國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

溝口健二&小津安二郎

溝口健二「武蔵野夫人」小津安二郎「宗方姉妹」を観る。
両方共初めて、というか「宗方姉妹」を初めてなのがちょっぴり恥ずかしいが、なんつうか小津作品、
せめて戦後の作品ぐらい大した数もないんだし、全部観ててもよかろう、てな気がしないでもないでも
ないだろうじゃないかネ、諸君。オッホン。溝口健二は観逃してても、なんかあんまりいいじゃないってゆうか。
なんかそんな気がする?みたいな。(でも「山椒大夫」観たことないのは内緒だ。)
(先立ってのid:Dirk_Digglerさんの「東京暮色」未見との勇気ある発言にはその点、感服。
でもあんまり好きだと、一度観る機会を逸すると、いや、映画に限らない、音楽なんかでも思い入れが
強い余りに、却って観れない、聞けない、生半可には、ってのは生じてしまうこと、時折。)
で、「武蔵野夫人」「宗方姉妹」、製作時期も近ければ(前者51年、後者50年)、田中絹代が出ていて、
双方ともに旦那との間が上手くゆかぬところもいっしょ。でもレンタルしたのは単に偶然。
そこまでいちいち考えてません。2大巨匠の未見の作品を観てみよう、ぐらいの気はあったけれど。
どうなんだろう。2大巨匠の違いなど考えてみるのは企画として安易極まりないが、そうしたくなるのも
人情なのでやっちゃうが、こと娼妓の扱い、登場に関しては考察してみたくもある。
溝口作品に娼妓は付き物(?以下、思いつきの憶測)な気もするが、小津作品への娼妓の出番てのは
一体どの程度でどんな扱いなりや。いや、今は出来ないんだけどさ、将来的にもおれには無理、
で、気になるから命題だけ抜書きってところで。(以下同じ調子の思いつき並べ隊。)
小津映画で御馴染みは、バーの女給かしら。「宗方姉妹」じゃ、田中絹代はバー経営してる。
「宗方姉妹」じゃ既にいわゆる小津調ってやつになってるが、あれっていつから、どの作品から、
みんなに御馴染みのあの調子になったのだろう。
で、大佛次郎(おさらぎじろう)原作の
「宗方姉妹」(読みは「むねかたきょうだい」らしい)だが、まるきり小津映画にしか見えない仕組み。
話の仔細は勿論これはこれ、「麦秋」なり「東京物語」なんかとは違うけど、でもここにあるのはいわゆる小津調。
でね、デコちゃんがネ、スカート捲り上げて太もも見せるんだよ!「宗方姉妹」!
やらしいねえ。チンピクしちゃったよ。ハァハァ。デコちゃん、ハァハァ。
エロいネ。小津先生はいつも。ス・ケ・ベ。
あれは青少年には目の毒だよ。
田中絹代の、キモノに西洋風手袋というファッションがちょいと奇妙な気もしました「宗方姉妹」。
当時、あれが流行りだったんでしょうか?
バーで、山村聡とデコちゃんが前後して並んで、カウンターの前に立ったまま、デコちゃんがコップ、
そして酒瓶を「 I drink upon occasion/Sometimes upon no occasion/Don Quixote 」
(「おり有らば飲み、おり無くとも飲む」ドン・キホーテ・・・らしい。)との文字が浮き立つ
カウンター内の壁にガンガン投げるんだが、それが結構強烈。デコちゃんにはまこと相応しいのでありました。
この映画、そうじゃなくともデコちゃんの魅力が炸裂だよ!
「武蔵野夫人」は田中絹代に懸想する青年役の片山明彦が大根で、しかもさして魅力を感じられないのが欠点だが、
それに反し彼女の旦那役の森雅之の口先上手で軽薄な感じがなんとも言えず、見るだにうれしいばかり。