國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

映画鑑賞

近所のGEOに行ったら「幻の湖」と「修羅雪姫」のDVDが「新入荷」ってカタチで入ってたのを発見。
早速借りる。早速観てしまう。
幻の湖」は観るのはじめて。公開時に確かおすぎとピーコ(いや、おすぎ一人だったか)の
この映画の紹介をラジオで聞いた覚えがなんとなくある。どういう風に言ってたのかまでは憶えていない。
さて。へえー、こういうんなんだ。そーか。
2時間近くなにも起こらない。犬が死んだかな、ってくらい。といってもその後もそんなに
進展て程のこともない。ともかくも全体の印象は悠長、というか、そこここがおかしいとかそういう問題じゃなく、
狂人の悠然たる話を延々と聞いているかの様で、しまいには怖くなって来る。
そこに展開されている世界は見えているのに理解が出来ない。イーグルはすでに実戦配備についている。
撮影がいいのだった。腰の据わったしっかりした画を見せてくれる。見応えがある。
また特に戦国時代の場面になると衣装もよく、見目もよい、カネの掛かった映画なのをあらためて、
そしてそこに関してはカネの掛かったなりのものがちゃんと見られるのだった。そしてそこに
出て来る星野知子(おれなんかだと冷蔵庫の人ってイメージだ)がやがて湖の上に逆さ吊りに
されるんだが、その人形(?)の表情といい、吊るされた様子、はては湖に落ちる画や
落ち方にしろ、わるくなかった。そしてその戦国の場面については話がダイジェストでもあるのもあり、
話はテンポよく進み、話の流れも、まあ理解できる風だった。しかしそこにいたるまでが
2時間弱はあるのだ。そこまでの間、何が起こるかといえば、先程言ったように犬が死ぬ、というだけ。
そしてその戦国話が終わったといって、大してそれまでの話にシンクロするでなく、
以前を引き継ぎ相変わらずに悠然と、ある程度の事件は起こるが、そして結末を迎える。
なんだろう、この悠々ぶりは。そこが一番理解出来ない。
音楽は芥川也寸志で、まあ戦国時代のシーンなどはいい、ドラマチックな場面だってそれなりに
あるから、けど、それ以前の現代のシーンでは特に盛上るようなところは中々なく、なのにちゃんと
彼の華麗なオーケストレーションが付いている。サントラなんかなくてもいいような場面の連続なのに。
ましてあんな華麗なの。芥川也寸志、一体どうやって音楽を決めていったんだろう。困ったろうなあ。
それとも橋本忍芥川也寸志に適当に作曲なり、演奏なりをしてもらったのを自分で、或いは誰かに
頼んで、そこここに思いつくがままにつけていったのだろうか。いつも芥川也寸志に厳しいおれだが、
今回ばかりは同情したよ。あんなサントラつけようのないもんによくつけたよなあ。えらいなあ。
修羅雪姫」は以前藤田敏八スペシャルをおれ個人で行った際には、観なかったやつで、今回初めて。
評判はもうひとつだったので、つい手が出なかったのもあったんだが、今回こうして観て、
なんだいいじゃん、観てよかったよ。こんなんなら観ればよかったよ。いざ観る気になったら、
ビデオもないし、そのままだったのが、幸い今回遭遇、こうして鑑賞の機会を得ることにはなった。
ラッキー。しかも「幻の湖」とセットだ。気が利くゾ、おれのいつも使ってるGEO。
あそこは松本清張も揃ってるし、「あらかじめ失われた恋人たちよ」も置いてあったし、心掛けがよい。
この調子で頑張って欲しい。
修羅雪姫」、梶芽衣子が綺麗だったなあ。目が素晴らしい。顔に血しぶきを浴びての表情が素晴らしい。
原作の面白さもあるんだろうし、また藤田敏八がやっぱいいんだろうなあ。
彼の映画はどれも好きなんだから、当然これだって好きになってしかるべきで、その通りだった。
幻の湖」、そういえば雄琴ってまだトルコ街(ソープランドというのか、今の若いもんは)とか
まだあんのかしら。なんかどうこうして衰退したんだか、なくなったんだか、じゃなかったけか。
そんでこれ観てて思い出したけど、82年のこの映画、まだシートベルトしてなかった。
いつからなのかなあ、シートベルト、みんなするようになったの。あと、オートマの普及がいつ頃
からだのか、たまに気になる。おれはマニュアルで免許取ったけど、オートマしか運転出来ないのは
言うまでもない。クラッチってなに?
(映画観る度、シートベルトしてるかどうか確認しようと思うがいつも忘れる)
幻の湖」、公開は82年だが、当時19歳のおれには最悪の一年で、ノイローゼ真っ只中で、
そこで躓いたのが結局現在のうだつの上がらない生活に繋がってもいるわけだが、当時を思えば
おれもだいぶん健闘していて、まあ人生どーにかはなるもんだ、ヤング諸君。
悲観するのはよしたまえ。但し楽観してたからといって別にいいことも特にない。