國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

今年の邦画

トマトマ飲んだ。明日朝早い(5時起きで7時から仕事)んだが、そう思うとなんかこんなだ。
まず16本ん中から特にこれはってんで2本選ぶ。
「人のセックスを笑うな」と「ぐるりのこと。」
特に1本と云われたら「ぐるりのこと。」を選ぶ。
それまで小さな人間関係を描いてきた橋口亮輔監督が、今回は社会派なテーマを敢えて捉え、それは不器用とかではないけれど、通俗に堕しかけているとも言える、でもそれがぜんぜんきらいじゃない。うれしかった。
あーこうして前に踏み込んでるんだ、誰に言われたでもない、いや、少なくともお仕着せの仕事ではないはず、そんな中で社会的なテーマを自らに課して、もしかしたら得意じゃないかも知れない、自分の柄じゃないかも知れない、でもでもでも、自分にはやるべきことがあるんだ、なんだかそんな姿勢が(べつにインタヴューとか読んだわけじゃない、おれの勝手な思い)、すごくうれしくて、そして結果感動的だった。すごくすごく。すごく。
この映画は長くて、おれは小便がだいぶん近い方で、調子がわるい場合はさっき行ったばっかりでもまたしたくなっちゃう、実際出るし、出さないとつらい、そうして「ぐるりのこと。」を見たときはその調子のわるいときで、観てる間ずっと小便が気になっていた。けど、「ぐるりのこと。」、その長いのが素晴らしかった。ずっとずっとつづいて欲しかった。観ながらもう終わるのかな、オシッコ行きたいな、ああ、とか思ってたし、どこで終わるのかわからなかったけど、でもヤじゃなかった。映画を観る喜びがあったし、そして生きるのがあんまりたのしくもないし、ひどいこともあって、救いなんか時にないし、でもでもでも、まだ可能性はあるはずで、この世界には、ただ時は過ぎてって、ロクなこともなく、ほっとしたのも束の間かも知れず、けどきっと生きるのに意味はあるはずで、いつかは誰もが救われる予感ぐらいは持っていてもいいはずで、ストーリーとかほとんど忘れてるけど、とにかくさ、いい映画だったよ。これは。「ぐるりのこと。」。
木村多江リリー・フランキーも素晴らしくて、倍賞美津子もすごくよくて(考えてみれば倍賞美津子がわるかった例(ためし)なぞかつてない、これからもない)、法廷シーンでちょっと出てくる片岡礼子、前後もなく、法廷だけでのシーンなのに、その女性の生きてきたこれまでが彼女の表情、仕草、佇まいを見ているだけで感じられ、見ていてつらかった。たぶんそういう諸処の人物の描き方が、その人に寄添い、真摯で、だからきっと一般に知られている事件を題材にしてはいても通俗に堕すのを押しとどめていたのだと思う。監督の関心のあるのは事件じゃなく、いま生きている人間で、個人で、この世界に共に生きているひとりの生身の人間で、その人とこの世界を共有しているのなら、世界のことにも関心を持たないわけにはいかず、だからこその今回の社会派的なテーマ、題材でもあるんだと思う。
アンガージュマン、べつに放っておいても人間はこの世界に参加している、せざるを得ない。ならば。
木村多江リリー・フランキー、2人の演じる夫婦についても、倍賞美津子も含めての家族の話も書かなきゃいけない。見ていていろいろと感じ、考えていたけれど、いまは書くには忘れてしまっている。またいつか)