國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

インターネット、はじめてからいままで、そしていまは?

”Jody Watley - Everything”

http://www.youtube.com/watch?v=gD0GJrm8lYE

夜でも朝でもとりとめなく過ごしてることがほんと多くて、休みは少ないとはいえ通勤は30分ほどだし、拘束時間が特に長いということもないから、遅くても20時過ぎ、まー朝早い場合(7時)もあるけれど、以前勤めていた会社で7時前には家を出て22時過ぎまで仕事して帰宅すると零時まわってるみたいなケースはいまはないので、そういう意味では在宅時間は長いのだけれど、でも結局無為に過ごしている場合が多い、というか「無為に過ごしている」と後悔しながら過ごしている時間が。

それでそんな時間になにをやってるかっていえばいまならツイッターだし、前はそうじゃなくともネットしてるわけで、インターネットは時間の魔術師。

 

おれに限らない、一般にもネットに淫してる人は多かろうと思う。

さみしーんだよね。声を求めてる。

コミュニケーションを。

だからツイッターみたく、リアルタイムでバンバン更新のあるものへといつかは流れていく。

いや、さびしーっていっちゃうと違うなー、刺激が欲しい、ううん、人恋しい、それだ。

 

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もちろんネットでなにを見ようとついっとで幾ら会話しようと、気の利いたこと言おうと、現実に動かなきゃなんも変わんない。映画観てても音楽聞いてても、なんかそんな気になれるってだけで、生活は1ミリも変わらない。人はそうそう動かないし、動けない。

それに日常がいやだからつまんないからそれから逃れたいってのがあるよね。だからネットに淫して現実逃避。

現実逃避ってぐらいだから現実は放っておいてるわけで、それじゃ現実の変わろうはずもない。

現実変えるのめんどくさいから、なんかそんな気になれる世界へGO!

 

でもじゃー、ネット以前に仕事か、そういう拘束される時間以外になにをしてたかっていうと、やっぱりとりとめなく過ごしてただけで、ネットのせいじゃないよね。無為は。

おのれの性格がそれだってだけで。

 

でもネットだと変化はそれでもある。ある場合には結構ある。

人と出会える、これがいちばん大きいかなー。やっぱ。

恋人もできたし、友達もできた。

 

滅多に来ない質問なのに上手いこと書いてやろうとかって構えちゃって、こうしていまごろ。

ま、ありがち。

 

音楽とか映画とかの話が昔はとにかくしたかった。

友達いなかったから、ほんとそういうのに飢えてた。

高校の時は砂を噛むような感じだったし、卒業してからは浪人中も大学に入ってからもずっと友達ができず、親友とかそんな意味じゃない、文字通りのぼっち、いまならネット用語(?)で大学で「ぼっち」みたいのあるけど、あれがそれだ、それで卒業してからもちゃんと就職もできなかったし、結局音楽や映画に関してはすごく好きだったのに、いつまで経っても話し相手ができなかった。

悶々としてた。

 

たまにポツンポツンと話す相手もいたけど、でも大したことは話せなかったし、ポツンポツンだし。

ずっとたまってたなー。言いたいことが。わだかまってたと云ってもいいぐらいに。

 

インターネット始めたのが97年かなー?

はじめは会社にあったPCで見るようになった。

でも当時はねー、ダイアルアップだし、グーグルもYouTubeもはてなもついったもなんもない頃だから。

それでたまに自分が読みたいような興味持てるような共感できるような読み物に出会うとうれしかった。まーそのへんのネット黎明期についてはあれこれ書いてる人もいるでしょう。

それで気になるHPの掲示板にぽちぽち書き込みするようになって、やがて自分でもHPを開設。98年。

そっからまー本格始動だよねー。

 

それで少しづつオフ会的に人に会ったり、自分の掲示板に書き込みもあるようになったりで。

 

あとおれに限らないと思うけど、ネットがなかったらそもそも文章書いたりしてなかったって人、大勢いると思うんだよね。

なんかもやもや表現欲求みたいのがあっても、特に小説だの書くわけじゃなし、ハガキ職人になるわけじゃなしで、自分の中にただ持ってただけで表明する手段をキッカケを特に持たなかった人が、ネットだと文章書くことんなるわけで、気がついたら結構書いてたみたいな。

向き不向き、やってみないとわかんない、機会がなければ一生埋もれてたというね。

 

おれも自分が文章かける、得意だとは気づいてなかったからなあ。書きだすまでは。

それがいざ自分でHPこさえるんで書きだしてみたらこれが結構書けちゃう。

けど「書けちゃう」ってことに気づいたのはずっとずっと後。

書いてる時はネタ書くのがたのしくて、ただ書いてるだけで、そういえばそれまで文章なんてまとまって、人に読ませるものなんて書いたことなかったってのはずっと後から気づく、と。

 

日記も少しは書いてたこともあったけど、ネット以前、でもおもしろみには欠けてたと思う(それらはもう捨てちゃった)。

やっぱ人に見せる、見られるって前提だとちょっと変わってくんじゃないかなー?文章でもなんでも。

ただ他人を意識するってのとは違って、なんてゆーか、ネタっぽくなるっていうか。なんだろーなー?

上手く言えない。

 

ネットなかったら、でもおもしろい文章書いたり企画立てたりしてなかった、音楽や映画の話を特にする相手もなかった、たまにいてもそれほど突っ込んだ話をする相手もいなかった、気の利いた言い回しでことば遊び的にものを言う相手もいなかったし、そういう相手と知り合う、つきあうなんて発想自体なかったって人はいっぱいいるよねー。きっと。

けどまあこういうのってネットには限らない。

文明が発達するのに連れて出会いや才能が発掘されるのって。

TVなかりせば、ラジオなかりせばって人だっているだろうし、ギターが流行ったからミュージシャンになった人もいるだろうし、明治になって小説ってのが出来(しゅったい)、それがキッカケで物書きになった人もいるだろうし。

ただネットの場合はあれだよね、それ以前と違うのは、文章に才があったとしてもプロになる確率が低い、あるいはプロにならなくてもおもしろいものを書いてける、人前に出せるってトコなんだろーなー。

だから昔は(いまでもそうだろうけど)、ギョーカイに入れるようなコネや図々しさ偶然があるってだけで大して面白くもない、というか積極的につまんないような人でもデヴューできたり、仕事んなったりね。

才能あるけど、そのへんがだめだとまーだめってのは、まーそういうもんだよね。

それはしょーがない。

でもっていまは殊更にプロになる必要はなくなって。

でも同時にプロっていっても単にギョーカイに入った入れただけの人にしか過ぎなくて、才能のあるなしはまた別の話だってのもある意味ハッキリはしてきてるかも。

でもこうなってくるとエッセイとかコラム的なものを書いて生計を立ててくのはいまはむずかしいんだろうなあとも思う。

素人でいくらでもおもしろい人がいるから。

いまだとたとえば中野翠はデヴューできないよね。

彼女がもしブログとか書いててもそれほどの注視は集めないだろうし、多少人気が出たとして、じゃーエッセイストとかで食ってけるかっていうと、いまはねー。

中野翠はその凡庸さがなによりよかったんだと思う。そこがいちばん受けてた要因。ハードルが低いっていうか)

 

それでネットしたらこれはもう音楽でも映画でも小説でも話す相手、話の通じる相手はいっぱいいて、そういうのに段々馴れてくに従って、いつの間にか「誰かと音楽や映画の話がしたい(できないから)」って欲求がすっかり解消されちゃった。あたりまえんなったっていうかね。

あと自分でも書くから表現欲求も。

だからそのせいなのかなんなのか、つか、おれの性格ってだけだろうけど、文化系の彼女とつきあいたい、文化系カップルんなりたいみたいな気持ちがおれにはないなーとわかるようんなった。

 

で、以上は今朝書いたんだけど、いまはもう22時過ぎててしかも金麦飲んじゃったょ。

もっとちゃんとつづき書くつもりがもぉ、ねー(^^ゞ

だるくなっちった(・∀・)

 

後で直すかも知れん。

とりあえず出しちゃう。早漏気味に。

・・・それ以前に最近はED気味だけど(T_T)

 

以上、まとめるとだね。

1.モテる

2.自己表現欲求が満たされる。満たされてMANZOKUしちゃう。

3.モテる

4.文化系おしゃべりができる。いまだとついったで日々ペチャクチャ

5.モテる

6.友達ができる

7.モテる

8.自分に文章能力あるのを発見できる

9.モテる

10.いい仕事に就けたりはしない(リアリズム)

11.モテる

12.痩せられる!(これはウソ)

13.モテる

 

以上だ!