國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

年金

年金をそこそこ貰ったとします。
けど、できるのは最低食うだけ。そんな程度だとして、問題はです、遊べない。
そう、生活水準がすっごく高くなっているのです。いまは。
例えば昭和30年代と比べたら。
パソコンも持ってなきゃなりません、ケータイ代も払わなきゃなりません、
車は生活上、必需品です、しかしガス代、駐車場代、車検、税金、修理他、維持費、
そして買換えの費用も時に必要になります。
音楽や映画を観るのにもお金が必要です。積もればバカになりません。
しかし、歳を取ったからといって、そういったものからは離れられません。
現在よりは安価にもなるやも知れません。
しかしお金は掛かるのです。
そういった贅沢を昔の人は殆どしていませんでした。
ほんとに「食えれば」よかったのです。
でもいまの人は、おれは、そんな質素な暮らしはもう出来ません。
それに必要でもあります。ネットだってなんだって。
で、年金で食うだけの生活しか出来ないとしたら、それもまた恐怖です。
そんなことを最近よく考えます。
年金でも少子化でも、昨今話題の事項についてですが、みんな時代がどんどん移り変わっている、
この先も変化は早い、読めない、ということをまず問題にしません。単純に昔はよかった、
いまはよくない、これから先はもっとわるくなる、くらいの言い方しかしやしないのです。
そんな単純な比較じゃなんもわかんないのに。
少子化といって、社会保障もロクにない、健康保険さえない戦前の方が遥かに子沢山だったとか、
その程度のことさえみんな思い出しません。
医療技術が今より遥かに貧困で、乳幼児死亡率が高かったから、子供をいっぱい産んだとかさ。
あと子供に人権なんて、昔はなかったし、あたりまえに労働力だったこととか。
あたりまえに性的慰みものとされていたりとか。
(昨今、子供絡みの犯罪云々とか言うけれど、昔だったなら、そもそも犯罪とさえ
認定されなかったこと多々とか。そんなこんな。)
ほんと、みんな、「いま、ここ(日本)」のことしか頭にないのがふしぎです。
単純に昔と今を比べることはできません。
昭和20年代前半の暮らしでよいのならば、それが出来るのならば、
日本人、全員ラクチンなはずです。いまは。
でもそんなことのできるはずもありません。
更にもし、そうも質素な生活をしたと仮定したならば、そのぶん医療は低水準に保たねばならず、
経済も遥かに、昨今の不況どころの騒ぎじゃない、貧相な状況でやってかないとなりません。
けれど、資産はそのまま、けれど質素な暮らし、なんてことはありえないのです。
文明も進んだだけ、カネも余計に掛かるし、もちろん文明の恩恵もあるのです。
といって、文明が進んだとしても、やはり問題は解決はしません。
(ええと。頭がまわりませぬ。でも思いついた順にとりあえず並べましょう。
毎度の如く。)
根本は「オカネじゃ幸せになれない」ってことでもあります。
でも人間、そんな人類みんなで歩調を合わせてオリコウさんになんかなれないからなあ。
まあどのみち問題は解決しない、それだけが確か。
年金問題とか、昨今の行政のあり方とかについて、それなりにリベラルに物言う人であっても、
そういう人だからこそ、云うことは「富の再分配」です。要は。
けどさあ、富の再分配じゃだめなんだよ。
そりゃまあ、現場的に、国家の運営といった風に考えたら、富の再分配を元にした経営、
ってのがそれなりに望ましくはあるけれど、でもそれじゃあ、片手落ち。
だって「オカネじゃ幸せになれない」んだもの。人は。
といって、貧乏が推奨されるわけでもないのがむずかしいところ。
つか、人類の心根が変わらない限り、制度をどんなによくしたところで、たかが知れてる。
それにもしせいぜい出来るとしても、一国家の運営、その国の国民の最低水準の引上げと
機会均等、程度のことで、地球全部、人類全員に幸福が行き渡るってわけには行かない。
地球資源には限りがあるし、面倒や汚いことなんかはどっかに押し付けないと、
ある国でのラクな生活ってのは成り立たない。
あと、国家の運営には諸外国との関係というのを抜きには出来ず、
こうしたいなあ、ああしたいなあ、とかその国が思ったとしても、よその圧力、よそさんへの影響、
等々を抜きに、その国だけの方針でなんか実際できるもんでもない。人の顔色だって窺わなきゃならない。
物事ってのは他人に決められてしまう、他人との関係で決まることが多々なんだし。そもそもが。
もっともっと文明が進んでいない時代に、鎖国して、なんてのを仮定したなら、
ある一国家が独自に幸福になる方法はあるやも知れない。
(いや、実際、もっと現実はややこしいけど、そこはそれ、)
でもだ。その国家ひとつに留まって、一定の運営を行っていたとしても、
やがては文明がその国の内部でも進んで行くのは確かだし、諸外国がそこよりも更に文明が進み、
やがてはその国にもやっては来るのだ。
物事、地球規模で考えないと、やっぱ無理。他人がいるんだよ。常に。
(ああおれは人類全体が幸福になる方法とか見つけるつもりかいな。
それを念頭においたら、それでシマイじゃないか。そもそも。無理なんだから。
方法、なんてそもそもないし。
もしおれが魔法が使えるとして、一体どこをどうすれば人類全員が幸福になるのか、
やり方なんてわからないもんな。例えば。どこへ、どう、魔法を使えばいいのかわからない。
どっから始めりゃいいのか、なにから手をつけたらいいのか。皆目見当がつきゃしない。)
文明の不可逆性、それ考えないわけにはいかんもんなあ。人類の経営上。
ようやく最近になって、そんなわけでSFの必要性がわかって来た次第。