國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

2015年の夏 Pt.2

仕事、火葬、納棺師

7月9日(木)がその日で、父ちゃん死んだ日、そして今日は7月20日(月)。軽く10日は経ったねー。
あっちゅー間だけど、まあ中身はあって、当然の時間の進行で。
9日の夕方に病院行って次の日からは休み取って、でも7月14日(火)、7月15日(水)は通常通り、仕事に行ってきた。懸案事項もあってメンドクサかったし、ストレスも感じたけど、でもまあしょうがない。
特に(火)(水)はおれしか入れないトコがあってさあ、それでちょいと休んでるわけにも行かず出勤した。 
それで7月16日(木)はでも現場のみ、それも朝イチでキャンセルの報があって、午後に1箇所だけ、ちょいとトラブルのあったとこでその修復的なあれで新しいヘルパーさん連れて行ったりで、若干厄介な案件じゃあったけど、でも意外とスムースに進み、それである意味スッキリ。その日は雨模様で結構降ってたりもしたけど、まあ順調に済んだかな。しかもそれだけだったし。
でもって翌7月17日(金)もまた現場のみ。3回の出動みたいな感じだったけど、特に3件目は予定より早く終わり、なんで午後1時過ぎ(?)には帰宅出来た。その日はでも午前中はずいぶん降ってたなあ。けど午後からはすっかり晴れた☆


でもってその7月17日(金)の午後2時過ぎからは火葬場へ。
父方のいとこが2人と、おとっつぁんの姉と兄。
まあ、おれの父ちゃんは家系が複雑的なあれで、おれも詳しいことはまるきり知ってないんだけど、その姉とはいっしょに育ってる。で、その兄とは別に育って、しかもお父さんが高校生ぐらい(?)に初めて他に兄弟あんのがわかって、みたいなことらしく、その兄とは育ちはまったく別だ。
その姉はちなみに別所温泉で旅館に嫁ぎ、いまも現役で切り盛り。
その兄は新小岩で花屋やってる。なんでも元々は親に捨てられてリヤカーで花の行商やってる人に拾われてってことらしい。結果的にその花屋は倦まず弛まず働き通したおかげで大層な店にはなり、まあ親戚筋じゃいちばんの金持ちだと思う。
あと、もうとうに亡くなったおじさんてのがいて、その人はおれのお父ちゃんの直接の兄貴で、おれが小学校の頃には死んじまってる。お父さんとはいっしょに育ってるし、まあほんとうに兄貴らしい兄貴だったんだと思う。
ちなみに長野県ね。父親は。まあ母親も長野だけど。
その直接の兄貴はおれにも記憶にある人じゃあるし、物心付く前から、そして亡くなった後からもちょくちょくその家には行ってたし、いちばんつきあいのある親戚で、いとこたちとも馴染みがある。
長野県小県郡(ちいさがたぐん)長久保ってとこなんだけどさ。
そこがうちのお父ちゃんの生まれ育ったところ。

今回、よくわかったのは親戚筋もみな高齢なんで、我が家に来るにあたってはこちらの方として、イスが必須ってことだった。
年寄りはもう、膝折れないからね。
まあそのへんはおれも仕事柄なんとなく心得てはいたけど、でも親戚が訪ねてきてみて、すぐに気づいたレベルで、あらかじめそこまでの予想を立てるだけのあれはなかったな。
あと、クルマは必須。
前も書いたけど。
特に高齢の親戚の送り迎えにはクルマがないとね。
都心住まいだからクルマは要らないだなんて、年喰ったら云ってらんない。
自分の親の通院とかでも、そうだしね。
あと、クルマは低床タイプじゃないと年寄りが乗り降りできない。
ワゴン車のでかいのとかはだめ。
軽か、セダンだ。


救急搬送の請求が来て、今日早速払って来ちゃったんだけど、ほぼ7万円ぐらいだった。
ちなみに午後6時過ぎに搬送。病院出たのは零時過ぎ。
救命処置やら死亡診断書とかは合わせても保険が利いて1万6千円ぐらいだったんだけど、警察案件になったんであれだ、「検案」てやつが入って、それが保険外で5万円だった。
なるほどねー。
死体検案は保険外診療か。へー。
云われてみればそんな気がする。
でも警察案件にしないには病院で亡くなるか、自宅の場合はかかりつけ医に死亡確認してもらうっかないわけで、まあそうはなかなか、ねー。
救急車呼ぶよなあ。
まあ大概は入院して後、なんだろうけど。
でもうちのおとうさんは結局自宅で倒れ、その時点で死亡は確実だったし、入院費も、逝くか逝かぬかの惑いもないままで済み、倒れたのはまだ夕方だったし、ちょうどおれもその日はその時間に家にいたし、なんかいろいろラッキーだった。
半年、1年前からフェイドアウトの気配があって、そして、だったし。
なんつか、そういう意味で後悔はないというか、こちら側としてはなんつか、正に往生って受け取りになれるそれだったよ。
しかも余計なカネもかからず、さ。
なんかね。

病院から夜中に帰って次の日の朝、「イオンのお葬式」に電話して最寄りの葬儀屋を紹介してもらい、そこの人との打ち合わせ、おれは自分の仕事のスケジュール見ながら葬儀の段取りを決めてったが、まあ、そもそもが「通夜」「告別式」抜きのつもりだったし、最低限のあれってことで、「出棺」と「火葬」だけ、みたいんだったが、それででも「出棺」は少なくとも妹が来てからってのがあったんで、それで遺体を我が家に5日間は置いとくことにはなって、でも結果的にそれがすごくよかったんだよなあ。
7月9日(木)深夜~7月13日(月)の昼、その間、遺体は我が家にずっとあったわけだ。
ふつうの家屋で、しかも前半は比較的気温が低めだったとはいえ、死体を数日間置いとくだなんてねー、ちょいと無理があったが、案外大丈夫だった。
数年前に1階の両親の寝てる部屋にエアコン入れたんだけど、先見の明があったっていうか、それがなかったら無理だったなあ。とてもじゃないが。自宅に死体を5日間。
もうここんとこ数年は夏が死ぬほど暑くて、おれも仕事柄、年寄りにはエアコン必須って頭があったから、親に勧めたんだよねえ、エアコン。
うちの親はエアコンとか別に要らない、みたいなタイプだったからさ、元々は。
でも結局、あまりの暑い夏つづきの昨今、入れてまったく正解だった。
で、初日、病院から葬儀屋が遺体運んでくれて我が家に寝かせた後でドライアイスを身体につけて冷やすようにはしてくれて。
でも次の日、べつの葬儀屋、イオンのお葬式で紹介されたそれが来て、出棺までは毎日来てドライアイス換えますねってことでそうしてくれたんだけど、7月11日(土)、帰宅して2日目(?)にその葬儀社の女の人が来てくれた時に、遺体の色が少しくわるくなっちゃってて、さすがにふつうの家ん中じゃ保存もあれだしねー、そんで顔色わるいんで納棺師呼んでメイクしましょうか?オカネも掛かりますけど?みたいに云ってくれて、それ聴いておれは素直に、ああじゃあ頼みます、ってことにしたら、その日の夕方には早速来てくれた。
あれだよ、遺体が我が家にあった5日間、その間、夜はおかあさん、それまでと同じようにおんなし部屋でいっしょに布団ならべて寝てたんだよねえ。
まあ北枕ってやつで、頭の向きはちがったけど。でも。
結果的に、そうやって幾晩かいっしょに過ごせたのはよかったなあって思うし、おかあさんもよかったんだと思う。
死体がさっさと安置所とかに行っちゃうよりかは。
でもあれなんだよ、うちのおかあちゃん、ばかだからさあ、エアコン寒いとか、線香の匂いが臭いとかいって、窓は開けちゃうし、冷房の温度はあげちゃうし、遺体保全てことにまったく無頓着でw
そりゃおとうさんの顔色も変わるよw
でもって納棺師(女性)が来て、それまでは家から病院に持ち込みの甚平だったのを白装束に着替えさしてくれて、さらにドライアイスももっと念入りに身体にくっつけてくれて、でもおかしかったのはうちのおとうさん、すげえ腹が出てるから、おなかの上に載せたドライアイスが落っこち気味で、ちょいと腹から滑り落ちててw、まあでもいっぱい上手く置いてなんとか。
あと、エアコンはもうごく低く設定してくださいってゆわれたw
そりゃそうだ。ごもっともm(_ _;)m
でさあ、納棺師、「おくりびと」で見たじゃん、あんときはただ映画見て「へー。」とか思ってただけだけど、実際にさ、その納棺師の人がおとうさんのこと着替えさして、着替えてる間は遺族は部屋から退場、まあ裸になるわけだし、そういう都合かなあ、そんでその後メイクしてく時に、こう、おれとおかあさん呼ばれて、うちらに話しかけながらさ、父ちゃんにメイクしてくさ。
したらさあ。
あれだよ、そんな大したこと云ってるわけでもない、でもいい感じに「おとうさん、いい顔してますねえ」とか褒めてくれてて、そんでそれがまったく営業のそれとかって感じも受けず、すごく滑らかに受け取れるやさしい感じでさ、そしたらすっごく気持ちがラクんなってくんだよねえ。あれはビックリだったわ。
すげえよ。あの癒やし効果♡
おかあちゃんなんかさ、すっかりアゲアゲで、なんかたのしそうでさ、さらにさ。
ほんと、ごく短い時間なわけだけど、メイクしてる間なんかさ、それでそう大層なこと話し掛けられてるわけでもないのに、あれはすごい効果だったなあ。
納棺師、すげえ!って思ったよ。
あのコミュニケーション技術たるや。
並大抵じゃないね。
あれは遺族にはすごく救いだと思う。
いや、「おくりびと」だよ、ほんとまったく。
納棺師頼んだのはさ、遺体保全が自宅ってことで色みも変わって来ちゃったし、たまたまで、もし安置所へさっさと移送してたら頼んでなかったけど、でも結果的に納棺師の人、呼ぶことんなって、ほんとよかったわ。
なんかそういうのもラッキーだったなあ。

儀式

 あったこと、いちいちぜんぶ書こうと思ってるせいもあるけど、自分用の備忘録ってことでもある、思った以上に書くこといっぱいあって、たかだか一日だけでも多いなあ。
いっぱいあるわ。書くこと。
まあ滅多にないイベントじゃあるし、残しときたいよね。
記録。
すでに記憶は曖昧なんだけどさ。
ふふ。
でもあまさず書きたいんだよねえ。気持ちとしては。
じっさい無理だけど。
で。
遺体を自宅にずっと置いといたことでなにが幸いだったかって、いまどきの「通夜」「告別式」やんなかった代わりに、人がうちに来てくれんだよね。入れ替わり立ち代り。
そうすっと、儀式やってるわけでも、会場みたいんでもなくて、そんで遺体が目の前にちゃんと間近にあって、その前で膝交えて来てくれた人たちと話せたんだよね。
それはすっごいよかった。ほんとよかった。
遺体、うちにしばらく置いといてほんとよかったってあらためて思う。
ほんとうの通夜っていうかさ、それが数日間つづいたみたいな。
元々通夜って親しい人間が訃報聞いてとりあえず駆けつける、そんでもって酒飲んだりしていろいろと話したりするってことだったんじゃないかとは思うけど、ただ、昨今の「通夜」って告別式とやってることまったく同じで、どっか会場で段取りに参加してるだけ、話してる余裕もない、遺体はとうに棺におさまってて顔だけ見えて、とおりすがりにその顔見て、みたいな感じで、そういうの味気ないなあっておれも仕事柄葬儀に出ることは時たまあったんで、そんな感想だったけど、我が家はそういう儀式とかきらい、苦手って云ってたのがたまたまのさいわい、ちゃんとほんとに気持ちで人が来てくれて、遺体の前でひとりひとりとちゃんと話が出来てほんとよかったって思う。
だからその後の納棺~出棺も含め、結果的に形式じゃない、すごい中身のある、いい葬式だったねえっておれはかあちゃんと言ったりしてるよ。
まあ、うちがたまたまつきあいだのなんだのってのがほぼない、エライさんでもないとか、そういういくつかの条件があって、わりと好きに、形式から比較的自由に出来たってだけではあるけど。実際はしがらみだのなんだのあって、うちみたいなやり方はむずかしいだろうとは思うけど。
一般的な葬式の効用ってのも、それはそれであるとは思うし。
まあ、とにかく、我が家の父ちゃんのそれはそんなで、わるくなかった、っていうか、いい葬式だったと思う。

おれが死んだら

しかしいずれおれひとりになったとき、おれが死んだの、誰が気づくんだろうなあ。
誰もいないじゃん( ゚д゚)ハッ!
おれがこの家ん中で倒れててもねえ。
あれだ、夏場は止しときたい。
まあ後処理とかは妹がアメリカから来てやってくれるかとは思うが、おれが死んだのに誰が気づくか問題。
ご近所さんとつきあいがある、それができればいいんだろうなあ。
したら一日一回安否確認してもらえれば、少なくとも24時間以内には誰か気づいてくれる。
でも前からずっと思うけど一人暮らしってそもそもが無理あるよなあ。
文明があって、更に若いって条件がないと。
一人暮らしはいつからあるか問題。
もちろん結婚しててもいずれはひとりだってのもある。
でもそれでひとりになってしまう、ってのも過渡期というか、ひとりにならない方法があってもいい気がしてる。ずっと。


それで、来年には甥っ子のうち長男が受験でこちらへ来る。
更に受かればそのまま我が家に住まう予定。
日本の大学に行きたいんだって。
彼は甥っ子3人のうち、唯一の日本生まれ(でも1歳になる前に渡米)。
そういうのもあるのか、アイデンティティが日本人、みたいなとこ、あるみたいなんだよね。
まあそれであれだ、来年以降はもしかすると我が家、3人暮らしになるかもだ。
若い子、10代とかいるといいよねえ。やっぱさあ。
助かるわ。
おかあさんとおれの2人だとさ、やっぱちょっと地味だしさ。
若い子、歓迎ヽ(^o^)丿
でも甥っ子も大学卒業したら、都心に住まうことんなるかも知んないし、あるいは外国へ行く可能性も高い。
なのでせいぜいが4年かなあ。
でもいてくれるだけマシだ。
彼氏、この前話聞いたらSFCに行きたいとか行ってたんだけど、でもそれだとさすがに我が家からは通えないので、妹の云うにはどこか都内の大学ってことらしい。希望としては。
なんでSFCかっていうと、メディア学科みたいのんが彼の希望なんだよねえ。なのでそういう感じのがあるからみたい。
あとは早稲田とか上智とか言ってたけど、おれんちってそんなエリートっぽい感じだったっけなあ?ふしぎ。
両親は高卒、肉体労働だったしねえ。ずっと。
妹はほんとしっかりさんですよ。
子供3人みな、バイリンガルにしちゃったんだからね。
それだけでもすごい。
かわいい。
いつでもかわいい。
限りなくかわいい。
妹は妹ってだけでかわいいね。
アメリカの中西部住まいのわりに垢抜けてるし、今回はネイルアートしてて、それもかわいかった。
あとヘアスタイルもキメてたな。
いいなそういうのって。そういうのが好き。
妹のこと、かわいいかわいい、ってふつうは云わないのかしんないけど、あと、きもちわるいみたいなあれなのかしんないけど、おれにはカンケーねえ、妹ってなあいつまでもかわいいもんだよ。
甥っ子長男は3人のうちでいちばん社会性があるっていうのか、ひとづきあい上手で、今回の一週間ばかしの滞在の間もこっちの友達とあったりで結構出かけて忙しかったんだよねえ。
すげえリア充。
LINEのアイコン、彼女とのツーショットだし。
彼はおれと基本的な部分がどこか似てて、顔もなんとなく似てる、でもおれと違うのは限りなくリア充だってあたりかな。
甥っ子たちは2年に1回ずつこっちに来て、ほぼ1ヶ月ぐらい滞在するのを繰り返してて、それでこっちにいる間は幼稚園や学校へ一時通園、通学みたいのしてて、なので特に社交的な長男はふつーに友達ができてるんだよねえ。
すげえな。おれにはとても無理。
だから今回も中学時代の友達と会ったり、あとはアメリカの友達で、でも日本人で帰国子女枠で日本の大学へ進学予定でこちらの予備校に通ってる友達と会ったりと、なんかそんなこんなだったみたい。
すげえな。おれには無理。

アンテナ工事

遺体を自宅に安置して2日目だったかなあ?BS&CSアンテナの工事があってさ。
うちは元から地元のケーブルテレビじゃあったんだけど、でもBSもCSも映るわけじゃなかったのが今度から映ることんなって。
したら外の電信柱の配線だけじゃなくてうちの中入ってきて我が家のTVそれぞれに専用の(?)コードを挿してくわけですよ。
それでだ。
死体の置いてある1階の部屋にもTVはあって、つまり工事のおにいさん、かわいそうに死体の横でそんな作業しなきゃなんなくて、更に母親にBSとかの見方とか教えてて。死体の横で。
おれらはいいけどさあ、向こうは戸惑うよなあ。困ったと思う。
まあ、いいネタ持って帰ったと思ってもらえれば。
今日それで、火災保険とか、あと自動車保険の人へ夜、夕飯終わったあと、かあちゃんが電話して。おれはすぐそばにいてさ、いま掛けたら?みたいなノリで。
したら、あれだ、「うちの主人が亡くなりましてねえ」みたいなこといきなり言い出すから保険屋の人も驚いちゃって。
保険屋っても、なんていうの、個人でやってるっていうか代理店みたいな?仕組みよくわかんないけど、ともかくもうちの父親のことは、まあ見知ってるわけですよ。それもふつうに元気だったし、病気んなったとかの話もなかったわけで、それがいきなり死んだって聞かされてもねえw
なんか結構驚いてたっぽい。かあさんの言によると。
ふふ。
まあこっちは当事者だからさあ、驚きもないし、ある意味ふつうなわけで、でも知らんかった人からしたらねー。まあねえ。
そんでうちは通夜も告別式もやらんかったんで、それでも我が家を訪ねて来てくれる人たちは香典持参して来てくれたんで香典返し、いまどきなら通夜or告別式の会場で帰り際に渡すけど、式がなかった分、遠くから来た親戚とかには配送で、そんで近所の人たちには直接訪ねて返そうってことにはなって。
そしたらおかあちゃんがメロンがイイ!って云うんだよね。そんでメロンなった。
地元のスーパーで配送用のは昨日頼んで、それ以外、近所の人へ配る用のはおれがAmazonで頼んだ。スマホのアプリで。ナウいね☆
うちはまあ葬式ってもまったくざっくばらんだったんで、葬儀社の人(女性)もやりやすかったと思うよ。
ああいう人ってふつうは素直に笑ったりしちゃいけないのか知んないけど、おねえさん、ふつうに笑ってた。うちらとやりとりしながら。なんかそういうのもよかったな。
ざっくばらんがいいよ。テキトーが。
その方がいいや。おれらは。気楽にさ。
かしこまってもねえ。
似合わねええ。そもそもが。
うちのおかあちゃんも気が小さくてバタバタと落ち着きがない一方、邪気もなくて、裏表みたいんがないんで、葬儀社の人もつきあいやすかったんじゃあないかと思う。
おれはおれで、雑になんでもいいや、そのへん、テキトーにってカンジだし。
あとまあうちの場合、いい亡くなり方だったってか、いい死に方だったってか、あんま引きずったりややこしいことんなったり、悔いの残るそれではなかったので、そういうのも大きいよなあ。
素直に死を受け取れてたから。ラッキーだった。
狙ってできるもんじゃないし、でもおとうさん、上手いことやってくれたよ。うん。
おれや、そしてなによりもおかあさんに負担(物的にも金銭的にも心理的にも)掛けないように、妹も子供たちの夏休みでみんな来れるタイミングで死んでくれたんだと思う。
じわじわと時間かけてフェイドアウトしてく感じだったしね。
うちはついてる方だった。そういう意味では。
ありがと、おとっつぁん。
おれはでもおとうさんのことが好きなんだよな。きらいなとこもいっぱいあったけど、でも。
もっとほんとは「触り」たかった。それがなによりもしたかった。
でも、できないよね。なかなかね。いまさらね。
もちろん、話もしたかったけどさ。
でもなかなかね。
おとうさんは52歳にもなる息子が帰ってくると、部屋のすぐ横にクルマが留まるんですぐわかる、帰ってきたの、それでおれが玄関入るといつも「おかえり」って云ってくれてた。52歳の息子に。でもおれはいつももごもごっと聞こえもしない程度に、「ただいみ」(「ただい”ま”」じゃない)ってゆーだけで、おとうさんの顔も見ず、部屋のドア開けるでなし、返事もしない、返事したつもりで、いつも済ましてた。
まあそんなもんだけど。
まあそういうもんだ。
しょーがない。

写真のキャプション

(以下は本来は写真があって、その説明)

救急搬送先の病院で事情聴取だので待ってばっかで疲れちゃってるおかあさん。
おなじくとりとめなく、しょーべんばかししてたおれ。

おとうさんwith ミー。
蓋閉める前に自撮りでツーショット撮ろうとしたら妹が、わたしが撮ったげるよってゆってくれたんで撮ってもらった。
したら葬儀社の人(2人。女性)、「え?」みたいな顔してた気がするw
まあふつうはしないのかもな。
まあいいじゃん。たのしーほうがさ。
たのしーのかなー?
まーツーショットだよ。
撮りたいよね。
たのしーとも言える。
せっかくだし。

で、さらに一家4人。おとうさん、おかあさん、妹におれ。
家族みんなで。
それと孫たち、義理の息子。
いい記念だ。
甥っ子たちはいきなり遺体で意味わかんなかったと思うけど。
でも彼らがいてくれたおかげで布団から棺へ納める人手と、出棺で外へ出してストレッチャーへ載せる男手がいてよかったよ。
あと死装束への手伝い、脚絆履かせたりみたいんも手伝ってもらった。
よくわかんなかったと思うけど。
いきなりおじいちゃんの死んだ身体でさあ。
それ触ることんなってるわけだし。
まあ、そういうのもわるかないよね。

火葬も済んで。
山の中で背景もよかったと思う。
あと、この日は午前中までは台風の残りがあったけど、昼過ぎから晴れてさ。
ロケーションも天気も結果、よかった。
なんかいろいろいい葬式だったよ。
うん。
いわゆる式っぽいのんはほぼなかったけどさ。
でもなんかいいあれだった。
カタチじゃなくて、気持ちがあったよ。ほんとさ。

ど根性ガエル

7/9(木)がその日で、それから2日?ぐらいはついったもTVもなんも見る気んなんなくてさ。
まあふつうそういうもんだろうし、ふつうの反応だな。
それが変わったって時の自覚が実はあって、べつにそんな時間経ってからじゃなくて、木曜から土曜を過ぎて日曜日の早朝だったと思う。
最近はただでさえ早起き(老化)なんだけど、そんときもまた3時半に目が醒めたんだか、4時に起きた日だったか、ともかく早起きで、それでとりとめなく、でも前の夜ぐらいには少しはついったは覗いたりはしてた?それともその早く起きてのことだったか、TL見たら「ど根性ガエル」の話題で、満島ひかりのピョン吉がすごい!とかゆー話題とかがあり、そんでなんとなくそれまでも見る気もないのになんとなくTVはつけたりはしてて、でも見るでなしだったんだけど、流れでHuluつけて、それもいつもの流れ、したら「ど根性ガエル」が入っててなんか見てみるかって見てみたら、これがすげーおもしろい。引込まれた。ぜんぶおもしろかった。たしかに満島ひかり、すごかった、じゃなくてすばらしかった。あっちゃんのバツイチ設定の京子ちゃんもよかったし、ヒロシもかあちゃんもだれもかもみんなよかったし、音楽もよかったし、CGもいい出来だし、文句なしな完璧、パーフェクト、したら、もうあれね、こう、見てて”入って”来るようになってて、だいぶん立ち直ったっていうか、まあなんか見たりして感じられるぐらいのことにはなってたのにすごく気づいてた。見ながら、すでにそれはもう。
でも、あれなんだよな、突然死んじゃったショックはもちろん上記のごとくあったけど、それよか実はもうこの1年?2年?ぐらいでおとうさんの活力がぜんたいに衰えて来てて、そっちのがいつもうっすらと長い悲しみだったの。そっちのがむしろ悲しかった。悲しさでいうと。だから突然の死はいわばショックが強いだけで、切ないとかでいうと、あんまし元気なくなって来てたことのが、あれだったなあ。ほんと。
それで「ど根性ガエル」以降はわりとTVとかも見れる、見てても”入って”来るようんなったかなあ?
そんな記憶。

探偵の探偵

今日、ちょうどいまやってる、けど録画してるだけで後で見るつもりの北川景子主演の「探偵の探偵」録画した第一回見たらすごくおもしろくてよかったんだけど、でも2回目は録画しそこねてたから、フジテレビのネットで見れるやつでその2回目も続けて見て、したら2回目からはなんかふつーかなー?みたいんなっちゃったんだけど、まあしょうがない、そーゆーもんだ、それに、といって出来がわるいわけじゃない、エンターテイメントとしてはぜんぜんたのしめるそれで見応えあるし、見応えあっていいし、それで何が言いたいかって云うと、ちょうどおとっつぁん死んだ7/9(木)がその「探偵の探偵」第一回目で、だから今日まで見る機会なかったっていうか、見るの、延び延びんなってたわけなんだけど、べつにその日だからとかってんじゃべつになくて、他の見てたしみたいなあれでそれで、そんで小雨降ってたその7/9(木)の夜、おれ、しばらく前からLINEで割と話題んなってた北川景子の公式LINE入れてて、したら、彼女バババッっと日に1回から2回まとめて打ち込むんだけど、それが読んでてたのしい、美人に話しかけられてんだからわるい気もしない、そんなこんなで気に入ってたんだけど、でもちょうどその7/9(木)はさ、おれの方はそんな状況で、更に妹には連絡がすぐにつかない、だって向こうはまだ朝5時とか6時とかだもん、まだ寝てたわけだ、そんで妹からのLINE通話の掛け直しを待ってたりで、そうじゃなくとも落ち着かない、そんな中、北川景子のLINEメッセージが新しいドラマのスタートに合わせて尚更にいつも以上に多く入って来てて、さすがに通知もなにもジャマんなってしまい、北川景子に申し訳ない、でも時が時、しょうがない、病院の庭とか廊下とか歩きながらスマホいじくって、LINEのメッセージ消すのって、通知オフるのってどうやんだっけ?と慌ただしくして、ようやくブロックすればいい、ブロックするやり方もわかり、いつも以上に急いでるから焦ってるからまあなかなか正解に辿り着きゃしない、けど、なんとかはなり、惜しいかな、北川景子からのメッセージをストップさせてもらっちゃったよ。その日から。(その後も特に理由もなくまだ復活はさせてない。飽きちゃった?とか云わないで。飽きやすいんだよ!開き直り)
でもって、母親には母親の方の兄姉方面、それでおれはいとこに一人電話して、父親方面にみんな報せてくれと頼み、そっちはそっちで用を足し、そしてようやく妹へと電話が通じたのは夜の八時半くらい、アメリカじゃ朝の7時半とかそれぐらい。
LINE通話のは結局通じず、LINEメッセージも既読にはならず、なので、登録はしてあってもまだ1回も掛けたことのない国際通話で、家電へと。したら義弟っていうのか、妹の旦那が出て、うちの父親がさっき死んじまってさ、妹出してと、そんで妹にはお父さんが死んじゃってさとようやく告げ。
でも妹も朝イチで唐突過ぎて意味わかんなかったろうなあとは思うが、まあそれで、お母ちゃんが妹と話したいってんでちょっと代わったりして。
ともかく通じた。妹へと連絡が出来て少しホッ。