國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

愛のエプロン」に出てた沢田亜矢子の娘がかわいかった。
書きたいことはあるにはあれど、一旦書き始めると、内容の如何を問わず結構な時間を
取られてしまい、寝る時間もつい遅くなるし、机に向かい、モニター眺めてるという
姿勢のせいで疲れてしまい、身体の具合にもよろしくないので、なんか止めとこうと
思う場合も多いのですが、でも書くのはやっぱ気持ちいいし、たのしいしなあ。
でもそんなことばっかやってらんないし。
最近は時の経つのは早いなあ、おれにしたらほんの昨日、10年、15年前と今じゃ、
いろんなことがいろいろと変わっちゃうんだよなあ、その頃には思いもよらなかった風に、
とかなんやかんや、年を取ると人生の儚さに重きを置いて物を考えてしまいます。
いや、実は単に最近オザケンとかフリッパーズとか、いままで全然聞いたことなんか
なかったのに初めて聞くようになって、彼らの活躍してた頃、そして彼等の現在とかを
考えたり、また10年、15年前前の自分のことを考えて当時の地味な(今だって充分に
地味だけれども)生活に思いを馳せていたりするのです。
今日だってさ、「愛のエプロン」にうつみ宮土理が出ててさ、「61歳」なんてテロップが
出てたりして、「ロンパールーム」のおねーさんとしての彼女をかろうじて知っている
おれからすると、なんとも不思議でさあ。大体キンキンと結婚したのでさえもう
27年前だっていうんだもん。27年、長いよね。でもおれには当時、今で言うところの
負け犬だった彼女が、ああ結婚するんだぁ、しかも番組で共演してたキンキンと、
そんな実感がまだあったりもするので、尚更不思議。でも例えば1987年から27年前
っていったら、1960年、おれはまだ生まれていなくて、そんな昔、おれからしたら
全くの別世界、そりゃまあ確かに60年代以降の時代の進み方はとてつもなくて、単純に
時間がいっしょ、ってだけで比べられはしないのかも知れないけれど、でもおれが
20代の頃に大昔だと思ってた、20年前、30年前、ってのが実はある程度以上の年の
人間にとっては、実感のある、つい昨日に毛の生えたモンでしかないのが今になると
よくわかり、年をとっても中身はあんま変わらない、「大人」なんてのは若いやつから
一方的に観た際の思い込みの産物でしかないんだ、ってとこなのかしら。
先日、100年後、音楽ってどんな風に作られ、聞かれているのかしら?なんて考えを
書いたりしたけれど、おれが最近よく思うのはおれが生まれてから今にいたる時間でさえ、
実にいろんなことが変化したってのに、これから先、一体どうなんのよ?ってことだ。
だってさ、エコロジーとかなんとかよく言うけどさ、そこまで地球に影響を与えるような
ことが人間の手で行われるようになったのって、ほんの100年(いつも「100年」ですまん。
なんかキリがいいし、まあ20世紀以降の大変化、ってくらいのつもりで)くらいの
ことでしょ?で、それまでの時間、人類が発現して以降ってことで考えても、
ほんのつい最近のことでしかないじゃんか、この100年なんて。それまで一体なにしてたんだよ、
って感じ。時間掛かりすぎ?とかな。で、この100年間の科学技術の進歩ったら、
とんでもない。要は「電気」ってことで。「電気」の使用って、だって20世紀以前は
実質ないわけだよなあ。こんな便利極まりないものが。それってなんかすごく不思議な
気もする。それにまた「電気」ってものが余りにも都合よく便利すぎ、なんでも出来すぎ
だとも思う。コンピュータだなんて、調子よすぎるじゃん。大体。「ファイル」って
なんだよ。なんか信号みたいなもんでいろんなものが収まっちゃうんだゼ。
魔法かっつうの。つうか魔法だ。電気。
20世紀以降の未曾有の(この言葉、遣ってみたかった)変化は確かにスゴイけど、
でもさあ、いまでもまだ100年ぐらい前はなんとなく見当がつくっていうか、
変化を実感というか、いやあ、昔は不便だったよねえ、とかなんとか思いも
出来るけれど、これがずっと先、1000年後とかになっちゃったら、科学技術やら
平等思想やらが一般化していい加減経つことになるわけで、まあこの先人類が順調に
行くかどうかはわからんけど、素直に進んでゆくとして、「ない」ところから
「ある」ようになった実感みたいなのがなくて、もう「ある」ところに更に
「ある」感じになっているわけで、ええと、この先、話が落とせない。
頭が停止してしまった。なので中断。
(いかん。予定通り、時間食っちまった。またこんなん書くので。)