國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

バブル

アッコちゃんの時代

アッコちゃんの時代


だめだ。「バブルと寝た女」と云うと友近のネタがどうしても思い浮かんでしまう。
そんで流行りモノに弱いので雑誌「Glamorous」で「アッコちゃん」の写真を立ち見。
菊川怜を少し賢くしたような感じ。
本読むのはめんどくさいので、そのうちドラマとか映画になるのを俟ちたい。
誰がやるかね。アッコちゃんは。
そういうキャスティング遊び、元々ヘタなのに、キャラも知らないんじゃ、
どうしようもない。おれも。
でもあれだ、よくバブルバブルというが、下々の暮らしは特別なんか凄かったわけ
じゃないしなあ。週休2日でさえなかったし。なんかまるでバブル時代、
例えばアルバイトの時給が5000円くらいだったみたいな話になってないか、なんとなく。
金持ちはいつだって金持ち、今だって金持ちは金持ちなだけ、だよなあ。
そんなんただのあたりまえ。エジソンはえらい人、そんなん誰だって知っている。
階級差が開くのどうのとかって話も昨今の流行りだが、昭和30年代の日本が
一体どんなだったんだってどうして考えてみないのかさっぱりわからん。
今が不況ったって、みんなケータイ持ってるし、パソコンもあれば、マイカーはあたりまえ。
海外旅行だってふつー。バブル時代と変わらん。なんでその事実がないみたいに、
バブルがはじけた後はまるきりつましい世の中に変わったみたいなウソをみんなして
いうのか理解できない。未だにこんなに贅沢な毎日なのに。
大体バブルなんて地上げ屋以外の人間にはぜんぜん関係ねーじゃねーか。
他人事だよ。当時だって。
それに今だってみんなディスコとかクラブとか行って遊んだりしてるじゃんか。
どこが変わったっつんだ。ウソばっかり。こんな豊かなのに。
日本の本当のバブルは1960年代、「昭和元禄」と云われた時代で、それ以降、
1970年代以降の日本は基本的には変化がない。
そんな簡単に、状況がわるくなる、なんて云うのはほんとはむずかしいはずなのに。
幸不幸は計量出来ないのに、計量可能って前提で話をしている時点でアウトじゃんか。
つか、計量するにしても、一体どれとどれを取り上げて、そう云うのか。
各家庭のTV受像機の数がこの先減ったりすることはない。
テレビが減るとしても、その分、他のテクノロジーに圧されてのことでしかない。
文明や資本主義の結果もたらされたものは、そうそう減ったりなんかするもんじゃない。
部屋の中は散らかる一方、エントロピーは増大するばかり。
(「エントロピー」ってなんなのか、未だにおれが知らない、ってことはひとまず措いといて。茶瓶。)
昔には昔の取り柄があり、今には今の取り柄がある。
同じく、今には今の欠点があり、昔には昔の欠点がある。
さらにいえば、どんな時代でもうまくいってる人はうまくいってるし、
どんな時代でもうまくいかん人はうまくいかん。
後戻りできないこともあるし、底が上がってしまい、もう下がることのない事物もある。
カネが出来た分、心配は増えるし、便利な機械は更なる不便を呼び込む。
一度贅沢を知ってしまうと、もう昔の生活には戻れない。
お湯の出て来ない水道なんて、もう考えられない。
(ああ。おれとしてはほんとは文明の発達と階級差とのややこしい関係について、
なんだか上手いこと一本筋を通して、もっともらしく話を展開してゆき、
いずれは「自然・文明・人間」の相関関係についての論を成したいという
漠然とした希望があるのだが、それは文字通り茫漠としていて、自分でも一体どうしたいのか、
大体、どこからどう話を始めていいのやらもわからん。
結局なにが云いたいんだろう。おれは。
こういうのはオチから考えないとな。フーミン。
きっといろんなことが云いたいんだろうなあ。おれは。
あれやらこれやら。一貫性はない。)
それに大体が「現在は以前よりも物事が悪化しており、これからは更にますます悪くなる」
って言説は出て来る度、いちいち全部疑ってかからないといけない。
だって、今日より明日がわるくなる、ってそれはあたりまえなんだもん。
誰だって、日を追うごとに死に近づいてるんだから。わるくなるのは世の中じゃなくて、
自分自身のことで、世の中についてなんかしら言ってるようでも、なんのことはない、
自分の心配をしてるだけ、死ぬのが怖いだけ。その言い換え。
ちなみにおれによれば、人類なんて発祥以来ロクなもんじゃなく、今もヒドイが、
昔もヒドク、未来はこれまたヒドイだけ。「ヒドイ」って点では過去も未来も現在も
選ぶところなんかない。それが単なる事実。
そして同時にいつだって穏やかな日はあるしね。