気狂いピエロ
さきほどまでほんの冒頭20分ほど「気狂いピエロ」を観ていたのだけれど観ながら思いついた。
おれにとって最高のミュージカル映画はこれだと。すなわち「気狂いピエロ」だ。
もちろんアンナ・カリーナが2曲歌い踊る場面もあるが、そうじゃなくともシーンと
音楽の絡み具合、その抒情と愉しさ(けれど常に悲しみが付き纏いもする)、
それはミュージカルで得る感動といっしょなんだと。
所作やセリフのやりとり、独白のリズム、それらはすべてミュージカルじゃあないかと
遅ればせながら気がついた次第。
おれ、「気狂いピエロ」、何回観てるのかなあ。
何度も観てはいるけれど、でも20回、30回といったそんな回数にはなってはいない。
たぶん5本の指に+α。
いまはゴダールも観られるものが結構あって、幻だった「はなればなれに」も
「ウイークエンド」もふつうに観られるようにもなったりで、「気狂いピエロ」は
諸作品の中で少し沈んだ気味もないではないけれど、おれが学生の頃くらいまでは
ゴダールといえば「気狂いピエロ」(そして「勝手にしやがれ」)で、これが青春の1本、
って人はまだ多くいたと思う。
おれが学生時分、80年代半ばくらい(?)にリバイバル・ロードショーもされ、
当時再評価というんでもないが、再注目ぐらいな感じはまたあったと思う。
おれが憶えているのはリバイバルに際しておすぎがラジオで「気狂いピエロ」のことを
話していて、それは熱の篭ったものだったことだとか。
なんというか、映画好きだったならば推して当たり前の1本だった。昔は。定番。
おれがよく憶えているのは、有楽町の映画館の最終回、殆ど客のいない劇場で
「気狂いピエロ」を観た記憶。
その時で2度、あるいは3度目くらいじゃなかったかと思う。
客もまばらな館内、当然暗く、その中でスクリーンだけが色鮮やかで明るい光を発していたのだ。
それを観るおれはひとりきりで、でも気持ちは映画の光に包まれ静かに昂揚していた。
映画を観るああいう幸福はもう得られないだろう。
例えひどい精神状態で毎日を過ごしていようと、おれはまだ二十代、充分に若かったのだ。
ともだちなんかまったくおらず、恋人だなんて100%あり得ないあの頃だったが
でも青春には違いなく、青春映画である「気狂いピエロ」には即ち感応していたのだ。
語り掛けて来るものがあれば、それに応える。こちらからも語り掛け、向こうも応答する。
そんなやりとりがあの日の有楽町の夜、8時9時10時、正確な時間はわからない、
さる劇場の館内、シートに一人座るおれとスクリーンの中から聞こえて来る
ゴダールの声は反応しあっていた。確かに。