國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

けものみちPt.2

ただ一点、民子(米倉涼子)は夫を殺してるんだよな。始めの時点で。
これがネック。
黒革の手帖」の元子だったならば、一介のOLが手帖を手に入れ、それを元に銀座で
のし上がってゆく話で、人は殺さないし、力のあるわるい連中の鼻面を引き回し、
上手く立ち回り、そして逃げ行くので、見ていて同情しやすいが、「けものみち」だと
そういうわけにはいかない。
見てるほうとしては快哉を叫びたくも、引っ掛かってしまう。
それを今後どうクリアするのかが、少し気になる。
ただ「けものみち」は基本、シリアスなので、上手く落とし込んでくれるのかも知れない。
「黒革」はコメディともいえるつくりじゃあったし、罪と罰みたいなことは気にせずに
見られたけれど、訣別すべき過去として切り捨てられる夫、それを殺したということがあるので、
「けものみち」ではシリアスな形でいずれ決着をつけていかないと見ていて
やはり飲み込みづらくなってしまう。(余計な心配かも知れない。まだ1回目なんだし。たかだか。)
あと美術だが、ああして色の組合せに凝り、更に色味にまで処理を施すというのは
昨今のアニメの影響じゃないかなあと推理する。
「けものみち」、今回だったら、そのまんまアニメに画面を移行できそうな感じもする。
そういえば、盛んに「70年代」と口にしてしまうが、その微妙な感じって、
でも若い人には実は伝わらないんじゃなかろうかと少し心配する。
「なんかあんな感じ」みたいな風につい「70年代風」とか使ってしまうが、
「あんな」の部分、実は説明が必要なのかもなあとかも思うが、中々そうもいかない。
それこそは具体例、なにがしかの作品タイトルなどを出しながらならまだしもだが、
その具体例が、「70年代」という度、思いつくわけでもない。
むつかしいところ。
で、70年代といえば、阿久悠に関して書きたいこともあって、それは70年代、
それは「過剰な物語性」じゃあないかとのハッタリなんだが、
そのうちその点についてもう少し書きたい。予定。
梶原一騎とかさ。なんだとか。
物語というより、キャラクターが得てして激情的、か。どっちかっていうと。70年代。