國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

映画鑑賞

兄貴の恋人』を観る。
これはよかった。観たの初めてかなあ。もしかして。タイトルだけで、
なんとなし以前観たことがあるような気がしてただけかも。C'mon.
これはしかし色んな要素が混淆している映画だった。それがよかった。
タイトルと出演者だけとると、明朗青春東宝サラリーマン恋愛コメディーかとも思うが、
製作は68年、ピーコック革命(劇中、酒井和歌子が手伝うスナック?の名前が正にこの
「PEACOCK」)真っ只中、そして監督の森谷司郎の他の作品でも感じられるが、この人、
案外にエロスへの関心が強い。登場人物では中山麻里が特にエロ担当で、いわばサービスとして
ふとももと脚を強調するような場面などあるが、それが商業的な要請で取ってつけたという以上に
監督の資質から発しているものが感じられる。ほんとにちゃんと「いやらしい」のだ。
他にもいつも素晴らしい加山雄三が中山麻里とフラメンコを鑑賞する場面があるのだが、
ダンサーをエロく撮っており、また、それを観る2人は唇の端で指を咥える。明らかにいやらしいものを
指し示していて、それはぎこちない、わざとらしい、といってもいいようなもんだが、しかし、
それもまた、観ててわるくないんだ。必然性、監督の内的要請をちゃんと感じとれるから。
時代の変わり目、エロの顕在化が、監督にはちょうどよい契機となったと思しい。
これより時代が古ければ、監督のこうした資質はもっと発揮できなかったろう。
ただ、森谷監督、けして上手い人ではないので、どの場面も、そのつなぎ方もぎくしゃくしているし、
わざとらしいと言われかねない撮り方じゃある。けど、おれはこの監督の、そのぎくしゃく感が好き。
そこからまた妙な生々しさというか、はみ出してくる異様さ、みたいなのがあって、いいんだよなあ。
下手くそ、なんだけどね。滑らかじゃない。そこがいいところ。
他にもこの映画、当時アイドルばりばりの内藤洋子の兄貴の加山雄三への思い方が尋常じゃなくて、
あからさまに近親相姦的で、ときにアップで、汗を顔に浮かべ思いつめたような表情の彼女を映す。
いや、もちろん、そういうのはよくあって、アイドルにエロをやらせたり、タブーを踏み迷わすような類は
映画じゃよくあるんだけど、そういったうちでも、ここに出て来るのは観ていて納得の出来るそれ。
他にもその手の、わざとらしい、いかにもなシーンはいくつもあって、でもいいんだ。どれも。
例えば内藤洋子はピアノを習いに洋館というか、金持ち風の室内で、めかし込んだ服を着て
ピアノを弾いているんだけれど、教師のロミ山田は終始仏頂面なんだ。
(最後の方で内藤洋子はロミ山田の運転する外車に同乗し、人気のない空き地で
車を停められ、キスをされそうになる。)
かと思うと加山雄三が会社にいるシーンでは東宝サラリーマンものっぽい雰囲気でもあり、
社内は当然照明が明るく、女の子はお茶汲みで、お茶の淹れ方に男たちはケチをつけ、
上司は加山にお見合いを持ち掛ける。(その相手が中山麻里)旧弊な価値観満載で、
いまの気分で観てると、「ちょっと」と気になるくらいだ。
そしてまた酒井和歌子は京浜工業地帯、川崎の住人でBG(OLのかつての呼称だが、劇中、
そう称されていたので、敢えてこちらを採用)を辞め、おじのスナック(上掲「PEACOCK」)を手伝う。
あからさまな階級差。
大体彼女の兄貴はチンピラだ。加山雄三はそのチンピラの兄貴のケンカに巻き込まれ、出世の契機を失う。
が、酒井和歌子からの結婚の承諾を得て物語は終わる。
「PEACOCK」での「ディスコ」なシーンはよかったなあ。
その店は天井が高く、撮影上の都合かも知れない、一見倉庫っぽい造作?で、しかし、
そうやたらに広くはなく、カウンターで飲んでいる向こう、一段高くなったフロアーで若者たちが踊る。
黛ジュンに合わせて。しかし、その店、照明はベタに明るい。ちぐはぐだ。しかし、それが味で、よい。
この手の映画のディスコ・シーンてのは、こういったちぐはぐさにこそ見所があるんだから、
これでよろしい。望みどおり。
お約束の設定の数々と、しかし60年代後半的な前衛、暗さ、エロス、タブーへの接近、
アントニオーニや大島渚に触発されているだろうカットの数々、等々のパッチワーク。
それが楽しい。興味深い。好きになっちゃうNa。
いい映画だった。
加山雄三の2、3度流れる、ボサノバな曲、それもよかったと付け加えておく。