國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

シネコン

新宿にシネコンを!
てか、映画館、全部シネコンにして欲しい。
もう要らないよ。既存の劇場は。
シネコンの御蔭でこうして足にケガしていても、近場で映画が観れるのでありがたい。
メゾン・ド・ヒミコ」とか「リンダリンダリンダ」とかもやるし。
(「メゾン・ド・ヒミコ」はしかしメジャー映画扱い?
上映回数、はじめのうち多かったし。でも内容はミニシアター向けだよなあ。)
もうおれはシネコンじゃなきゃ映画観るのヤだ。だるい。
シネコンのいいのは指定席。いい席取るのにドキドキしてなきゃならんのはもう辛い。
あらかじめ席取って、あとは近所でぶらぶらしてられるのはありがたい。
一度劇場に入るともうどこにも行けない、だなんて不便極まりない。
若い人はいいかも知れないが、年寄りには指定席が一番。
以前市川雷蔵映画祭の時にも書いたが、年いった人に行列に並ばせたり、
あげくは立ち見だなんてふざけた話だ。指定席方式にすればそういうことはなくなるのに。
雷蔵ファンなんて結構な年の人だっているってのにさ。並んでチケット買って、
ようやく入場したなら席はどんどん足の効く連中にとられて歩くのも
つらいような人だと席なんかとれやしない。あげくは立ち見とはひどすぎる。
会員証作ると前売り券値段、1500円で観れるし、ポイントが溜まればタダで1本、
てのもよろしい。
日本の映画館は入場料が高いってのがもっぱらの評判だったんだから、
これだけでもだいぶん違う。
レイトショーがある。
そしてレイトショーは若干安い。
日本じゃ映画館は最終回が早く、勤め人はないがしろか、ってよく小林信彦が書いていた。
なのに小林信彦はシネコンに行かないし、評価もしない、というか、話題としても触れない。
昔の映画館はよかった、みたいな話は書くくせに。
まあ年配の評論家やなんかがシネコンなんか認めんとか云うのは
しょうがない、映画ってのが特別だった時代の人たちだから。
そういう思い入れも込みで映画じゃある。
上映時真っ暗になる。
これは大きい。最近はシネコンだけじゃなく、真っ暗か、それに近くはなるようだが。
でも古いタイプの映画館だと未だに「禁煙」だの「非常口」だのの灯りが点いてるところもある。
ともかくも「薄明るい」とながらく不評だった映画館がほんとに真っ暗になるようになったのはいい傾向だ。
椅子が快適。
座り心地がいいし、なにより前の人の頭が気にならずに済む設計。これが大きい。
映画観るたび、あたりはずれ、前の席の人間の頭に邪魔されたり、されなかったり、
ってのがなくなった、ってのは実に大きい。それはもうずうっと長い間、
解決されない問題だったのだ。それがシネコンだと解消されている。ありがたい。
この、前の席の頭問題というとおれは毎回、むかぁし大塚(!)にあった名画座で
フェリーニの「カサノバ」を観たときのことを思い出す。
そこは小さな小さな劇場で席だって狭いそれだったが、
おれの前にガイジンさんが座り、もうぜんぜんこれじゃ観えない、って感じだったのだ。
そのときおれは滅多にないことだが、勇気を出してその人に声を掛け、頭を下げてもらった。
素直に快くその人は応じてくれ、おれは無事「カサノバ」を観ることが出来たのでした。
オチはない。単に思い出。
映画館が混んでる!
入れ替えの時などは特に顕著だが、こんなにみんな映画観るのかい、ってぐらいに人が来てる。
なんだか賑ってるっぽくてよろしい。
だって多くの人はこうして近くにシネコンがなきゃ映画なんか観に行かなかった人たちですよ。
おれは映画を愛しちゃいないが、映画ファンには違いないので映画鑑賞人口が
増えてるような感じがするとなんとなく嬉しいのです。
てか、都会に行かないと映画が観れない、そんな状況が
ずっと長くつづいていたのだよ。ヤング諸兄。
映画館が地方に帰って来たのだ。都心にしかない映画館という条件のため、
映画はマニアックな娯楽になってしまっていたのでした。
メジャーな映画であっても「都会に行く」って時点で多くの人の
休日のレジャーの選択肢からは洩れていたのだ。
(子連れで、電車に乗って都心まで行くことの大変さよ。ああ。)
その間を埋めるのがレンタルビデオで、これにより潜在的な映画人口を増やした
ってな側面などもあるが、それはまたべつのはなし。
シネコン、近場にあれば中高生も映画観に行く機会が増えるだろうし、
年配の人が映画館に行き易くなってると思う。
近隣に車で行けるとなれば。都心まで行くことは多くの人は中々しないしね。
昔がいい、ってのもわかるけど、でも映画なんて大体が軽薄な娯楽でしかないのであって
時代と共に移り変わるのは当然。パターンだって色々出てくるし。
いつだって、いいとこもわるいとこもある。ただそれだけのはなし。