國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

勉強

勉強出来ても、頭がよくても、得より損の方が多い。
先日立読みした「ダヴィンチ」で呉智英がいみじくも言っていたように「無知こそは力なり」だ。
余計なことは知らない方が大体しあわせ。
頭がいいとか、勉強が出来るとか、図抜けていれば又別かも知れないが、
中途に勉強なんか出来たって社会活動には不適切なだけだ。
家が金持ちとか、その他周りの環境に恵まれて、尚且つ頭もよっぽどによろしければ
上手い方にも転がるかも知れないが、家が貧乏だったりしたら、その時点で人生オシマイ、
ロクなことにはならない。勉強が出来てひとりぽっちより、バカでともだち多い方が絶対にイイ。
おれは勉強は中途半端、クラスで2番止まり、学校も2流の県立高校〜2浪〜明治学院大。
(しかも就職は出来ず。やり方わからず。サイテーだ。)
親は肉体労働者。我が家は流行先取りで30年以上前から年収300万円(以下)時代だ。
だから不況とかいっても、いまさら驚かない。
むしろみんな貧乏になるのなら、ホッとするくらいなもんだ。
そしてどういうわけか、おれもその後を継いでしまった。42歳、下層労働者。
そうじゃない方策だってあっただろうに。
(唯一、サラリーマンのかみさんになった妹が我が家の出世頭。
でも英語なんか出来ないのに結婚してアメリカ行って、
なんとかやってるんだから、エライもんだ。)
先々不安はもちろんいくらもあるとはいえ、今現在なんとかやってるので、まあそれでいいさ。
思ったよりもひどくはない。というか、だいぶんマシだ。昔を思えば。
日当たりのいい一軒家。ローンはまだ残っているが持ち家。
なんだかウソみたいだ。収入は低いが、夕食は先日の如く豪華極まりない。おかずがいっぱい。
しかも家は家族揃って健康なので、それはまったく恵まれている。
誰も寝込んだりしない。見たことない。
年食うと実感するが、カネなんかどうにかなるが、身体が第一、健康ほどありがたいものはない。
でもそうなると身近でも身体(しんたい)思わしくない人がいて、それは切ない。
「しあわせ」ってのは自分の分しかない。なんだかやりきれない思いをすることもある。
こうして生きて平穏であることがどれだけありがたいことか。
でもそれは自分だけのことでしかない。もう既に死んでしまった人もいる。
時々よくわからなくなる。この世界はひどいとこだしな。
でもちょいとこうして感傷的になったところで、単にそれだけでしかないので、
自分の心配だけして、もうちょいラクな生活を望んで生きていくさ。
1000年後、この世界はどんな風になっているのだろう。