國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

永六輔

http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20070709
永六輔といえば、なにか言いたくなってしまう性(さが)。
どんだけおれは永六輔が好きなんだっつんだか。
そんなわけで永六輔に関するおれの印象いくつか。
で、中年御三家時代、永六輔はなにを歌っていたかといえば、浅草オペラの田谷力三の「恋はやさし」なんかを歌ってた。
おれはもちろん小沢昭一のファンで、そん次に野坂昭如が好きで、永六輔は選曲のセンスも歌い方もとても好きにはなれなかったが、ラジオから録音(ライン録りじゃないよ!ちゃちなカセットをラジオに近づけてまんま録音)した3人の歌の歌詞を小さなノートに書き取り、それぞれに歌い、「恋はやさし」なんかも実は歌ったりしていた。小学生時代。
永六輔こそ元祖「作務衣(さむえ)系」である。大林宣彦も作務衣を着てるの、見たことある。なんかのインタヴューで。要はそういう感じで、つまり永六輔秋元康なんか足元にも及ばない、正に元祖「ギョーカイ人」。案外そのことにみんな気がついてない。やることなすことぜんぶ胡散臭い。心が篭ってない。ソウルがない。そこが決定的に違う。中年御三家の他の2人とは。
尺貫法廃止反対だとか、米穀通帳が無効化した現在に敢えて米穀通帳のこと持ち出したりとか、要はみんなネタで、コピー(宣伝のそれ)みたいなもんで、いかにもそれらしく、問題意識があるかのようで、世間に挑んでいるかのようで、でもそこにはまったく「心」がない。ぜんぜん本気じゃない。本人は本気のつもりかも知らんが、見ているこっちにはなんにも訴えて来るものがない。ギョーカイの企画、でしかない。しかも2度とウケることのない。だからそれにジレて、自分がもう現役じゃないとは思いたくなくて、永六輔は幾度も企画を立てたのだろう。ラジオでならば、自分が王様になれるし。リスナーとの絆ってのは特別なもんがあるから。手応えがあるから。でも彼のラジオ聞いてる人間以外にはまったく波及しないまま、いつしか企画は立ち消えていった次第。
ウィキペディアの記述はしかし主観入りまくりで、それはそれでたのしいが、タモリはあれじゃんか、「テレビファソラシド」で永六輔に起用されてるじゃんか。そもそも。レギュラーだったじゃんか。タモリ
テレビファソラシド」でよく憶えてるのは天本英世がゲストで出たとき、ロルカの詩を朗読したことで、バルコンがどうとかいう詩で、それがなんかカッコよかった。天本英世。(昔々、おれが学生時代、代々木上原あたりを歩いていると、よく遭遇した。でかい。着てるものが真っ黒。イメージ通り)
で、いつだったか、原宿のカフェコムサでお茶なぞしていると、隣に来たオヤジがなんぞ手帳(?)を広げている。それがでかい。和紙かなんかで出来てる感じで、手作りっぽいそれで、中身がちらりと見えたが、手書きで罫線が引いてあり(墨?)、スケジュール帳っぽいつくり。
「ええっ」って気がした。気持ちわるい。なにこの人?って感じだ。
だって手書きのスケジュール帳。一見すれば、その印象は異様ともなるが通例。
で、顔を見る。永六輔。氷解。納得した。
で、手書きのスケジュール帳もあれだけど、ここでミソは原宿のカフェコムサだってことだよ。彼がいたのが。小沢昭一が、野坂昭如が、そもそも原宿に来るや?来ないよな。ましてカフェコムサ。尚更にゆかない。しかし永六輔は来る。来ている。ギョーカイ人だと思えば、フツーに納得。けど普段の彼の言動とかからすれば、なんかヘンくない?原宿だとかまして「カフェ」なんざすごい厭うようなイキフン(雰囲気)じゃんか。永六輔。なのに来てる。原宿のカフェコムサ。手書きのスケジュール帳。どんだけわざとらしいんだか。ほんとに。元祖ギョーカイ人は伊達じゃない。行くトコまで行ってるさ。他の追随を許さない。秋元康なんざエピゴーネンにもなれやしない。
そんな永六輔がいつも気になって仕方のないおれ。だってさー、小学生の時から、久米宏が使いッパやってる時代から、永六輔のラジオ聞いてんだぜ。土曜ワイドラジオ東京だとか、七円の歌だとか。まーあれこれ言ってるのも好きなせい。そんで。胡散臭いトコがまた。鬱陶しいトコがまた。ほんとうの意味では、小沢昭一が好きみたいには好きにはなれないけど、べつの意味できっと好き。
あと作詞家としては、その才能はモノホン。スゲー。
Miagetegoran yoru no hoshiwo - Kyu Sakamoto
時を超えて フィロソフィア(1959)』(「黒い花びら」水原弘)

赤坂檜町テキサスハウス

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