國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

カエターノ・ヴェローゾ

いい感じなので、昔のアルバムなどにも手を出すが、いっぱいあって、どうしていいんだか。
ほんとなら一枚一枚じっくり付き合いたいところだが、そうもいかない。数ばかり増える。
ちょろっと聞くってのも、気にはなるのでしてはみるが、それだとなんかもどかしい。
もっと自分のものにしたいが、いかんせん、もう年だ。集中力、感受性に欠ける。
『Livro』『Estrangeiro』『Caetano』あたりから聞き始めたし、そこらへんは
取っ付き易いのでいいんだが、もっと昔の作品、70年代のやつとかにまでは手がまわらない。
耳がまわらない。いいのはわかるんだけどさぁ、もっとこう、実感を伴って「よい」と言いたい。
『Caetano』とかの華やかさを思うとそこらへんはどうしたって地味だからなあ。
でもだからこそそこらへんを「いい」って言って、通ぶりたいんだよなあ。
でも今からじゃなにせ遅い。もっと若い頃に出会っていればなあ。けど、80年代のおれは
ブラジルに音楽が存在するだなんてまったく知らなかった、考えたこともなかったからなあ。
当時、世間ともう少し交渉があれば、そのへんの情報も入って来て、もう少しなんとか
なってたかも知れんが、なにせナウなもん(6、70年代のロック、R&B以外の音楽)に関心を
持てるようになったのは、やっと、ここ数年。先日書いたようにヒップホップだって、
まだ聞くようになって何年も経たない、ましてブラジルだなんて、まったくに最近。
それだって時々ジョアン・ジルベルト聞くとか、そんぐらいのつきあい。
カエターノ・ヴェローゾは『Estrangeiro』買って、殆ど聞かずっきり。やっとここ
数日のことですもの。なんともまあ。『ジョイア』も前に買ってなんとなく数回聞いたきり。
でもゆうべとか聞いて、堪能してた。その静謐な前衛ぶりに興奮。やっぱ、リズムの
刻み方がさあ、ロック耳のわたしにはまったくに意外の連続なのよね。それが気色よい。
今日は『アラサー・アズール』とかも聞いてみたんだけどさ、その実験音楽っぷりが
気持ちよい。こういうのん、好き。フランク・ザッパの『We're only in it for the Money』
とかでもそうなんだけどさ、こういうサウンドって、結構ノレない?なんつうか、
ふつうに言うと、とっつきづらいって括りになるんだろうけど、でも実際がとこ、
ファンキーで興奮しちゃう人って結構いる筈。べつに実験的って部分に知的に興奮とか
ってんじゃなくて、ごく単純にヘッドバンギングとか、するよね。こういうの。踊ったり。
こういう音楽がとっつきづらい、ってのはごく俗な言い回しで、そんなん実はそうでもないよな。
そういうありきたりのウソはつまらんので、もうストップ!in the name of Love。
で、『アラサー・アズール』みたいな、いかにも前衛っぽいってのとは違うけど
(でも相当実験的な)『ジョイア』とか聞いてても、その各楽器、ヴォーカル、それらの
絡みのパーカッシヴ具合、ポリリズミックな感触に、聞いてると力入って来て、
血圧が上昇してしまう。静かなんだけどね。サウンド自体は。