國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

『とらばいゆ』

始めの方、またちょっと観ちゃった。最後まで観てもよかったけど、とりあえず中断。
例えどんなにケンカしてても、そこは安全で平和な世界で、
観ているぼくはその世界に入っていて、安心していられる。
そういうとこも、そう思わせてくれるところも好きなのかも知れない。
ぼくが住むんだと思っていた世界。
ぼくが住んでいると思っていた世界。
まだ家と学校を往復するだけの頃、テレビドラマや小説などで馴染んでいた世界。
いずれ大人になったら、あんな風な生活が、人間関係が待っているんだと思っていた世界。
実際はその時点からして自分の家庭の中、学校からしてもちろんぜんぜん違い、その後はまあいろいろ。
オープニングの、将棋会場から、隅田川(?)に掛かる橋とその向こうに見える高層マンション、
それと対照的な舫(もや)いである小さな船、そして画面の左端を
俯き加減で歩いてゆく瀬戸朝香。そして画面端に彼女がフェイドインする手前でショットは
室内へ切り替わり、薄暗いマンションのキッチンに立つ塚本晋也
そのオープニング、隅田川が映るあたりから掛かる控え目な、
しかし効果的で叙情的な音楽。いいなあ。
(さっき観たばかりとはいえ記憶力に乏しいので間違ってるかも知れないけど、
ともかくオープニングからして好き。)
夫(塚本晋也):「里奈ちゃん(市川実日子)てさあ、男見る目ないよね。」
妻(瀬戸朝香):「わたしだって同じだよ。」
監督は65年生まれなので、おれより気持ち下だが、これを見ているとかつてのTBSなんかの
ホームドラマの匂いがあるような気がする。そういう点にもおれはきっと惹かれるのかも知れない。
そう、おれが思いたいというかな。ノスタルジーに沈みたいんだよ。おれは。常日頃から。
また、日常的な背景の中でのセリフのやりとりにはもしかして平田オリザの影響もあるのかなあ、
なんかそんな気がした、というか、観ながら思いついたりしてた。
以上、連想ゲーム。
あ。そうだ。瀬戸朝香、左利きだった。観るの3回目で気づいた。
それにこうして何度か観ていると、前回観ていなかったものがあれこれあるのに気づく。
それはちょっとした表情だったり、以前は聞き流していたセリフだったり、
おしゃべりをしながらの仕草だったり、誰かがそこで手に取ったものだったり。
出て来る人の着ているもの、そのコーディネート、部屋の調度、などなどが全体にムダのない、
スッキリした設計になっている。これは監督の趣味なんだろうなあ。ぜんぜんゴテゴテしてない。
それは内容と合っているので、観ていて心地いい。
そしてそれは一見するとヨゴシがないかのようだけれど、そんな味気ないものではない。
必要なものは全部揃っている。そしてその中で登場人物たちの感情が
映画に潤いと体温を与えてくれている。彼らはちゃんと生きている。
気がつくと観ているぼくは彼らの中にいる。そして彼らの会話や表情、仕草、
それらはまたいつか、ぼくの実感ともなっている。