國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

「酔いどれ天使」

ちょうど「新たけのこ雑記帖」で「野良犬」が取り上げられているが(2004/4/11)、上記の如く、
おれはゆうべ「酔いどれ天使」を観たのだった。
大学生になって初めて観た黒澤明がこれだった。
それ以前に観た黒澤映画ってTVでおれが小学生くらいだったか、鳴物入りで日テレで2週に渡って
放映された「七人の侍」と東京12チャンネルの土曜の夜あたりの邦画の枠での「野良犬」くらいだったと思う。
あ。あと小学生の頃、「デルス・ウザーラ」の原作(?)の小説を文庫で買って持ってたんだった。
映画のスチルが表紙になってるやつ。でも結局読まなかったんだけど。
おれは大学生になってからようやく映画を積極的に観始めるようになり、それ以前はTVで観るか、
一年に一回劇場に行くか行かないか、ってトコで、あとは名作映画紹介みたいな本とかを
ほんの少し読んでるくらいだった。
そんなんで大学生になって映画を観始めた頃には知らないこと、わからないことだらけだった。
どっちが通なのかはわからないけど、「酔いどれ天使」も「生きる」もあとフェリーニ
甘い生活」なんかもみな上映途中から館内に入り観始めたのだった。
あ、いや、「酔いどれ天使」はそうでもなかったか。
まあとにかくだ、途中からだのなんだの映画を観始めのうちはあまり気にしちゃいなかったってことだ。
甘い生活」なんかほぼ終わりかけから劇場に入ったくらいだ。パーティーが一段落して
浜辺に打上げられた大きな魚にマストロヤンニが出会うあたり、つまりはほんとに最後の方。
映画を観始めはそれにわかんない、わかってないことが多々あった。
酔いどれ天使」なんか、おれ、三船敏郎がいつ出て来んのかと思っちゃってたょ。
冒頭から出てるのに。ぜんぜん気づかなかった。あの若いヤクザがミフネだってのを全く理解してなかった。
ナントカ言う、シャバに久方に帰って来るヤクザってのがてっきりミフネだとばかり思って、
おれは彼が登場するのを映画を観ながらずっと待ってたのだった。
一体ミフネにおれが気づいたのはいつだったか。憶えてない。
もしかすると映画が終わってからわかったくらいだ。
それぐらいな知識しか映画初心者なおれにはなかった。
とにかくなんか聞いたことのあるタイトルや監督ってことで名画座に行ってみたのだ。最初のうちは。
映画館通いはやがて「ぴあ」を買っては観たいもんに○をつけて片端から、カネのある限り行くようにはなったのだった。
いまはでもあの頃のような純な観方ってのはもう出来ない。いまは観ればココがこうでアレがこうで
って全部わかっちゃうし、分析的解析的な観方、情報の整理と溶接などがあたりまえに出来てしまい、
それはそれで味気ない。
予備知識なし、観方を知らずに観ていたあの感覚はもう味わえない。
例えば中学生の頃にTVで川島雄三の「しとやかな獣」を観てた時にはワケわかんなくて、
それがなんとも不思議な感じでトリップ感があったが、いまはもうそこまでハイにはなれない。
不思議大好き、な感じにはもう中々出会えない。まことに残念だ。
初めてゴダールの「気狂いピエロ」を観た時の興奮ったらなかったなあ。ああうぅ。
まさかストーリーがあるとは思わなかったもん。
話がない、思いつきの連続、それだけ、ってんですげぇ興奮したんだが、実は筋があった、
のに気づいたのは一体いつだったか。ちょっと残念だった。いや、だいぶガッカリしたか。当時は。
今は今でまた違うんだがな。思ってることは。
小津安二郎はおれにはお勉強じゃなかった。それは幸運だった。
なんか並木座でしょっちゅうやってるんで、なんとなく観てる、って感じだった。
なんかエライらしいってくらいは知ってたけどさ、詳しいことはなんにも。
例えばおれは蓮實重彦読むようになったのはここ10年かそこいらで80年代にはまったく読んだことはないし。
ま、ともかくだ、「彼岸花」の浪花千栄子観てはへらへら笑ってただけだったのは幸いだった。