
(死体検案が保険診療外でほぼ5万円)
なので病院関係は抜いて、葬儀関係、おおよそ30万円ちょいで済んじゃった。
お安い♡
まったく思った以上に安く済んじゃったよ。
でもわるくない、というかいい葬式だったなあって思ってる。
家々の事情はそれぞれでカネ掛けないわけにもいかない、ってケースが殆どだとは思うけど、まあうちの場合はこんなでしたよ。
参考までに。

ほんとは告別式とかもしないわけだし、香典ももらわずともよいなあとかぼんやりと考えてたけど、来る人は携えて来るわけで出されたものもらわないわけにもいかない。
それはそれで気持ちだし、ありがたいしね。
まあそのお返しでかあちゃん発案でメロンてことになったんだけど、その香典くれた人たちの名簿はおかあさんが作った。結局。
おかあさん、あれなんだよ、パソコン教室通って、住所録とかは作れるんだよね。まあ、その腕を活かして☆
おれがやろうかとは思ってたけど、その前にやってた。
そのリストを元にメロン頼んだり、配ったりね。

 

餃子

 うちのお父さんは料理が得意だったけど、そんな中でももっぱらの評判は餃子だったなあ。
昔ラーメン屋もやってたしね。
それにそのラーメン屋も味はよく評判よかったらしい。
で、その餃子のレシピ、妹が数年前にメモって持ってるらしい。
今回訪問してくれた中に父親のすぐ上の兄の子供たち、つまりはおれのいとこだ、女2人に男1人。そのいとこの姉2人はその餃子の味に馴染みが特にあり、妹が、じゃあレシピ渡すよってことになったりしてた。
あと「揚げおにぎり」っていう、うちの父親が発案したのがあんだけど、我が家じゃ定番、おれは特に子供の頃はしょっちゅう食ってた気がする、甥っ子たち来るとお父さんは彼らにそれを作ってて、子供ウケもいいんだよな、それ。
なんか焼いたりもちろん最終的には油で揚げたりで結構工程があるらしいんだが、そのレシピも妹が持ってるし、あと、いとこも前からそのレシピは心得てるらしい。
おれはわかってないので、そのレシピをここに開陳したりできないのであれだが、あれだよ、味付けは醤油と味の素(!)たっぷりで、その上油で揚げてるわけだから、もうカロリーとかはすごいことんなってるし、体にいいとは言い難いが、これがねぇ、美味いんだよな。冷めても美味い。
雑に云うと揚げ煎餅でごはんが包んであるような感じ。
おれ、先だっての訪問でいとこと話すまで、それが父親オリジナルだって知らなかったよ。
なんかあんまりにもうちじゃ定番だったからさあ。
おとうさん、えらいね。なんかいろいろと器用だったよ。おれにはとてもないそれだ。
キノコも、昔は長野の実家行った時、採ったりしてたもんなあ。
おれ、そういうの、まったくだめで。
カブトムシもクワガタも、おれ、自分で捕まえたこと、おおよそない。いっつもおとうさんに採ってもらってたなあ。

いまから考えてみると、お父さん、10年前はまだ元気だったんだなあ。
それがここ1、2年ぐらいで衰えた。歩くのも億劫になってた。
あと、お母さんが入院した頃もまだお父さん、元気だったんだなあって、いまになるとわかる。
7、8年ぐらい前。
あのときはお父さん、毎日見舞いに行って、そうしてお母さんの下着とか持ってったし、ちょいとしたしょっからいおかずとか作っては持って行ってたんだ。かあちゃんは塩辛いものをどうしても欲しがるしねえ。病院食だと淡白過ぎてw
お母さん、だから入院しても、他の家と違い、食うものの心配はしなかったなあ。あのときは。
お父さんがごはん作りしてたし、ふだんから。
あとあの頃は洗濯もしてた。
ただ入院中はおれが洗濯係してたりしたと思うけど。あとゴミ捨てか。